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短編小説「バレンタインデー」前編

序章

「お母さーん、友チョコ作りが間に合わないから手伝ってよー」

今年高校受験を控えているというのに、ウチの一人娘、伊藤真美は受験勉強より、バレンタインのチョコ作りに熱心だ。

「もう、どこが間に合わないの?」

「全然お湯の中で溶けてくれないんだもん!」

「そりゃそうよ、こんなでっかい塊をそのままお湯に浸けてても、すぐ溶けるわけないよ。もっと細かく切り刻まないと…。一回外へ出して、包丁で細かく切ってみなさい」

「はーい」

真美はお湯の中から若干表面が溶け出しているような、ビニール袋に入った大きなチョコの塊を取り出し、アツッと言いながらリビングのテーブルに持って行った。

(昔は女の子から好きな男の子に上げるのが定番だったのに、時代は変わったんだね)

そんなことをつい思ってしまう私は、伊藤咲江、38歳。

主人と結婚して16年。結婚願望が強かった私は、大学を卒業したらすぐ、素敵な旦那様を見付けて結婚するのが夢だった。
白馬に乗った王子様は、意外な人だったけど。

でも私の夢を叶えてくれた主人には、今も感謝してるの。大好きだし愛してるし、主人無しの人生なんて考えられない。
勿論、私達の愛の結晶、一粒種の娘、真美も大事な大事な存在。
こんな私を「お母さん」にしてくれたんだもの。

「うぬぬ…敵は硬いでござる…」

包丁を持ってチョコの塊と格闘しながら、こんな面白いこと言ってる娘がいなくなったら、寂しいなんてものじゃないよ。

「ねえ真美、好きな男の子とかいないの?」

「男子?あんなエッチなことしか考えてないような連中、眼中にないよ~」

あんなエッチな連中って……どうやら初恋すら未経験のようだねぇ…。

そんな娘がチョコの塊と悪戦苦闘している光景を見ながら、私は平成元年に出会った旦那さんとの、バレンタインデーの出来事を思い出した。


1「軽音楽部」

石橋咲江は、やっと大学に進むことができ、一安心していた。

「大学に行くのは構わないが、自宅から通える大学」

という条件を両親から付けられていたので、自ずと横浜付近の大学と、選択肢は狭まってしまっていた。
だがその狭い選択肢から、何とか男女共学の4年制の大学の文学部に合格出来た。

だが咲江は、結婚してもいい相手を探すのが、大学進学の一番の目的だった。

それには咲江の両親の影響がある、
大恋愛の末、双方の親の反対を押し切って結婚したと聞かされて育った咲江は、その言葉が嘘ではないことを、これまでに何度も目撃していた。

(よくもまあ娘のいる前で・・・)

と思うような場面もあったが、結婚して何年経っても、冗談を言い合って笑いの絶えないラブラブで明るい両親の下で育つと、咲江自身、早く結婚したいという結婚願望が強くなっていた。
咲江も自由奔放に育ててもらい、性格も明るく友達は沢山出来た方だ。

だが明るすぎる性格が災いしてか、恋愛面ではなかなか上手くいかなかった。

好きな男子が出来ても、友達がその男子を好きなんだと知ったら、自分から身を引いていたし、高校の時は真面目に告白したのに、真面目な告白と受け取ってもらえずにフラれたことも多々あった。

だから大学では、新たな清楚な女の子に生まれ変わるんだ、という意気込みでサークル探しを始めた。

中学時代はテニス部、高校時代は陸上部と、スポーツ系の部活に入っていた。
もともと体育が好きというのもあるが、部活もやっぱり体を動かす体育系を選んだのだ。

だが大学のスポーツ系サークルとなると、遊ぶのがメインの目的みたいなサークルと、目指せインカレ、全国大会!というような激しいサークルに二分されていた。

咲江が望むような、程よく活発で、程よく和気藹々としたスポーツ系サークルは、残念ながら無かった。
中学時代に経験したテニス部は、どう考えても他大学とのコンパが目的にしか思えないチラシだったし、高校時代に経験した陸上部は、ちょっと練習を覗きに行ったが、想像を絶する厳しい世界のようだった。

