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珍獣としてどこまで戦えるのだろうか

※あくまでも個人の体験記であり、当時私が置かれた立場から感じたことを素直に記載しています。不快な表現となっておりましたら申し訳ありません。

発達障害者は、生きづらい。
発達障害者は、定型発達に標準化された社会に適応できず、かなり重たいハンデを負う。加えて、社会的な性別役割の通念にも葛藤を抱えることになり、精神的な負荷も非常に大きい。

私は女性であるので、女性の葛藤という面では以下のような苦しみがある。
女性らしさには、他者の真意を汲み取る、察する、一歩引いて受容的に寄り添う、几帳面という社会的要請が強く、そうした役割を担うべきという役割定義が織り込まれている。そして、厄介なことに、女性が夢想する女性性もまた、そうした行動特性を意識していることが多い。
女性の発達障害は、こうした汲み取る、寄り添うという行動が極めて苦手であることが多く、女性らしさと自己を同一視すると自己嫌悪に陥り、一瞬で二次障害の鬱になる。

社会に出てしばらく経ったので、こんな私も”女性らしさ”を演じることはできるが、疲れていると衝動性がコントロールしにくくなり、自分のおしゃべりを止められず、相手の話に寄り添うことができなかったり、約束の時間に遅刻するなど、”女性らしさ”を演じきれないことによる自己嫌悪に未だに陥る。

こうした二次障害の鬱を回避するには、社会通念的な女性らしさと、自己を切り離して考え、ストレスコーピングするという仕草が必要であるが、それは同時に、現代社会が共有している女性らしさへの共通認識から、自身が大きく逸脱するという意味でもまた、喪失感を味わう結果に結びつく。いずれにせよ、孤独感からは逃れられない構造の中にある。

男性においても同じような葛藤はあるのではと思う。
旧来の男性社会であれば、仕事上の競争による成果や役職などが男性としての価値そのもののように扱われることが多く、男性とは社会の中で自分の役割を確立し、役割や範囲を向上させることで社会的報酬の向上も求めるべきである、という生き方は、まだ社会の中に残っているように思う。そうした性別役割を実現するには、発達障害の得手不得手の凹凸は不利になることが多い。そうした側面で、男性らしさと自己の折り合いがつけられずに葛藤するということは起こっているのではと思う。
単に、現代社会の標準化された労働像に適応するのが難しいという話だけではなく、性別役割という社会通念との折り合い、という難しさも発達障害の苦しみの中にはあると思う。

また、発達障害には別の側面の悲哀がある。発達障害の中にも“レベル”が存在するということだ。
発達障害の分類に、「バリ」、「ギリ」、「ムリ」という概念を作った人物がいるが、それぞれに悲哀がある。
私はどちらかというと、「ギリ」から「バリ」に移行しつつあるタイプだと思う。
正直に言うと、20代すべてをかけて、「ムリ」から「ギリ」に移行し、30歳を節目に、「ギリ」から「バリ」に移行しつつあるような有り様であり、移行するために20代で働き詰めて、恋愛やら、趣味やら、楽しい思い出やら、定型発達者よりも失ったものは多い。

奇跡的に、私は世間一般的には大手企業社員という範疇の中でキャリアを築いている。もちろん、発達障害の中には、そういう属性になることが人生の選択肢に入ってこなかったという方もいることは重々承知している。
こうしたことを書くと、自称発達障害者の戯言、と思われそうだが、私はなんとなく自己認知で発達障害と判断しているわけではなく、精神科でWAISも受けている。
診断としてはグレーゾーンであり、「ギリ」のカテゴリにいるのは、幸運なことに、一般よりもややIQが高かったことにより、そこそこにメタ認知ができ、自分の行動の軌道修正ができたから、であると思っている。

ただし、認知ができるということと、改善できるということの間には大きな隔たりがある。認知ができると言っても、私の周囲の定型発達エリート層からすると赤子のようなもので、20代前半は、自分の感情が制御できず、自我のアンコントロールぶりに、わかりやすいレッテルとして「メンヘラ」という心無いラベリングをよくされたものである。辛いものだ。

社会に出て失敗し、認知によって”ズレ”を把握し、改善行動に落とし込み、実行する、を繰り返してなんとか自己コントロール力を高め、いわゆる
「メンヘラ」的な仕草も抜け、社会適応もましになってきている。
私なりに、20代という若い時代を差し出して、定型発達っぽい擬態の仕方を身に着けたが、できることならそんな労苦は味わいたくなかった。

私の20代は、新卒で入社した企業で入社1年で鬱病になり、休職もし、その間、一人暮らしの自宅から一歩も外に出られず、クレジットカードの支払いもできず、カードを強制解約され、信用にもきっちり傷がついている。
復職後、5年程度かけて、ほぼ常に鬱状態のメンタリティで、業務適応をし、その後、外資コンサルティングファームに転職した。
そこそこの報酬を得ている身でありながら、未だに、傷ついた信用は私を許してくれず、ロイヤルティの高いカード会社から審査落ちの連絡はもらうし、住宅ローンの通りも悪く、社会からの“通知表”をもらうたびに、忘れたい過去が追いかけてきて暗澹たる気持ちになる。

