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小説「15歳の傷痕」82〜すれ違い

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― さよならの果実たち ―

何とか大谷さんの疑いを晴らした翌日、俺は昼休みには裕子と屋上で弁当を食べ、放課後にはいつものように下駄箱で待ち合わせて、裕子と一緒に帰った。裕子は前日に手紙で予告した通り、宮島口駅まで一緒に行くと言っている。

「ミエハル先輩!今日は何の日か分かる?」

裕子が手を繋いでから、聞いてきた。

「えっ?今日?9月8日木曜日…。なんだろ?ごめん、ギブアップだ〜」

「んもー、先輩!プンプンです!」

裕子はそう言い、繋いだ手にギュッと力を入れた。

「イテテ…。ごめん、教えてよ〜」

「先輩、忘れないでね!今日はアタシが先輩とお付き合いを始めて、1週間記念日なの」

繋いだ手に込めた力を抜き、裕子はそう言った。

「そっか!始業式の後だったもんね。1週間かぁ。たった1週間?って気もするし、不思議な気持ちになるね」

「アタシも。先輩のことが好きで好きで…。クラスマッチの時にはちょっと誤解しちゃったけど、一年越しで先輩に思いが届いた時のことは、忘れないよ」

記憶には自信がある俺だったが、まさか付き合い始め1週間記念日を持ち出して来るとは思わなかった。
こういう点は、女子ならではなのだろうか?

「でね、先輩!今度の日曜日は空いてる?」

「うん、空いてるよ」

「日曜日になると、付き合い始めて11日目なんだけどね、また先輩とデートしたいな、って思ってるの」

「ああ、いいよ。お出掛けしようよ!何処に行こうか?」

「色々先輩と行ってみたい所はあるんだ〜。アタシ、考えておくね」

「じゃあ、今度は行き先を裕子が決めて、俺には当日発表って感じかな?」

「そうだね!先輩には、宮島口駅で発表するね」

裕子は手を繋いだまま、俺のことを少し下から見上げるようにニコニコしている。

(裕子の笑顔って、本当に天真爛漫で癒やされるなぁ…)

その後も今日こんなことがあったんだ、とか最近よく見るテレビの話とかしていたら、いつものように、あっという間に宮島口駅に着いた。

「あ〜あ、もう先輩とバイバイしなきゃ…」

「大丈夫、また明日会えるよ」

「…うん、先輩、明日も元気に会おうね!」

「昼休みに、ね。あっ、そうそう、雨が降ったら、どこで昼休み待ち合わせる?」

「あ、決めてなかったね、先輩。うーん、あっ!」

「何々、いい部屋あった?」

「先輩、生徒会室はどう?」

「生徒会室かぁ。なるほど、それはなかなかいいね。職員室から鍵を借りなきゃいけないから、その時は俺が借りてくるようにしようか」

「うん、先輩ならアタシよりも先生方に顔が利くと思うし」

「じゃ、そうしよう。降らないのが一番だけどね」

「そうよね、先輩…。ねぇ先輩?」

「ん?どうしたの?」

「バイバイの…あの…チューして」

裕子は顔を真っ赤にしながら、俺にせがんできた。別れる時は頭ポンポンじゃなく、キスに変わってしまったのか。それくらい、裕子にとってはキスは衝撃的で、俺との絆の確認手段なのかもしれない。

「じゃあ今日は…地下通路はあまり毎回だといつか見付かるから、駅の脇の小屋の陰に行こっか」

「先輩が連れてってくれるんなら安心だから…」

俺は裕子を、宮島口駅の事務室がある辺りにポツンと立っている物置小屋の陰に連れて行った。

「わ、先輩、なんか…アタシ達、いけないことしてるみたい…」

「でも、ムード出るかもね。じゃあ、いくよ」

「うんっ。先輩、大好き…」

「俺もだよ、裕子…」

俺から裕子の肩を掴み、唇を合わせた。柔らかい裕子の唇を感じる。
お互いに一旦唇を離しては目と目で見つめ合い、照れながらどちらからともなく、再び唇を合わせる。
何度もキスを繰り返してから、裕子が言った。

