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悲しみに賞味期限なんてあるわけないじゃん

人から傷つけられる時、

「言葉」「暴力」「行動」

が武器だ。

相手を傷つけようと悪意を持って吐く言葉はもちろん、傷つけようと思っていなくても傷つく言葉はある。映画『パラサイト 半地下の家族』でも言えるような「無意識の悪意」
わたしは個人的に、この「無意識」というものは何にも勝る凶器だと思っている。
ましてや、普段、武器を武器と認識して生きている人間からしてみたらよっぽどこの「無意識の悪意」について理解できない部分が多い。

「そんなつもりじゃなかった」
「そこまで考えてなかった」
「まぁ大丈夫でしょうと思ってた」

こんなふうな浅い考えで放つ言葉なわけだから、根拠という根拠がないのだ。傷つくための暴言ならば、喧嘩ができるし、嫌いになれる。言葉の種類によっては人格を疑えるし、二度と会わなくていいようにできる。
しかし無意識のそれを放たれた場合、ボールを投げ返したところで往々にして相手からきついボールは期待できない。
そんなつもりはなかった、ごめん。などと軽く謝られたりするものだ。

でも言葉は消えるわけではない。
これまでの人生の中で、何度も「謝られたら放たれた言葉の記憶が消去できればいいのに」と思ったことがある。ミッションインポッシブルみたいに5秒後に消滅されたら良いのにと。

暴力に関しては、問答無用、悪意があったとしてもなかったとしてもどちらもNG。

でも、行動はまた言葉と似ている。
傷つけようとして選ぶ行動に関しては、問い詰められるし、相手も理由を説明できる。なぜ傷つけようとしたかによってその後の関係を選ぶことができる。そして、「無意識の悪意」に基づく行動に関しては、言葉の場合と一緒。問い詰めたとしても、「そんなつもりはなかった」と言われるだけで、なにも解決しなければ心も救われない。
むしろ「こんなことに対して言っている自分が小さい人間なのかな」と自己嫌悪に陥ってしまうこともある。

そしてこちらも、謝られたらその行動の記憶が5秒後に消滅されたら良いのに、と思う。


悲しみや傷ついた過去は、癒されることがあったとしても賞味期限なんてあるわけじゃない。いつだってすぐに泣けるし、いつだって心をボロボロに砕かれた時間に戻ることができるのだ。
ただみんなそれを選ばないだけ。


「どうする?泣く?それとも笑う?」
「どうする?泣くだけの日にする?それとも仕事いく?」
という問いに対して、笑うことを選んでいるだけだし、仕事をすることを選んでいるだけ。



悲しみに賞味期限などないのだ。
生きている限りはずっと。

笑っているから元気。
泣いてないから辛くない。

なんて勝手に決めてくれるなよ。





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