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留学中の日記を掘り返してみた

イギリス留学から帰国して1年が経つ。

当時お世話になった人から、少し早めの誕生日プレゼントとして紅茶が届いた。好きだったフレーバーティーの香りと共に恋しさが溢れ出てきたので、帰国直前に書いて眠っていた日記を掲載しようと思う。


「テロ事件から1年の今日、マンチェスターで思うこと」

ショッピングモールに入ろうとしたら入り口の前の広場に人だかりができていて、その空間だけやけに静かだったので私も足を止めた。黙祷の時間だった。

マンチェスター・アリーナで行われたアリアナ・グランデのコンサートでの爆発テロ事件から、今日でちょうど1年が経つ。1年前、マンチェスター大学での留学を数ヶ月後に控えていた私は、朝ごはんを食べながら耳の端で聞き流していたテレビのニュースでそれを知った。泣き叫んで走る人々と大勢の警察官たちの様子が繰り返し映されていた。日本でも超人気アーティストのコンサートだ。たった1年留学が早かったら自分がその場にいた可能性の高さを考えると、画面から目が離せなかった。

22人が亡くなったそうだ。事件後すぐに街の至る所で犠牲者を追悼する花やキャンドルが置かれ、市民が助け合って立ち上がろうとしている様子は日本でも大々的に報道された。自分の留学先を映像で見るのは初めてだったし、私はこの事件をきっかけに自分がこれから1年過ごす場所についてよく考えるようになった。普段サッカーのニュース以外で、日本でマンチェスターという街の名前を耳にすることはあまりない。それ以来マンチェスターに留学するんだと言うと、あーあそこに留学するんだ、テロ気をつけてね、とみんな口を揃えて言うようになった。ニュースを見るたびに、ああ私ここに行くんだ、とぼんやり思った。

恥ずかしながら、留学先としてマンチェスターを選んだ理由は大した理由でもなかった。そもそも留学に行く根本の理由は長期留学が必須の学部に所属しているからなのだが、世界中に散らばる周りの友達の志望理由はどれも眩しかった。国連関係の仕事を目指してフランスに留学する友達や、社会福祉や教育を学びに北欧へ留学する友達、日中関係の架け橋になりたいと中国へ留学する友達、学びたい分野に強い名門大学へ留学する友達。そして私は、そんな眩しい理由を見つけることができなかった。

私の大学では留学の校内選考は基本的に成績と英語力と志望理由で決まるのだが、負けず嫌い精神が発揮したのか運が良かったのか、出願時には400を超える提携校の大半には行ける成績があった。選びたい放題だった状況にいた私は砂を篩にかけるように留学先を絞った。なんとなく未知の世界だったヨーロッパに行きたいという理由でアメリカ、カナダとアジアを捨て、英語圏以外は生きていける自信がないという理由でイギリスに絞り、寮費と物価が高いから厳しいという理由でロンドンを省き、あとは面白そうな活動をしているサークルがあったことと、大学の雰囲気と、住みやすそうというただのイメージでマンチェスターを第一志望に入れた。サッカーファンには試合が見に行けていいなと羨ましがられたけど、チームの選手の名前は一人も言えなかった。

せっかくのチャンスなのに勿体無いといえば勿体無い、確かにそうだ。お金も時間もかかる留学に、いくら行かなければならない状況に置かれているとしても、雰囲気で行先を決める人はあまりいないかもしれない。しかし、逆に言えばお金も時間もかけて1年も住む場所。雰囲気はかなり大事である。学生のアンケート調査をもとに発表される、イギリスの大学の学生生活の満足度ランキングを丁寧にチェックし、寮やサークル、大学の制度など、項目別に比較してみたりなんかもした。