「…これ以上、先輩とキスしてたら、アタシ、なんだかおかしくなりそう…。だから先輩、今日はこれでバイバイするね。じゃあね、先輩!」

裕子は大きく手を振りながら、広電宮島口駅の方へと走っていった。
俺はその後ろ姿を見ながら、キスの余韻に浸っていた。

とはいえ、いつまでも駅の事務所付近でウロウロしていたら、いくらN高の制服を着ていると言っても、駅員さんに叱られてしまう。

さて帰ろう、と定期券を探して改札を抜けようとしたら、何メートルか先に神戸さんがいるのを見付けた。

「神戸さん、元気?」

「……」

あれ?反応がおかしい。
耳をイヤホンで塞いでいる訳でもないし、俺が話し掛けたら、微妙に俺から距離を取るように離れていった。

「神戸さん、どうしたの?何かあったの?」

「……」

何も俺の問い掛けに答えようとしない。俺の方を見ようともしない。表情まで無表情だ。

俺は嫌な予感がした。

2年前、伊野沙織さんにフラレた時と酷似した雰囲気だからだ。

(私に近寄らないで下さい)

あのセリフは、2年経った今でも忘れられない。何度声を掛けても無視され、最後に話し掛けたらこの言葉が返ってきた。

もしかしたら2年前の悪夢が再現されるのか。俺は絶望の底に落ちる前に、神戸さんから離れた。いつも乗る、前から4両目の辺りに、1人で移動した。

その際も神戸さんは全く俺のことなど眼中にないように、全く微動だにしなかった。

(なんで?せっかく仲直りしたのに、元の木阿弥?俺が何か嫌われるようなこと、したのか?)

戸惑いが俺を襲う。

神戸さんの方を見ようにも怖くて見れないままモヤモヤしていると、岩国行の列車が来たので、俺は乗り込んだが、ついさっきまでと違い気分が滅茶苦茶になっていた。

列車から見える車窓まで、いつもと違って見える。

(裕子と付き合い始めた時は、良かったねと言ってくれたじゃないか。それが突然、なんでこんなに、存在をガン無視されるような扱いにならなきゃいけないんだ?)

玖波駅に着く頃には、悔し涙が溢れていた。

だが列車から降りてすぐ改札に向かうと、2両目辺りに乗っているだろう神戸さんを意識してしまう。

俺は駅に降りてから、ホームのベンチに座った。
そして悔し涙が溢れるのを、必死で拭った。


ドアが閉まり、岩国行は発車していった。
俺はベンチから立ち上がって駅を出ても良かったのだが、すっかり気力が失せていた。

ここ数日の自分の行動を振り返っていたが、もしかしたら裕子と宮島口駅の地下通路でキスをしていたのを目撃されたのだろうか。

確かに地下通路とはいえ公の場で何度もキスをしたのは悪かったかもしれないが、仮にその場面を目撃したからといってガン無視する程のことだろうか。

他にも理由があるのではないかと考えたが、全く思い浮かばなかった。

2年前、伊野さんに突然嫌われた時も、理由は分からなかった。

(ついこの前まで、広大に一緒に行けたらいいねとか、お母さんは大村をあまり気に入ってないとか、屈託なく話してたのに…)