咲江は体育系サークルは諦め、もう一つの楽器をやってみたいという夢を叶えたくなった。改めて新入生用各サークルポスター掲示場を眺めてみると…

吹奏楽部、管弦楽部、交響楽団、ギター部、箏曲部、軽音楽部、マンドリン部、合唱部…

(音楽系だけでも、たくさんあるんだね)

どの新入生勧誘ポスターにも、「初心者歓迎」の5文字はあるが、それでも吹奏楽やクラシック関係は、敷居が高いように思えた。

悩んだ挙句、咲江が選んだのは「軽音楽部」だった。
ポスターに書いてあった小さな字の説明を見ると、軽音楽部の中に更にバンドがいくつか存在していて、プロ級のバンドもあれば、咲江のような初心者向きのバンドもあり、その内気が合った仲間が集まれば、1つのバンドとして部内独立も出来るらしい。

(きっとアタシみたいな初心者もいるはず!)

咲江は軽音楽部の部屋へ向かった。

「あの~、初心者なんですが、見学させてもらってもいいですか?」

応対してくれたのは2年生の伊藤正樹という部員だった。

「いらっしゃい、どうぞどうぞ。軽音楽部に興味を持ってくれて、ありがとう。初心者なんだよね?実は俺も初心者だったんだよ。でも楽器をやってると楽しいよ!何かやりたい楽器とか、決めてる?」

「うーん、アタシは何の楽器が向いてますかね?」

「あ、楽器は決めてないけど、とりあえず音楽をやってみたいってパターンだね。まさに去年の俺と一緒!そしたら、とりあえず初心者が練習しやすいのはサックスだと思うから、サックスを吹いてみない?俺もサックスから始めたんだけど、今年卒業した先輩が使ってたサックスがあるから、それを使えばいいし」

と、伊藤という1つ上の先輩は、咲江に丁寧にいろいろと教えてくれた。

咲江もサックスについて教わりながら、サークルの雰囲気を掴もうとしていた。

(割と女子も多いんだね。まだ先輩方の輪には入れないけど、あの輪に入れるようになって色々お喋り出来るようになれば、楽しそう♪)

「先輩、一つお聞きしていいですか?」

「ん?何?」

「新入部員は、しばらくは何してればいいんですか?」

「そうだね、ウチの部は、小さなジャズバンドの集合体みたいなものだから、まずは所属バンドが決まるまでは、楽器庫にある名前シールが貼られてない楽器を好きに選んで、試奏出来るんだ。ちなみに名前シールが貼ってあるのは、現役部員の楽器。貼られてないのが、卒業したり途中で退部したりした方の楽器。色々な楽器を試してみて、自分に一番合うな、と思った楽器が決まった頃に、正式な入団会をやるんだ。その時に先輩方が、ウチのバンドに!ってPRしてくるから、その中からイシバシさんだったっけ?の、好みに合うバンドに入りたいって言えばいいよ」

「なるほどです…。ちなみに先輩が参加しておられるのは何バンドですか?」

「俺も去年は初心者だったからさ、初心者ならウチらのバンドにお出でよって誘ってくれた、『グリーンズ』ってバンドなんだ。リーダーはトロンボーンを吹いてる先輩で、今年4年生になられた…はずの、女子の先輩だよ」

「なられたはずと言うのは、なんですか?」

「大学だからさ、取得単位が満たされてないともう一度3年生…留年ってヤツだね、そういう掟があるんだ。リーダーは一つでも履修科目を落としたらヤバいって言ってたけど、どうなったやら?新年度になってからお会いしてないから、まだ分からないんだよね」

