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生と死に、花束を。

「死ぬかもしれない。」

と思ったことが、人生の中で何度かあった。

機能不全の家庭で生まれ育ったこともあるが、

もともと生まれ持った性質、HSS型HSP(社交的で刺激を求めるのに傷つきやすい)も、大きく関係しているのだと思う。


とにかく、生きづらいことが多かった。

理想を押し付けてくる母親、仕事をしない(できない)父、完璧主義者で攻撃的な姉、なにもかもが鬱陶しくて、理不尽で、虚しかった。

田舎の狭い世界に閉じ込められて、無力な子どもは助けを叫ぶ。
誰も助けてくれやしない、のに。

所詮人ごとで、他人ごと。
「かわいそう」だとレッテルを貼られる。

あの家の、あの子でしょって。


「逃げれば、いい。」そう思った。
実際、逃げてみてわかる。
決して、逃げられないと。

大人になっても、付きまとうトラとウマ。

呆然と立ちはだかる、現在と未来。

物理的な距離を置いても、生まれる葛藤、罪悪感、モラル。

こんなもん、誰かにくれてやれたら、人生平等なのにな、と汚い言葉を吐く。

頭を体を、とにかく楽に、解放したくて、必死で。


「人間みんなどうせ死ぬ。」

この言葉が私を深く刺した。

刺されて、初めて、目が覚めた。

「どうせ、死ぬなら、いっそ生きよう」と。


無条件に人を愛して初めて、無条件に人から愛される。

無邪気で、初々しくて、たいせつで。

誰にも渡さない、そう決めた愛。

そうだった、愛。


今となっては、思い出せない記憶も多い。

今の自分を、過去の自分が守るかのように、
あの日の記憶はいつの間にか、開かなくなった。

まったく違う人の記憶みたいに、ひとり歩きしている。
あなたには、もう関係ないのよって。

それでも、いいと思った。

こんな記憶、くれてやるから。



「どうせ、死ぬなら、いっそ生きよう。」

生きられた自分に、いつの日か花束を。


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ある画家の人生に触れて、自分の人生を少し振り返りたいなと思い、つらつらと書きました。

これから、不定期で、私の『ふがいない過去』を記事にしたいなと考えています。

機能不全家族、毒親、暴力、モラハラ、トラウマ、、など、
自身の経験、克服した方法・考え方などに触れていきます。

今苦しんでおられるご本人さま、たいせつな人が苦しんでおられるご家族さまやパートナーさまに向けて、少しでも何かのお力になれましたらと思い、筆を取らせていただいている次第です。


どうか、ご自身の人生に花束を。

※私は専門家ではございませんので、具体的な質問等は受け付けておりません。ご容赦ください。
※このようなテーマが苦手な方もおられるかと存じます。お読みになられる際は、自己責任で、ご無理なさいませんようお願いいたします。



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