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死という表現「命」と「いのち」

「死」についての話をします。

看護師をしていると、死に関わることが多いと錯覚しがちです。
しかし、実際には一日に300人余りの人が亡くなっており、親戚の死やテレビのニュースあるいは偶然に遭遇した事故等を通して普段から何らかの形で、死を見つめているのではないでしょうか。

こんな時、亡くなった人の影響が生きる糧にもなれば、更なる憎しみが大きくなることもあるでしょう。
例えば、亡くなった後で家族で財産に対する言い争いを聞いた時。
穏やかで美しい自然死であっても言い争いを客観視した瞬間から、その死が家族いがみ合いの死として心に残ります。

逆に孤独死や事故で悲惨な死を遂げたとしても、救助した人、関わった人が神聖な気持ちでご遺体を扱い、それを見た人が心動かされたならそれは美しい面影として残るのではないかと思うのです。

昔の人は、今ほど長くは生きられませんでしたが、死が来るまで家族で看病し最後の死に際を大切な時間として過ごし、いのちの循環を次の世代に伝えてきました。

命をかけて戦った特攻隊の死もそうです。日本のため、家族のためにと博愛精神で散っていきましたが、私の脳裏には美しい死としてここに在ります。

誰もが経験したことのない死を理解することは難しいことですが、亡くなった人の面影を次の世代にどのように伝えていくのかは、生かされている私たちの大切な役割です。

50歳までしか生きられなかった時代を思うと、ここまで生かされているのは感謝すべきであり、この命を「いのち」として大切に扱い,人を活かすことに使うことが更年期世代の役割だと思います。
そして、「いのち」を次の世代に繋げることが女性としてのもう一つの役割なのです。

❶ 「命」と「いのち」の違いを知る

ーーーー 人の中枢は命の基本です。つまり、肉体が生きるための役目。これは大切な「命」です。
ヘビのような爬虫類でもこの仕組みになっていますが、心の成長はありません。少し高度な犬や猫のような哺乳類はメスが生きる知恵を与えます。食べ物の取り方や敵から身を守る術や交尾についてはすべて遺伝子に組み込まれて伝えられてきた、いのちの繋がりです。

人はさらに高度つくられているため、大脳が発達して知識を詰め込み、便利なものを作ったり感情が言葉を操り人を活かしたり、生きていくためのあらゆることを智慧として伝えていきました。

人間だけが、心と身体を使って表現し、創造することができるただ一つの生物です。
この意識と身体が一体となり信念に従い生きる様が「いのち」を使うことです。
そこに抗がうこと、つまり自分の意思にそぐわないから、人は胃「い」が痛くなったり血「ち」がよどんだりしながら病気になっていくのです。

❶「いのち」の意味

ーーーー 私たちは先祖が智慧を代々伝えてくれたおかげで今があります。死んだら終わりだと思うのは、自分のことしか考えていないからです。

遡れば思いを残して亡くなった方もいれば悲惨な死を遂げた方もおられるでしょう。
私たちが過ごしている空間には、たくさんの波動が存在します。
その場にいる人が発する思いや、そこから出る言葉も波動です。自分の信念と反対に進んでいる人の波動からは、ネガティブな波動が流れるので「なんだか空気悪いよね」って感じる人もいますね。

初めて行く場所での嫌な感覚、交通事故が多い場所は、場の持つエネルギーの歪みがネガティブな現実を引き寄せて、その場にいる人にも影響を与えているということです。
そうならないように、肉体の命が亡くなる前に意思にそった生き方、高次な波動を循環させなくてはならないのです。

いのちを使うということは信念を貫くことであり、死ぬ前に後悔しない生き方です。

❸まずは執着を捨てる

ーーーー 目に見えないからこそ不安や恐怖が押し寄せる死。
生きることも辛いし、死ぬ勇気もない、どこにも行き場のない気持ちを巡らせていると病気になってしまいます。
その病気の根っこは執着。

例えば、病気や老いに対する執着。死にたくない、老いたくないという気持ちは、目に見えない未来に対する恐怖や不安の感情ですが、感情は身体を支配していくのでそのうちになんらかの症状が現れてきます。

結局、「〜したくない」は「〜したい」と同じく執着なのでそれと同等の情報が集まって来ます。
美容グッズやサプリメントはもちろん生きるためには役立つかも知れません。
しかし人は順応して循環する生き物なので加齢を受け入れなければ次の進化はやってきません。

自分の年齢を受け入れて、ここまで生かされたことやそれを支えてくれたあらゆるもの、事に感謝すると感情が安定するのでホメオスタシスが調和されていきます。

代謝が促進されて血液が巡りホルモンがバランス良く分泌するので肌や髪が艶めきます!
執着からの手放しは、眠っていた本来の美しさを引き出してくれるのです。
自分の身体を人のために使うようになるので、いつかは命が亡くなることを受け入れられるようになります。
執着を無くすと自然に「いのち」の使い方がわかるようになるのです。


✴︎まとめ✴︎


人は繋がりのなかで生かされています。その人の心と身体を活かすのも自分の心を活かすのも行い次第だと言うことです。
生きながら死ぬこともできるし、死ぬ覚悟をして生きることもできるわけです。

生き方、死に方は次の世代に繋がりますが、どのように影響されるかは分かりません。

だからこそ、この瞬間にいのちをかけていきたいですね。
ーーー いのちをかける(×かけ算)で未来に繋がります!


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