モヤモヤ撃退のコツ
自分の中のモヤモヤ発生が、日々の生活のリズムを狂わせる。
そのモヤモヤがあると、感情的になりやすくなるのよ。
それを人にぶつけたくないから、私はnoteで自分の感情や考えと向き合うようにしてるのね。
どんなことにモヤモヤしやすいのか、そこに捉え方や価値観はどう関わってるのか。
言葉にして、それを客観視して、私ってそうなんだなぁって理解して。
そうしているうちに、その状況にピタッとハマる言葉に出会えたりする。
今日はピタッときた言葉を紹介。
モヤモヤの内側
私のnoteを読み返すと、何かあったときにそれが自分の中で腑に落とせずにモヤモヤたまって、そこから抜け出せなくなる感じが定期的にきてるのがわかる。
なんで?
どうして?
私はこうしたいのに!
思った方向に向かっていかないのはなぜ?
私が間違ってる?
私がダメなの?
そんな心の叫びを、丁寧に言葉にして、気持ちを受けとめようとしてきてるのが、すごく伝わってくる。
なんで私はこうしなきゃならなくなってるのかな?
それがこういうことか!と納得できた言葉に出会ったよ。
それはこの記事にあったの。
モラハラ分析の記事なんだけどね、なぜモラハラになるのかっていう根本のところにハッとしたのよ。
「モラハラ体質」というのは
基本的にそれ自体が、自分の中にあるストレスを
他者のせいにしたり
他者にぶつけて発散する体質であり、裏を返せば、自分のストレスの処理を
自分の中でできない体質とも言えます。
「自分のストレスの処理を自分の中でできない体質」
うぉう!まさにそれだ。
私の場合は、自分の中で処理はできないんだけど、だからといって周りにあたるのもイヤだし、それは社会的に良くないことを知ってるし、人を傷つけたくないとも思うのよね。
そうするとモヤモヤやイライラをどこかで消化しなきゃならない、と。
学生〜独身時代はいろいろ方法はあったから良かったんだけど、子育て中はなかなか自由がきかなくて、行き詰まったり、落ち込んだり、涙が止まらなかったり、イライラしたりしてね。
それがまたストレスになって…の悪循環よ。
またね、この人は受けとめてくれるって思うと、そこでバーーッとあふれちゃったりしてね。
私は夫にそうなりがちで、それをやめたかったからnoteで自分と向き合うことにしたのよね。
夫に出ちゃうとね、すごく自己嫌悪だったよ。
私のはモラハラだろうなって思ったりしてた。
夫はそのときのことを振り返って、
「ホントのモラハラは相手を傷つけようとする意図があるんじゃないかな。
みかんちゃんのはそれとはちょっと違ったよ。
確かに感情が爆発してるときは止まらないけど、止まらない中でも自分を俯瞰しようとしていて、全部出し切るとちゃんと客観視できてたからね。
だからといって、ぶつけられるのがヘーキなわけじゃなく、しんどかったし、距離を置くしかなかったけど、ちゃんといつものみかんちゃんに戻ることがわかってたから。」
そう話してくれる。
そう受けとめてくれていた夫には、心から感謝だし、頭が上がらないわ。
多分そうなの。
この記事にもあるような全く自分と向き合えないモラハラではなかったんだけど、イライラやモヤモヤがあふれてくると感情のコントロール効かなくなるのは同じ。
それってなんでかなってずっと疑問に思ってきたけど、シンプルに「自分の中で処理できない」ということなんだ、とわかった。
自分の中で処理できないとは?
