Naked Desire〜姫君たちの野望

第一章 心の壁−5

声の方向に視線を向けると、清楚な雰囲気を漂わせた一人の令嬢が、恭しく頭を下げた。
彼女は、ルイーゼ・ヴィクトリーヌ・エリナ・ビルギット・フォン・ゾンネンアウフガング=ホッフヌング。私の妹だ。
「おはよう、ルイーゼ。ずいぶん早いのね」
「わたくしがが早いのではなく、お姉様がお寝坊なのですわ」
やや険のある口調で、妹が応じる。
妹の食卓に目をやると、皿の料理はきれいになくなっていた。
ルイーゼは食後の紅茶を、おいしそうに飲んでいる。
「お姉様、早く食べないと遅刻しますわよ。オルガじゃないけど、お姉様はいつもノタノタしているんですからね」
「ここでオルガと同じセリフを言わなくてもいいでしょ?」
私も言い返すが
「わたくしは、事実を申し上げているのです」
と、素っ気なく応じる。
ハイハイわかりましたよ、と私は心の中でぶつくさ言いながら、ルイーゼの隣に座る。こんなところで議論するのは、時間とエネルギーのムダだし、侍従や女官の目もある。これ以上私のイメージが低下するのは、なんとしても避けたい。
「いただきます」
といいながら、私は両掌を合わせる。
焼きたてのクロワッサンを引きちぎり、それを口に運ぶ。クロワッサンの香ばしい香りが、私の鼻を刺激する。
(うーん、おいしい)
私は心の中で呟き、クロワッサンを飲み下すと、スクランブルエッグにケチャップをかけた。それをナイフとフォークで切り分けて口の中に入れ、ゆっくりとかみ砕く。
上質なバターの匂いと濃厚な卵の味が、口の中に広がっていく。
「ああ、おいしい」
小声で呟きながら、ゆっくりと視線を上に上げる。
私から見て左前に、オルガの姿があった。だが顔の表情は硬いままだ。
「さっきはごめんね」
私はオルガに声をかけるが、彼女は私の問いかけを無視する。視線をこちらに向けるず、黙々とスクランブルエッグと格闘している。
「これ、誰が作ったの?」
「焼いたのは調理担当者ですが、下ごしらえをなさったのはオルガ殿下でございます」
私の問いかけに、女官が答える。
「さすがはオルガだね。やはり管理栄養士を目指しているだけあって……」
「さっさと食べな!」
オルガの怒鳴り声が、ダイニングに響いた。
ダイニングにいる使用人の視線が、一斉に私たちに向けられる。
「朝っぱらから怒鳴らなくても……」
こみ上げてくる怒りを抑えながら、私はオルガに返事をするが、彼女は上目で私を睨みつけながら、黙々と食事をしている。
周囲では、使用人がひそひそと会話している。
その様子が気に触ったのだろう。オルガの表情は、ますます険しくなった。
残ったクロワッサンとスクランブルエッグを頬張り、スープの入ったティーカップを、両手で掴んで一気飲みするという、およそ上流階級の姫君らしからぬ食事マナーで、彼女は食事を終えた。
食器をテーブルの上に置いたまま、彼女は乱暴に椅子を下げ、ダイニングを出て行こうとする。
「殿下、お飲み物は?」
という女官の問いかけに
「いらない! ごちそうさま!」
と吐き捨てると、彼女はバタバタと大きな足音を立ててダイニングから出て行った。
「……朝っぱらから、イヤな感じね」
その様子を見ていたルイーゼは、ムッとした表情をしながら、残った紅茶を飲み干し、カップを静かにソーサーに置いた。
「お姉様、なぜオルガは怒っているのですか?」
冷ややかな口調で、妹は私に鋭い視線を向ける。
私は、今朝のオルガとのやりとりを話した。
「お姉様、それはオルガが怒るのも当たり前ですわ。何年も一緒に暮らして、それがわからないのですか?」
ルイーゼはそう言うと、口を「へ」の字に曲げた。
彼女は何か不満があると、口を「へ」の字に曲げる。今もそうだ。かなり私に、不満を持っているのだろう。
「確かにかつてのオルガは、手もつけられない不良娘でした。でも、彼女はお姉様に対しては、かいがいしく尽くしてくれているではありませんか?」
オルガに同情するルイーゼだが、彼女は普段からオルガと仲がいい……わけではない。
現実は逆で、本人のいないところで、お互いにグチグチと陰口を叩き、姿を見たら見たで嫌みを言い、罵り合っていることは、屋敷の全員が知っている。
普段からうわべでは「いい子」を装いながら、どす黒い本音を隠しているルイーゼは、オルガと違った意味で問題児だ。表裏の差が激しく、彼女のことを嫌う関係者は、当人が思っている以上に多い。彼女を陰で「黒エリー」「白エリー」という友人や女官もいるくらいだ。
「私が悪かったのは事実だけどさ、あなただって、オルガのことを嫌っているでしょ?」
私が反論すると、ルイーゼの声が1オクターブ高くなった。
「私が怒っているのは、お姉様が悪いからですわ!」
妹は、そう言うとテーブルから立ち上がる。

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