そんなことを思い出していたら、再び涙が溢れてきた。

森川裕子という彼女が出来て調子に乗り過ぎという戒めだろうか。

何にしても天国から地獄へ落ちるのはあっという間ということだ。

2年半掛けて治ったと思っていた、15歳の時に受けた傷口が、再び開いてきた…、そんな気がしてきた。

その内、次の徳山行列車がやって来た。列車一本分、玖波駅のホームで悩んでしまったのか。まあ、この列車で降りた体裁で改札を出ればよいだろう…。

俺はそう考え、下車したお客さんの流れに乗り、改札を出た。

そこで俺は声を掛けられた。

「ミエハルくん?ミエハルくんだよね?」

振り向くと、そこには山神恵子さんがいた。

「あっ、山神さん…」

すっかり外見は、ごく普通の女子高生に戻っていた。それはとても嬉しかった。

「1週間ぶりじゃね!元気にしとる?吹奏楽部も引退して、ミエハルくんのことじゃけぇ、中学の時みたいに抜け殻になっとるんじゃない?」

山神さんは立て続けに話し掛けてきた。だが今の俺には、その弾丸トークを受け止める気力が無かった。

「…なんかね、1週間の間に山ほど色々なことがあり過ぎて…別の意味で、抜け殻だよ」

「ん?何か聞き捨てならないセリフだなぁ。そうなんだ、じゃあバイバイ!とは言えないよ。ミエハルくん、時間ある?」

「うん…。あるよ」

まだ夕方5時前だ。多少遅くなっても大丈夫だろう。

「じゃあ、前にも行った喫茶店で、お話聞かせてよ。ほんの少しでも力になりたいから…」

「いいの?忙しくない?大丈夫?」

「大丈夫よ。アタシがお誘いしてるんだから。さっ、行こうよ」

山神さんが強引に俺の腕を引っ張り、2ヶ月前に初めて訪問した玖波駅前の喫茶店に連れて行かれた。

「いらっしゃい!あ、お姉ちゃん久しぶりじゃね。髪の毛、黒くなったねぇ。似合うよ、その方が。彼氏さんも久しぶりじゃね」

「マスター、彼氏じゃないってば。今日はね、アタシの悩みじゃなくて、彼の悩みなんだ」

「ほぉ、立場逆転かい?まあまあ、好きな所に座りなよ。注文はいつものでいい?」

「うん、今日のコーヒー2つお願いね」

山神さんは俺を、やや奥の席に連れて行った。

「山神さんも久しぶりなん?」

「うん、アタシさ、2年間殆ど勉強してないようなもんだから、夏休みに塾に通ってたんだ」

「へぇ、頑張ってるね」

「基礎コースってのがちょっと情けないんじゃけどね、ハハッ」

「でも中学の頃の山神さんが戻ってきてくれて、嬉しいよ」

「ホントだよね〜。中学の時は青春してたなぁ。ちょっと汚点もあるけど」

「汚点って…。山神さんにはそんなもん、無かろう?」

「あるよー。先輩と付き合って、束縛されたこととか、ミエハルくんに失恋したこととか」

「先輩かぁ。孤高の人だったよね。でも俺に失恋したなんて、なんというか、光栄な話というと失礼なんじゃけど…」

「アタシが、もう少し早く先輩と別れてたら…。間に合ったと思うんだよね、今でも。アタシ、コンクールの時にやっと先輩と別れたじゃない?でもその1ヵ月前にチカちゃんとミエハルくんは付き合い始めたから…」

「チカちゃん…神戸さんね…」

「ん?急に暗くなったね。何かその辺りに、鍵がありそうね」

ここでマスターが、お待たせ、と言ってコーヒーを運んできてくれた。オマケに、クッキーが付いていた。

「ミエハルくんはミルクも砂糖も要る派だったよね。はい、入れてあげる」

「あっ、ありがとう…」

マスター淹れたてのコーヒーの香りが、心地好く感じる。

「さて、チカちゃんと何があったの?」

「簡単に言うと、仲直りしたのにまた絶縁されたみたいなんだ」

「え?なんかジェットコースターみたいな話ね。まず、仲直りしてたんだね」

「ごめんね、山神さんには何処まで話したか覚えてなくて」

「アタシは、夜に中学校の前までミエハルくんに来てもらった時に、初めてチカちゃんと別れてたのを知ったんだよね。その後も高校で恋愛面で酷い目に遭い続けてる、そこまでは聞いてるよ」

「そしたら、仲直りの話はしてないよね?」

「うん。ミエハルくんとチカちゃんが、N高でどんなだったのかまでは聞いとらんけぇね」

「詳しく話せば長くなるけど…フラれてから約2年半、まともに会話したことはなかったんだ」

「2年半!その期間も凄いけど、そこからよく仲直り出来たね!」

「うん。村山とか武田さんが主催して、竹吉先生の家に行くって計画を立てて、そこに俺と神戸さんもメンバーにいたんだ。で、いつの間にか神戸さんと二人切りにさせられて、会話しなきゃいけなくなって、仲直りに繋がった…という訳」

「なるほどね。竹吉先生も懐かしいなぁ…。でもさ、逆にそれまでミエハルくんは、チカちゃんと全く話さなかったの?」

「まあ必要最低限の会話はしてたけど…。あくまでも業務的な会話かな。私的な会話はほぼゼロだったよ」

「そうなんだ…。でも2人が同じ高校に行ったから、逆にそうなったんだよね。別々の高校だったら、多分喋れないままで。ミエハルくんは多分チカちゃんを許さない!って気持ちのままだっただろうね」

「そこは運命的なのかな、とも思うんだ。それで、一度仲直りしたら、普通の女子の友達みたいに話せるようになって、吹奏楽部の同期生と集団で、になるけど、プールにも行ったんだよ」

