母のがん治療に思うこと。やはり、医療利権しか見えてこない。抗がん剤を続ければ続けるほど、体を蝕むというのはこれなのか、とはっと思ったこと。経過メモ。

今の時点で思っていること経過メモ。よかったら、何かの参考にどうぞ。

抗がん剤は続けるとヤバいと思った

西洋医学は人を見ず、病の元だけにアプローチするという話は、本当だと思った。

母が8月に抗がん剤治療をはじめて3か月。(医師から、はじめに6回抗がん剤治療予定と言われていた)
母の場合、最初の1回目の投与の時は4日入院。
あとは、日帰りで投与、自宅療養で、入院はなし。

なので、抗がん剤治療というものがどういうものかを目の当たりにしている状況です。

これは、続けると、やばい。と、1回目の印象で思いました。

母の投与後1週間の食事

私は病院についていっていないので(車が運転できない、今はDV父が必要な時は母を連れて行っている状態)、母の話を通してなのですが、

医師は、抗がん剤治療中は「何でも食べていい」と母に言ったそうですが、母は投与後2日目からほとんど何にも食べられなくなり、今、3回目の投与がすんでいるのですが、ほぼ毎回、1週間は何も食べられなくなります。

1回目の投与のときに、この症状だとまずいと思い、病院に連絡すると、次回の診察の時(投与後2週間くらいで1回診察をして、次回の投与日を決める)に、食事指導をされますか、ときかれたので、母に確認後、医師に食事指導をしてもらいました。

母の話によると、食事指導の内容は、現状の聞き取りと、「おかゆと豆腐だったら食べられる」と母が言ったそうなので、「それがいいですね」という回答と、流動食の厚いカタログを渡されたとのこと。

で、別途、食事指導の料金も加算されていたとのこと。

正直、「これって、食事”指導”なの?」と私は思いました。カタログ渡すだけが、指導?
(メタトロンで、母に合う食材をはじめの方に知っておいてよかったと本当に思いました。ご飯をつくる時の目安になるし、精神的負担:これで本当にいいのだろうか:が、私の場合、とても減っています。)

流動食のカタログの中で、母が食べられそう(というより、飲み込めそうなもの)を母と話して、お試しセットを購入。
(しかも、数は少なく、高い!)

母はあまり「事前に試す」ということをしないタイプのようで、事前に病院からもらっていた試供品を試さずに、「いざとなったときに食べる」と言って、届いた物を抗がん剤治療中にメイバランスというものを食べたら、「甘すぎて食べられない」「おかゆもまずい」「おいしくない」と言い、あたためてみたのですが、それもまずかったらしく、「ふつうのおかゆがいい」と、結局、作ったものの方がいいという結果に。

母も、こういうところは機転がきかないんだな、と思いつつ(元気な時に試しに試供品を飲んでみて事前準備しておくということなど)、少し母の要領の悪さにも気づきつつ、(だから、DV父のいいストレスの掃きだめにされていたのかもな、と思いつつ)

私が親しい親類にSOSを出して、母が療養中に少し栄養になるような、食べやすく体にいいものを送ってもらったりして精神的に少し助かりました。

抗がん剤がどういう物かを目の当たりにした

母は腹膜がんという診断を受けていて、放射線治療などではなく、抗がん剤治療ということに。

症状も、治療が始まる前は、おなかが水腹のように膨れている状態になり、
投与後はおなかも元通りになったので、「効いている」ということではあるとおもうのですが、

それが、素人目では、「細胞の活動を止めて、水腹にならないようにしている」という風に見えました。

つまり、「良い細胞の活動も止めている」。風邪やケガをすると、普通は自然に治ると思うのですが、

この活動も止めてしまうっぽい、と思いました。

3回目投与後、母は寒くなってきたので、のどの乾燥防止などで不織布マスクをしていたのですが、顔にあたっているところが擦れたのか、まるで殴られた人のようなあざのような感じになっていて、びっくりしました。

その後、すぐに絹のマスクと天然素材の全身に使える保湿クリームを見つけたので、それに切り替え、ちょうど抗がん剤の効力が弱くなってきたからか、あっという間に顔は元通りになりました。

で、思ったこと。抗がん剤は、すべての細胞の活動を止めているだけ。(細胞の活動が止まるので、頭の髪の毛も維持する力がなくなって抜けるんだと思いました)

根本治療ではないのでは。

漢方と食事療法を視野に入れて環境改善。

色々試し中です。

途中経過で検査。明らかに数値が減っているにもかかわらず、抗がん剤治療は当初の予定通り「全6回」「量も同じ」。これは怖いシステムだと思った。

母は、抗がん剤を投与して1週間ほどは寝込んでいますが、その後2,3日すると別人のように元気になります。(母の元の底力が強いのかもしれないな、と思うのですが)

それもあって、先日、どのくらいがんが減っているかを調べる目的もあってか、CTスキャンだったと思うのですが、母は受けました。

CTスキャンは、受けるとがんが増えるという話もあることを母は知っていましたが、「検査して先生が抗がん剤の量を減らすということになれば、そのほうがいいから」というので受けました。

結果は、医師が「この数値が高いから、抗がん剤で治療しましょう」となったもとの数値が600代から、医師が「20以下だったら大丈夫」という基準を下回る「13」だったにもかかわらず、何も方針を変えず、回数もあと3回、量も同じ、抗がん剤が終わったら注射と薬という段取りを言われたそうです。

