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自分を幸せにする覚悟〜人のために生きる自分にサヨナラ〜

「誰かの役に立ちたい」

いつの間にかコレが自分の生きる価値になってた気がする。

自分の存在に自信がなくて、人に感謝されたときだけが自分の存在に意味があると思えた。

自分は生きてる価値がない、生きていても仕方ないと思った時でさえ、育ててくれた親のことを思うと自分のワガママを突き通せなかった。

もうそんな想いは手放そう、そんな記事。


挫折続きだった20代前後

私は発達特性上、日々の生活の中で自然といろんなことを学べなかったんだと思う。

学校の勉強は得意だった。

学ぶことがハッキリしているから。

じっくり、ゆっくり、自分のペースで向き合えば理解もできた。

でもなんとなく状況で察したり、人との言葉でのやりとりで相手の伝えたいことを理解したり、といったことが苦手だった。

自分の気持ちや考えをまとめて話すことも苦手だった。

多分苦手なことだらけだったと思うのに、それさえも気づかずに、勉強さえしていれば将来は安泰だって疑わなかった。


生きていく上で必要な要素をうまく学べず、また学べていないことにも気づかず。

つまり処世術もうまく学べずに、精神面での成長が遅れていた私が挫折続きの日々を過ごすことになったのは20代前後。

おそらくその失敗経験とうまくやっていくイメージが持てないことで、発達特性による二次障害が強く出ていたと思う。

普段当たり前に考えられること、できることもできない日々が続いた。

必死で周りにSOSをしたけれど、そんな私を理解できる人はいなくて、途方に暮れた。

それもそのはず、私自身がいちばん自分を理解できてなかったんだもの。

それでも前に進むしかなかった。


自分が考えることは、一般的じゃないし、周りとは違うらしい。

人の顔色を見て、わからなかったら聞いて、無難に生きていくしかないんだ、やらかさないように気をつけなくちゃ。

私は必死だった。

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母の教え

私は母の教えに素直に従う子どもだったと思う。


人の話はよく聞きなさい。

人の気持ちになって考えなさい。


そこに自分を大切にしなさい、はなかった。

自分の感情と向き合う大切さも教わらなかった。

私は周りの考えや世の中的に正しいとされていることばかり気にして生きてきたと思う。

そこにやっぱり「私は?」がなくて。

時々、抑えきれない感情が爆発してた。


今思うと、ちゃんと自分って人間と向き合うことをしてこなかったんだと思う。

感覚的にもそれがわからなくて。

夫にはその力が生まれつきあったようだから、持って生まれた力なのかなぁって思う。

私は周りに合わせて動けるタイプだったし、それなりにやれてしまったから、自分と向き合う大切さを実感できなかった。

向き合う大切さを実感したのは子育てするようになってから。

そういうタイミングだったんだと思う。


母も周りが気になる人で、自分を大切にすることを知らない人だった。

両親が不仲で、ずっと気を遣って生きてきたらしく、気質以外にもそういう環境も影響してるんだと思う。

そんな母に気を遣って、私は生きてきたように思う。

だから、私は今でも母に感謝の気持ちが湧かない。

頭では子育ての大変さもいろいろ苦労しただろうこともわかるのだけど、感謝って気持ちがどうしても出てこない。

ごめんね。

私は母の教えのとおりに生きることで精一杯だったから。

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私がいることが怖い

私はしばらく、「自分」がいる必要がある場所が苦手だった。

仕事で専門職としての自分でいるとき、私って人間を横に置いて、専門職として接すればいいから楽だった。

ところが仕事が終わって、職場の同僚を話すときは自分でしかいられないから苦手だった。

いつも「私」という人間が存在する空間はドキドキした。

どんな自分でいたらいいのかわからなくて。

こんな自分だとダメなんじゃないか、という気持ちが消せなくて。


それくらい、私にとっての挫折続きの日々は精神的にダメージがあった。

なんで自分を守るどころか、責めることでしか生きられなかったんだろうって今なら思う。

いちばん守るべきは自分なのに。

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自分のために生きていい

私は誰かの役に立つことをし続けることで、なんとか生き続けられたと思う。

それは仕事だった。

目の前の人の「ありがとう」が何よりも支えだったよ。


でもいいんだよ、自分のために生きて。

誰のためにならなくても、自分のためにご飯を食べて、オシャレをして、好きなことをする時間をつくって、ゆっくりと眠る。

自分のために生きる時間に、罪悪感なんて持たなくていい。

夫よりも子どもよりも親よりも、自分を優先するときがいっぱいあったっていい。

私が私のために生きる、何の問題もないよ。

私が私らしくいられること、たくさんやったっていい。

それがダメな環境にいるとしたら、そこから離れたっていいじゃないの。

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私が納得できた理論

発達特性のある人間が生きていく上で必要な考え、というものに興味があった。

方向性とか、目的とか、考え方とか、何か道標となる概念が欲しかった。

自分のためにも、同じように発達特性を持つ子どもの子育てに対しても。


いろいろ情報を得てきて、いちばんしっくりきた考えを今は支持してる。

それはこの記事がよくまとまってると思う。


あるとき、私は境界性パーソナリティ障害、という言葉を知って。

ああ、これは私の感じに近いなって思った。

joeさんの言葉を借りると、

親からも自分自身でも「自分の心を耕す」ことを学べず、不適応や失敗体験からの「人格障害の重ね着」に足を踏み入れてる状態…かな、と。


私って非常に不安定。

感情も対人関係も。

ある程度環境が落ち着いている今はそこまで振り切れることはないけれど、それでも振り切れそうになることは過去に多々あった。

その割にはちょっとしたキッカケで死にたいと思ってた淵からフツーに戻ってしまったりもする。

周りの影響を受けやすくて、捉え方でさらに悪化させることも多い。

自分で自分が厄介だと思っていたし、コントロールするのは難しいと思ってきた。


でもこのnoteであえてこのことに触れようと思ったのは、少し明るい見通しが持てるようになってきたからだと思う。

ちゃんと自分の気持ちや考えとひとつひとつ向き合ってあげたらいいんだって。

自分がこうしたいって思うことを、誰よりも自分が応援してあげたらいいんだって。


今まで大変だったよねぇ、つらかったよねぇ、ごめんね、無視してきちゃって!!

いちばん味方になってあげなきゃいけなかったのに、責めてばっかりいたよね。

私も必死だったの。

でももう人のために生きるのはやめたよ。

自分よりも誰かの役に立つことを優先したり、役に立たない自分を責めたりするのをやめる。

それで、私が幸せになるために必要なことをいちばんに考えることにする。

どうしたら私が幸せでいられるかをもっと追求しよう。


まずは私が幸せになっていいよ。

幸せになろうよ。

誰のことも考えず、自分を全力で幸せにしてあげようよ。

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