「へぇー。そこまで仲直りしたのに、また絶縁されそうなの?」

「…そうなんだ…」

「思い当たる節はある?」

「それが無いから、戸惑ってるんだよね。しいて言えば…俺、2学期に入ってから、後輩なんだけど、彼女が出来たんだ」

「わ、そうなんだ〜。良かったね!ちょっと悔しいけど。なーんてね」

「また山神さん、そんな惑わせること言うんだから〜」

「ごめん、ごめん。で、ミエハルくんに彼女が出来たのが、チカちゃんには気に入らなかったのかな?」

「いや、彼女と一緒に帰ってるのを見られて、彼女が出来て良かったね、って言ってくれたんだよ。ついこの前…」

「そうなの?うーん…」

「突然無視されたのが、ほんのついさっきなんだよ。宮島口で姿を見掛けたから、声を掛けたら、俺のことなんか眼中にないみたいに、何を話し掛けても返事はないし、顔も見ようとしてくれないし、少しずつ俺との距離を遠ざけようとするし…」

「えーっ、意味分かんない…。同じ女として考えても、なんで?って思っちゃうよ」

「俺、何をしたんだろう…」

ここで丁度2人ともコーヒーを飲み干したので、山神さんが俺にお代わりする?と聞いてきた。まだモヤモヤしているので、もう1杯頼んだ。

「マスター、コーヒーのお代わり2つお願ーい!」

「はーい、分かったよ」

素敵なジャズが流れる店内だ。いつか裕子と来てみたいな…。
お代わりの2杯目は、すぐにマスターが持ってきてくれた。

2杯目に砂糖とミルクを入れながら、

「ねぇミエハルくん、チカちゃんは引っ越してないよね?」

と、唐突に山神さんが聞いてきた。

「あぁ、多分…」

引っ越したという話は聞いたことがないから、ずっと同じ住所だろう。

「じゃあ電話番号も変わってないと思うから、アタシが今夜にでも、チカちゃんに電話して聞いてみようか?」

「えっ?電話?」

「うん。チカちゃんに無視されて凄い落ち込んだミエハルくんに出会ったんだけど、何かあったの?って」

「いや、いいよ、そんな山神さんに迷惑掛けるようなことはしなくても…」

「迷惑なんかじゃないよ。御礼だよ」

「御礼?」

「うん。不良になったアタシと変わらずに接してくれて、アタシが元に戻る勇気をくれた御礼」

「そんな…。大したことしてないよ、俺は」

「いいの。ミエハルくんが大したことなくても、アタシには大したことだったんだから」

そう言い、山神さんは2杯目のコーヒーをグイッと飲み干した。

「これ以上、ミエハルくんがN高でさ、悩みを抱えながら過ごさなきゃいけないなんて、可哀想だよ。せっかく年下の彼女が出来たのに」

「……」

「電話した結果は、早く教えて上げたいけど、今夜だと何時になるか分かんないから、明日の朝、この前と同じ列車で待ち合わせない?宮島口に着くまでに、教えてあげるよ」

「いいの?こんな面倒なことを頼んでも…」

「うん。知らない仲じゃないし、それより何より、小学校から一緒だったんだもん。気にしないで」

「ごめんね、本当に」

「たまにはアタシに、ミエハルくんの役に立つことさせてよ、ねっ」

そう言うと山神さんは立ち上がり、マスター、いくら?と代金を聞いていた。

「また揉めるのもアレじゃろう。彼氏も彼女も、1人500円!」

「いいんですか、マスター。安い!助かります」

と俺が500円玉を探している内に、山神さんは先に千円札1枚を渡していた。

「あっ、山神さん、それは…」

「いいの、いいの。後でミエハルくんから600円もらうから」

「ハハッ、なんかお二人はお似合いだよなぁ。また二人でお出でね」

「マスター、また上手いこと言うんだから。アタシと彼とは、どうもタイミングが合わない宿命なのよね」

「そうかい?二人を見てるとさ、俺も青春時代を思い出すよ。また来てね」

「はい、ごちそうさまでした!」

俺が一足先に外へ出て、財布の中から500円玉を見付け、山神さんに渡そうと待っていた。

程なく山神さんも店から出て来たので、はい、と500円渡そうとすると、山神さんは拒否した。

「なんで?結構負担じゃろ。もらってよ」

「いいの、いいの。もしさ、チカちゃんとミエハルくんの仲が戻ったら、その時に成功報酬として頂戴ね」

「本当にいいの?」

「うん、いいよ。アタシはミエハルくんが幸せになってくれれば、満足だから」

「じゃあお言葉に甘えて…。でもいつか絶対に払うからね!」

「うん、分かったよ。じゃあまた明日の朝にね。バイバーイ」

山神さんは自転車に乗って、先に帰った。

時間は6時過ぎだったが、夏と違い、もう暗くなり始めている。

(一体どんなやり取りが2人の間で起きるんだろう…)

俺は期待と不安が入り交じる中、ゆっくりと家路についた。

<次回へ続く>

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