自分の中で処理ができないっていう言葉は、ちょっと抽象的よね。
現象としてはわかるけど、それってどういうこと?っていう。
私の感覚としてはね、え?なんで?って、自分の許容範囲を越えたり、自分のこうすべきルールを逸脱していたり、予想外の展開だったり、やるべきことが多くなりすぎたり、自分のキャパを越えるような現実が起こったときに、カチッと感情スイッチが入ってしまう感じ。
その間にゆっくりと現実を捉えたり、相手のことを考えたり、自分の気持ちや考えを自分に問いたりする余裕がない感じね。
ある限界を越えると、カチッとスイッチが入っちゃうの。
そこまでじゃないこともたくさんあるし、対応できることだってあるんだけど、自分の中のキャパを越えてしまうとね、カチッと入るのよ。
それはね、人によって程度の差はあると思うけど、どんな人にもあるんじゃないかな。
夫はカチッと入る限界をよくわかってて、そこまでに至らないようにコントロールが上手なんだけど、私はつい目の前のことに一生懸命になりすぎて、限界を越えるまでやり過ぎちゃうって感じ。
そうなったときに、
「あーー、私の中のスイッチ入ったわ、マズいわ、この感覚。
誰かに被害が行かないように雲隠れしておこ」
って、クールダウンできる人や、我慢してスポーツで発散って人もいれば、スイッチが入ったまま無意識に誰かやモノにぶつけちゃう人もいると思うのね。
私は最近ではそれを持ち帰るように意識してる。
そうするとザワザワした気持ちが落ち着かなかったりするから、最低限でオッケー!と自分に言い聞かせて、なるべく行動することを減らして、二次被害を防ぐのを最優先してる。
そういうときって頑張るほど空回るし、ミスも失言も増えるのよ。
そして時間を作って、自分の気持ちに素直になってnoteに言語化し、客観視する。
自分で解決できそうもなかったら、夫に聞いてもらう。
その「感情のお持ち帰り」と「時間があるときに自分の気持ちと向き合ってなぐさめたり励ます」ができるようになって、ああ、私、少し成長したって感じてるのね。
そのプロセスがね、「自己の客観視」とか「メタ認知」とかって言われてるっていうのがだんだんとわかって、前日はヨガ哲学にも通じてるのを知ったよ。
ヨガ的な視点での話はわかりやすいと思ったから、紹介するね。
体験→言語化→学びの順番が腑に落ちやすい
私がね、モヤモヤをどうしたらいいの?って思って検索して、例えばこの動画みたいにヨガ哲学にたどり着いたとして、ヨガ哲学を学んだとしたら、今よりもっと早く腑に落ちたか?と考えてみると、そんなことないなって思うの。
モヤモヤ体験→言語化を繰り返して、自分の心とめちゃくちゃ向き合って、それってどういうことなのかな?って何度も考えて、自分の傾向がわかってきて、自分の課題も気づけるようになってきて、こういうことなんだろうなって自分の中で結論づけられたあとだから、パチンとハマるように腑に落ちたんじゃないかな。
つまり、先にとことん自分と向き合って、自分の言葉でそれを表現して、私ってこうなんだ!と理解することがまずは大切で。
次に、その感覚にハマるような考え方との出会いがあって、やっぱりそうなんだ!と腑に落ちる、みたいな順番。
先に学びがきちゃうと、「そうすべき」が増えるだけで、なかなかジブンゴトにはならない気がする。
まずは自分の感覚を自分の言葉で!が大切じゃないかな。
腹落ちってすごく難しいと思うのね。
最初って頭だけで考えがちで。
そこから感情が伴ってきて、心が入ってくる。
そこから腹落ちするには、言語化するなどの客観視をして、体感として落とし込んでいく感じかな。
思考と感情、行動の位置関係がハッキリするというか。
私なりの言葉にするとね、自分を客観視するっていうのは自分の「脳」を見るっていう感覚がいちばんしっくりくるのね。
自分の「脳」はこう考える、こう感じてる、こうしたいって騒いでる。
実際にやってみたらどうだろう。
で、行動して、体感して、ああやっぱりとか、想定外だったなぁとか。
その繰り返しで自分を理解していけるし、腑に落ちてくる。
そこに他の人のわかりやすい言葉や今回のヨガ哲学なんかが根拠づけのように働いてくれるといい感じに腑に落とせるのよね。
自分だけにならないっていうのは心強いよね。
ヨガは東洋医学じゃない?
ポーズを真似るだけだとガッツリと西洋医学を学んでしまった私には物足りない部分があったんだけど、ヨガ哲学でその世界観を理解するとヨガの良さが浮立ってくるよね。
オマケ
私ね、モヤモヤな気持ちを解消できないとき、割と過食に走りがちでね。
もしかしたら興奮状態(交感神経優位)を落ち着かせようと、胃に食べ物を入れて副交感神経を優位に(胃が動くのは副交感神経)するための体の無意識の反応なのかもって思ったよね。
それならさ、モヤモヤやイライラを感じたとき、リラックス効果のあるヨガをすることで、過食に走らずにすむんじゃないかしら。
どうやってストレスを発散?って考えていたけど、副交感神経優位に持っていけるアイテムは?って考えるともう少しフィットするよね。
私はなんだかんだ言って、西洋医学より。
東洋医学を学んだら、もう少し中庸的な考えが持てるかしら。
それか、西洋医学で裏付けつつ、東洋医学の良さを生かせるようになるのかな。
これから1年くらいで西洋医学をもう少し深めて、来年以降はヨガ哲学に没頭してみようかな。
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