伊藤は自然に微笑みながら、色々と教えてくれた。その間にも、見学に来る新入生がいて、その時に手の空いている上級生が案内をしていた。
咲江が見ていたら、マイ楽器を持参している強者もいて驚いた。

なんとなく最初に誰に案内してもらうかで、その後の軽音楽部での担当楽器とか立ち位置が決まるような気がした。
咲江は伊藤正樹が応対してくれたため、サックスを試し吹きしているが、打楽器の方に出会ったらドラムとかだろうし、トロンボーンの方に出会ったらトロンボーンを選ぶんだろう。
ある意味、運命的なのかもしれない。

もちろん咲江は、もう他の楽器を試そうなんて気は起きなくなっていた。
サックスという楽器が、昔小学校で習ったリコーダーと同じように指を押さえればいいというのと、やっぱり華やかなイメージがあるからだ。

最初に声を掛けてくれた伊藤に恩義すら感じている。

「先輩!」

「ん?」

「アタシ、もうこのまま先輩の召使いとして先輩の入っておられる、グリーズでしたっけ…に入れて下さい!」

「召使いって大袈裟だね~」

伊藤は楽しそうに笑った。

「召使いとしてじゃなくていいから、じゃ、俺のいるバンドで決めちゃう?イシバシさんはそれでいい?他の楽器とか試さないでもいいかな?」

「はいっ!大丈夫です!よろしくお願いいたします!」

こうして石橋咲江は、新入団会を待たずに、グリーンズのメンバーになることになった。


2「活動開始」

グリーンズのメンバーは、12人となった。
クラリネット1人、サックス2人、トランペット4人、トロンボーン2人、打楽器2人、弦楽器1人という構成だ。
サックスは結局、伊藤と咲江の2人で担当することになった。
他にも楽器初心者の1年生が、トランペット、トロンボーン、打楽器に1人ずつ入ったので、12人中4人が1年生という、フレッシュなメンバーだ。

伊東が4年生に上がれたか心配していたトロンボーンのリーダーは、無事に4年生に上がれたようで、新たなグリーンズの結団式で挨拶していた。

「1年生の皆さん、グリーンズに入ってくれてありがとう!私は一応リーダーをやらせてもらっている、4年生の大谷といいます。楽器はトロンボーンです。多分1年生のみんなはグリーンズを選んでくれた時に、付いてくれてた先輩から聞いたと思うけど、みんな大学に入ってから楽器を始めたメンバーばかりです。アタシも高校の時は、レスリング部でした」

ここで皆が驚きの声を上げた。とてもそんな格闘技をしていたような体には見えなかったからだ。

「いやん、そんなに褒めないで♡」

ここでどっと皆が笑ってしまう。流石リーダーだけあって、話が上手いな~と咲江は感心していた。

「あと、この軽音楽部の説明だけど、普段はみんな各バンドで楽器ごとに練習したり、バンド単位で練習したりしてます。たまに夏祭りとか地域のイベントで、バンド別に声がかかることもあります。夏休みには全体の合宿もあります。秋の大学祭では、軽音楽部のバンド全員で、1つのビッグバンドになって、何曲か演奏します。だからとりあえず夏休みまでは、同じ楽器の先輩と、練習日を調整したりして、少しずつ楽器の腕を上げていってくださいね」