一方、私の周囲は、外資企業のエリート様々なので、定型発達の中でも“上澄み”の層であり、私が生まれたような、子供の塾代を惜しむようなマイルド貧困の機能不全家庭でもなく、そうした世界とは一生世界線が交わらない人種の集まりである。
日々彼らから”遺伝子・親ガチャ格差”を見せつけられ、悔しさで叫び出したくなるが、その集団の中で、機能不全家庭の発達障害者として生きていくことは、自分という珍獣の挑戦だと思っている。

珍獣なりに、爪痕を残そうと決意して、「ギリ」から「バリ」に移行しようと思ったきっかけについても触れたいと思う。
社会人1年目の休職期間中に、都内のある精神病院のリワークに半年ほど通った。
リワークというのは鬱病や適応障害等で休職した人材が復帰に向け、医療機関が患者同士のグループワーク等を提供するプログラムである。
その場には、様々なバックグラウンドの患者が居合わせていたが、中には、発達障害が起因して鬱病を発症している患者もおり、「ムリ」、「ギリ」の人材もちらほらいた。そうした人材はグループワーク中に、矢継ぎ早に喋りコミュニケーションが成り立たない、多動が過ぎて席から立ち上がってしまう等、特徴的な行動を取り、本人もコントロールができず、生きづらさの渦中にいたように思う。彼らはメタ認知を使いこなすことができず、自身の行動を、客観的に分析・改善し、社会に適応させていくことは限界があるように見えた。
当時、関西の大学を卒業し、いわゆる大手企業に入社していた1年目の社員だった私にとって、自分より10歳も20歳も年長の社会人が、社会適応できずに、リワークの中でも苦しみ、社会復帰したとしても、何人かは障害者雇用枠で働いているという事実にかなりの衝撃を受けた。

大学の同級生も会社の同期も典型的なサラリーマンをやっていたし、彼らの親たちのように、きっと妙齢になれば、金融機関の融資審査をスムーズに通して家を買い、車を買い、子供を育てるのだろう、と、ある種、既定路線のように捉えていた。就労に苦労する人もいれば、貧困にあえぐ人がこの世に存在していることは知っていたが、そうした人々をそれまでの人生では間近で見ることがなかったのである。
まさかこんなに、障子紙一枚隔てるくらいの距離で隣り合っているなんて思いもよらなかった。しかも、自分の隣で。
予想もしない角度から、奈落が口を開けて迫ってきたようだった。

世間には様々な事情や雇用形態で働いている方がいると、社会に出て長らく経った今ではわかるが、大学卒業直後で、それこそリクナビ就活ど真ん中を通ってきた社会人一年目の当時は、総合職・正社員以外の雇用形態で働く生き方をあまり想像したことがなかったため、衝撃的だった。

リワークのグループワークで同席した40代の男性は、激しい貧乏ゆすりをしながら、ツバを撒き散らして一方的に自分の主張を繰り返しており、眼の前に流れ星のように流れては消えるツバの飛沫と、妙に年齢不相応な、色素の薄い茶色の瞳が印象に残っている。
「ムリ」の人々は、自分と他人が何が違っているのか、かなり努力をしなければ違いがわからない。気付けないから、行動改善できない方もいるのだとその時に理解した。
こうした経験から、相対的に、休職している自分は「ムリ」よりの「ギリ」の分類にいると認知した。
同時に、私は自分と他者の違いを認識してしまうため、仕事に適応できない状態を長引かせると、自分がどれくらいダメで、社会的にどれくらい適応できていないかを理解してしまうため、このまま社会復帰すれば、自己肯定感が削がれまくって確実に鬱を再発するだろう、と直感した。
笑われるかもしれないが、自分のすべてを賭けて、復職後に企業戦士として適応するように全力を投じようと思った。

当時の私は、うつ状態だったこともあるが、顧客先で入館証をなくす、不眠だったこともあり客先で集中力がコントロールできず強烈な睡魔に襲われ、打ち合わせ中に寝てしまう、といったくらいダメ社員だった。
その状態が、ADHDの特性を許容するような、向いている仕事を探せば、とか甘ったれたことを言っていられるレベルではないことも自覚していた。
リワークで自分よりも10歳も20歳も年長の方々が苦戦している姿を見て、
趣味を見つけるではなく、友達と遊ぶではなく、恋人を見つけるではなく、何よりも優先して、生き残るために、社会適応するしかない、と覚悟を決めた。

こんな経緯で、珍獣として、この資本主義社会でサバイブしていくことを決めたのだが、おそらく死ぬまで続くだろうこの珍道中のなかにも、いくつかやってよかったと思う行動がある。
具体的には、発達障害を前提とした転職時の企業選択・転職準備・コンサル業界での業務適応・日々のストレス・疲労発散習慣、などだ。

私と同じ特性を持って苦しんでいる方々や、同じ特性は持たないが状況としては似ている方々の何かの参考になるかもしれないので、サバイブ方法について、以降記録をつけていきたいと思う。


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