実際に8か月住んでみて、街が住みやすそうだという私の直感は間違ってはいなかった。端から端まで頑張れば歩けてしまうくらいの、大きすぎず小さすぎないこの街はとても暮らしやすい。国内屈指の大規模な大学でアジア系の留学生が多く、教室のほぼ半分を中国人学生が占める。そのため珍しがられることも差別されることもなく、特に中華食材店や中華料理屋の充実度は自炊生活の救いだった。好きな古着屋と本屋があって、地元の人が経営する小さなクラフトショップがあって、時間を潰せるいい雰囲気のカフェがあって、珍しく晴れた日には日が落ちるまでみんな日光浴している公園があって。特別なものはあまりなくても、この街が好きだった。

私はそもそも、街というものが好きなのかもしれない。
今まで20年間の人生で、平均的な20歳よりはおそらく、いろんな街に住んできた。潮風で自転車が錆びる港町から、自分の上下2学年くらいまでは全員把握できる静かで平和なベッドタウン、クラスメートの半数がアジア人だったアメリカ名門大学の学生街、反対に会う人全員に「君が人生で初めて会った日本人だ」と言われたアメリカ中西部の小さな町、一番近いコンビニには絶対車じゃないと行けない田舎町、電車を一本逃しても大して変わらないから時刻表を調べなくなった東京。

いろんな街に住んできて、その街を愛する人たちを見てきた。地元の友達は東京から帰省した私の口からポロリと零れた「マクド」ではなく「マック」という言い方に、染まっちゃったなあ、と怪訝そうな顔をしたし、大学で出会った生まれも育ちも東京の友達は、山とか見るとワクワクするけど都会の騒音の方がなんか落ち着くんだよね、と笑いながら新宿を闊歩した。何もないし不便だし、と愚痴をこぼす回数が多い人の方が、案外生き生きとその街の空気で呼吸しているような気がした。

海外では、街への愛情表現は日本のそれをはるかに上回る。観光地とは懸け離れた小さな町でも町の名前が入ったTシャツが大量に売られ、知り合いが出ているわけでもないのに、市民が地元の高校のグッズ全身に身に着けて部活の試合の応援に出向く。街のプロ野球チームが勝った時には、噴水の水の色から花壇に植えられている花、スーパーに並ぶドーナッツやマフィンの色までがチームカラーに染まる。

それはマンチェスターも例外ではなかった。テロ事件から1年が経つ今日まで街を愛する人たちをたくさん見てきた。街のシンボルである蜂の刺青を体に刻んでいる人をたくさん見てきた。今日の追悼式では広場に人とWe♡Manchesterの文字が溢れかえっていた。なんとなくでも直感でも、ここに来てよかったと思う瞬間がいくつもあったから、案外眩しい理由はいらないのかもしれない。もちろん明確な目標があるに越したことはないが、もしこれを読んでいる人でなんとなくだけど留学してみたいという人がいれば、なんとなくでもやってみることに価値はある、と私は思う。

今まで住んできた街にはそれぞれ好きな場所がある。住んでいた期間に関係なく、「ここはあなたのホームだから、いつでも戻ってきてね」と言ってくれる人に出会えたこと。たくさんの心の帰る場所、心のホームタウンがあることを嬉しく思うし、そんな恵まれた経験ができていることに感謝したい。

ショッピングモールを出て寮まで歩いて帰る20分の間に、たまたま10人以上の知り合いとすれ違って、ああここに10か月住んだんだ、と思った。留学初日、土砂降りの中傘を肩と首で挟んで巨大なスーツケースを2つ転がしながら、一人で紙の地図を頼りにホテルを探した日から、10か月も経ったんだと。東京の大学に通っても標準語は完璧にならなかったように、10か月ではマンチェスターの訛りはおろかイギリス英語も習得できなかったけど、すれ違い際に「久しぶり、元気?」なんて聞いてみて一人一人どこで出会ったか思い返していたら、10か月間の思い出が急に愛おしくなった。

置かれた場所で咲ける花に、私はなれただろうか。
いつか帰ってきたいと思う心のホームタウンが、また一つ増えた。

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