がんは「医療利権のフルコース」のように思えてきた

そして、当然と言えば当然なのですが、何も食べられない、いい細胞も増えない母の内臓に負担がないということはなく。

医師に「胃の調子が悪い」と言ったら、次は「では、次はこの検査をしましょう」。と言われたそうです。

そして数日後、「朝から何も食べないで来てくださいね」と母は言われていたそうなので、その通りに病院に行くと、内容は「次の抗がん剤の日程を決める」ということだけだったそうです。

さすがには母は不満そうに「病院って、横の連携がとれてないんじゃね!」と怒っていましたが、私は「それ、病院に言ったほうがいいよ。なんも食べずに検査するつもりで行って、診療内容が違うんだから。ここでくすぶっててもなんも意味もないし、向こうも改善する必要があることだから」と言っときました。

あとからふと思ったのですが、今回は「手違い」で母が検査を受けなかったにしろ、弱っている母の体にさらに鞭を打つように別の体に負担のかかる検査をしなくてよかったのかも、と思いました。

何かが見つかっても見つからなくても、「再検査」「薬を追加」の可能性が高く、さらに弱った母の体に追い打ちをかけることになったかもしれないので。

この数か月の母の経過で、思いました。

「ああ、なるほど。多くの人が言っているがんになったら病院に殺されるって、こういうことか。」と。

抗がん剤で抵抗力がなくなったからだを元手に、次から次に別の部位の検査や薬や治療でもうける「がんセット」なんだな、と。

心の負担を取り除くことを一番に考えて、東洋医学と食事療法の視野を広めているところ

「西洋医学は急性の病気やケガに使う」「東洋医学はその人に合わせて長期的に」「症状によって合わせ技で」という話をよく聞くので、今、東洋医学の分野の専門だろうな、と思っている鍼灸と漢方薬にも母は少しお世話になっています。

あと、食事療法。たしかに、母ががんになる前に、ストレス発散で、健康について発信されている皆さんの多くが「気を付けた方がいいよ」と言われていたやま〇きのパンやスイーツを母はけっこう食べていました。

外国産(特にアメリカ)の小麦粉は、薬剤まみれという話は有名。それが、がんの元になる、という話もたくさん。

(どうして、やま〇きなのかというと、たしか、外国産の小麦粉を使っていたから。アメリカと、たしかカナダは、麦を収穫するときに、一斉に均一に天候に左右されずに効率よく枯らすために、枯葉剤を大量に散布して枯らす、虫をよせつけないために除草剤を大量に小麦畑で使う、日本に輸入するまでに船で長期間運ぶ間にカビが生えないように、小麦に直接防カビ剤を大量にまくので、小麦ではなく、防カビ剤、除草剤、枯葉剤を食べているようなもの、そして、その基準を、たしか2017年に日本政府はアメリカに「クリスマスプレゼント」と称して基準値を6倍か7倍に緩めて、薬剤会社をもうけさせている、という話があります。

なので、どうしても小麦が食べたい場合は、国産の方が薬剤の基準が多少まだ厳しいので、薬を体に取り込む量が少ない。という話です。そもそも、小麦粉のグルテンが体に合わない人もいる、という話も。)

あえて「食」から病気になるように仕込んでいるという話も。

外国産小麦もそうですが、添加物の量も日本は半端ないそうです。
がんが2人に1人なのも、「そうなるように」食の世界から仕込まれているということらしいです。

海外では、海外で売られている日本のふつうのお菓子には「ドクロマーク」がついているという話も聞いたことがあります。

どんだけカモられてるんだろ、日本人、、、、・泣

まあ、「知らぬが仏」って言葉もありますから、、、、。

ストレスをためないのが、一番。知ってストレスがたまったら、「ま、いっか。ちょっと気をつけよ。」くらいがいいのかな、と、今のところは思ってます。

母ががんになったのも、私はほぼ、DV父経由の精神的ストレスだと思っています。

ストレスはあらゆる病気の元。

ストレス自体は、完全回避はできないこの世の中の構造になっているっぽいので、それなりに「学び」にしたり、「経験則」にしたり、「自分の人生ステージアップゲーム感覚」にするなど、いろんな工夫と心構えで転換することはできるかな、と思うので、

「ま、こんなこともあるさ」「じっくり悲しんだり怒ったりして、自分の感情を正面からみつめて、逆にすっきりして次に進める」こともあるので、

いろんな工夫をして「ためこんで病気にしない」のが、1番かな、と思います。

私も、まさかの母のがんが見つかって、突発性難聴になり(今は治っている)こんなにも精神的にストレスがかかていたんだなあ、と、

気づかない間にたまっていたストレスにびっくりしました。

私の場合は、性格的に真剣に考える性質が良くも悪くも備わっているので、
時と場合によって使い分けができるように、自分を俯瞰できるようにすることが、私には合っているのかな、とおもいつつ、いろいろ試しています。

いちばん強いのは、ふつうのおばさんたちなのかも。

まあ、いつも笑ってポジティブシンキング、なのが結局いいんだろうなあ。
一番強いのは、ふつうのどこにでもいる、いろんな場数をふんできたその辺の「なんとかなるよ、大丈夫、はははは!」と明るく笑って返してくれるおばさんたちなんだろうなあ、と、思います。

でもまあ、あの、明るい底力は、いろんな経験があってこそのもの、と思うと、

踏ん切りのいい明るさは、それなりの経験の上に成り立っているんだろうなあ、人生は奥深いな、と、試行錯誤で進んでたまに悩んでいる自分自身のこのいろんな経験も、後で振り返ってみると、無駄なもにはなっていないんだろうな、と、なんとなく思えるのが救いです。



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