はい!と1年生4人が返事をして、この日はそのまま楽器ごとの練習となった。

咲江が選んだサックスは、伊藤と2人だけなので、常に伊藤と練習することになる。

結団式後、何度か練習していても、話は必然的にお互いの情報を聞き合うことになる。

これまでに咲江が聞いたところ、伊藤は今は自宅からこの大学に通っているが、家庭の事情で秋から親と離れて、アパートで暮らさねばならないとのことだった。

咲江もサークルに慣れ、他の同期生や先輩方と喋る回数も増えてきたが、やはり一番話をする相手は、伊藤だった。

ある初夏の練習日に、咲江は伊藤に聞いた。

「先輩、彼女とかいらっしゃるんですか?」

「えっ、彼女?」

やっぱり2人しかいないサックスで、それが男と女であれば、これは避けては通れない質問だろう。

「はい、先輩はサックスを華麗な吹いてるイケメンだと思うので、きっと女の子が押し掛けて来てるんじゃないかと…」

伊藤は大笑いした。

「先輩、アタシ変な事言いました?」

咲江は何故伊藤が笑うのか分からなかった。サックスを吹いてる姿は格好良いし、背も高いし、ルックスだって標準以上だし。

「石橋さん、俺はモテモテのイケメンなんかじゃないよ。俺には彼女はいないよ」

「そうなんですか?信じられないですけど…」

「俺なんかより、石橋さんの方が可愛いし、彼氏とかいそうだけどな」

「えっ、アタシですか?」

咲江は、ことごとく告白が失敗に終わってきた中学高校時代を思わず思い返していた。
ネアカすぎるのと、体育系の部活だったためショートカットにしていたことが災いして、女子の後輩にはモテるが、男子に告白しても本気と思ってもらえないという体験ばかりしてきたので、大学では本気で彼氏を作り、願わくば結婚相手まで見付けたくて、おとなしく清楚な女子になることを目指していたのだ。

「アタシは今まで、彼氏とか恋愛なんて言う世界とは別次元で生きてきましたので、年齢イコール恋人いない歴の方程式が成り立つんです」

伊藤は咲江のその話を聞いて、また笑った。

「先輩、アタシ変なこと言いました?」

咲江はなぜ伊藤が楽しそうに笑うのか分からず、尋ねてみた。

「いやいや、石橋さんの喋り方がツボでさ。独特な表現するよね。本当はもっと元気で明るい女の子なんじゃないかなーって。髪の毛もショートだし、なんとなく中高時代はスポーツ系の部活やってたんじゃないかな?どう?俺の推理、当たってる?」

咲江は伊藤に全て見抜かれたような気がして、動揺してしまい、顔が赤くなるのが分かった。

「先輩、アタシのこと、そんなに分析しておられたんですか?なんか、恥ずかしいです」

伊藤はそう言って顔を赤らめる咲江に、初めてちょっとした好意を感じた。

「ということは、結構俺の予想、当たってた?」

「はい。中学ではテニス部、高校では陸上部にいました」

「へぇー、凄いじゃん!スポーツ好きなんだね。ちなみに俺もスポーツ系でさ、中学高校とバレー部だったよ。あ、踊るほうじゃなくて、ボールを打ち合うほうね」

この一言が咲江に刺さったようで、遂に咲江は笑ってしまった。

「俺のこんなオヤジギャグでウケてくれた子、初めてだよ。ありがとうね」

と、伊藤はあくまでも爽やかに、咲江に接した。

「はい、アタシの持論ですけど、オヤジギャグをいう人に悪い人はいない、ってのがあるんです。だからきっと伊藤先輩もいい人です!」

「そ、そう?ありがとう。俺の場合、いい人の上に、『どうでも』ってのが付くかもしれないけど」

伊藤がそう言うと、また咲江のツボだったのか、声をあげて笑っていた。

「すいません、先輩。アタシと先輩って、似てるな、とか思ったんですけど、どうですか?」

「そうだね~。なんか俺たちさ、笑いのツボが一緒だよな。俺がちょっと石橋さんに笑ってほしくて喋ったりしたら、ちゃんとウケてくれるしさ。石橋さんの喋り方も、なんか独特で面白いから、俺、好きだな」

伊藤は、咲江の喋り方が好きと言ったのに、咲江は「好き」という単語だけが強調されて脳裏に焼き付いてしまった。

(カッコいい伊藤先輩が、アタシのことを好きだなんて!アタシ、どうすればいいの?)

咲江の妄想癖が始まってしまった…。

<次回へ続く>

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