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自分と子どもを心から信頼できる幸せな気持ち

今日は長男が通うデイの面談があって、明日は長男の中学の相談室のカウンセラーさんと面談がある。

来週は長男の主治医の受診があるし、三男と長男の薬の処方、受け取り、とバタバタする。

そして再来週は三男を連れて、来年就学予定の小学校の校長と二度目の面談だ。


人と話すってすごく難しい。

特に子どものことをお願いしている立場で話をするっていうのは、そのときの自分の心理状態が反映されるから、神経を使う。

例えばとても心配していて不安が強かったら、不安が前面に出てしまうし、何があっても大丈夫と思えていたら堂々としていられて、話も冷静に聞けたりする。

相手は対人支援職だから、人を良く見て対応するわけで。

私が不安全開だと不安対応モードとなり、本当は私が聞きたいと思っていた話の優先順位が低くなったりすることもある。

それは私も逆の立場で経験があるからわかる。

不安が強い人に、あえて不安になるような話は避けるものね。


「できるだけフラットな状態で、最低限聞いておきたいことだけは明確にして臨む」

私が3人分の面談を何度もこなしてきて、自分なりに感じて心に置いていること。


この記事では今日の面談での気づきを言語化する。


私の長男に対するスタンスが明確に

子どもが学校に行かない選択をして、将来を不安に思わない親はなかなかいないと思う。

どう捉え、どう見守っていくかというスタンスを確立していくまではつらいのだけど、一度心に決まると今までの悩みがウソのように晴れてしまうから不思議だよね。


今日の面談前に、どうしても心の整理をしておきたくて、この記事を書いた。


ものの30分くらいでガガーッと書き出したものだから、言い回しがわかりにくく、主観的な表現は私にしかわからないような言葉が続く。

それでもよかった。

面談前にどうしても整理したかった。

子どもの発達に関して考えるとき、どうしても自分の過去とリンクしてしまうことで、冷静でいられなくなることが多かった。

自分の気持ちと決着をつけたかったし、根底にある「自分を発達させなくては」という想いを「発達をゴールにしなくていい」に変えたかった。

それが自分に必要なのはわかっていたのだけど、気持ちの切り替えが難しくってね。

言葉にして落とし込むしかないって思ってた。


で、生まれた言葉がこれだった。

「不登校支援」に関しても、その家庭や子どもの状況で多岐にわたると思うし、理解してもらえる多くの場があることはすごく大事だと思うんだけど、当事者である子どもは支援が必要だと思ってるのかな、という疑問があって。
不登校を選択したその意志を尊重するだけでいいんじゃないか、なんて最近では思ってしまう。
その子に興味があることに、自分も興味を持って話ができる、そこに幸せがあるって私は感じていて。
そんな日々の積み重ねが子どもの成長を促し、世界が広がっていくんじゃないか、と。

もちろん、我が家の場合の現時点での話。

これが湧き上がって、嬉しかったなぁ。

「不登校を選択した意志を尊重するだけでいいんじゃないか」

今はホント、この一言に尽きるって思う。


今まではね、いろんな不安とかもあったから、面談では普段のことを話しつつも心配なことがポロポロこぼれたのよ。

わかっちゃいるけど心配で、てな感じで。

また、支援してくれる相手との面談ってことで、何か相談しなきゃいけない場のような雰囲気もあるじゃない?


今日はさ、支援者の先生の想いをうんうんと頷いて聞いてさ、長男は幸せだなぁと、それだけ感じて帰ってきた。

あ、もちろん普段の話もしたけどね。

お互いの見立てのすり合わせとかも。


でも不安を相談するってなかった。

そんでもって、先生もそんな感じだった。

なんだかんだで、長男らしく生きていくんだろうなっていう安心感が2人にある共通点だった。

長男は社会不安が強くて外には出られないし、人と話すのも限定的だけど、信頼できる数人の大人がちゃんと周りにいて、幸せなんだよなぁ。

いろいろあったけどそんな形に落ち着いたのは、私と長男が生きてきた結果なんだよなぁ。

もうそれだけで十分だって気持ちに包まれた。

この先何があっても、その時々で考えていけばいいし、大丈夫!そう思えたんだよね。


長男の信頼感が生まれたとき

よくね、子どもを信用しなさい、なんて言葉を聞いた。

あれこれ先回りしてやってしまうのは、子どもの成長を奪う行為。

この子はきっとできるようになる、大丈夫!という信頼感が大事だ、と。


わかるよ、うん、わかるの。

でもね、信頼感って難しいよ。

他の子と同じようにいかない我が子を見ていると、なんとかしてあげなきゃいけないのかなっていう親心がムクムクムク。

ここは見守るところ!と思っていたって、我が子が苦しんでいる姿を見ると、とても心が痛んで、アレコレ世話を焼きたくなってしまう。

親ってそんなもんじゃないの?と思う気持ちと、自立を見守る強さを親も持たなきゃねって気持ちで葛藤して、誰か正解を教えてーってよくなった。


長男への信頼感が生まれるまで、私はすごく時間がかかったのね。

長男は私と心の距離を置いているように思ったし(本人にとっての程よい距離感が人よりも遠かっただけ)私は母親としての自信をなくしていた時期が長かったから。

私が良かれと思うことが何にも響かなくてね。

療育に通っていてわかったけど、発達特性のある子の子育てあるあるみたい。

一般的な対応が合わないことが多いからね。

どうしても母と子どもの心の通い合うストライクゾーンが狭すぎて、ハードル高いのよ。

親だっていろいろ考えてるんだけど、親にバリエーションが少なかったりすると、そもそもストライクゾーンにかすらなかったりね。


私はスキンシップとか好きで、つい自分の子どもにはベタベターっとくっつきたかったんだけど、長男は抱っこを嫌がったし、そもそも授乳とおむつ交換以外で私を必要としなかった。

だから愛着関係なかなか成立しなくて、療育につながった理由のいちばんはそれだった。


本当の意味で私が長男のことを信頼できると思えたのは1年前で。

主治医に相談したの。

私が良かれと思っていろいろやることが、本人にとってはどうなのかわからない。

私はどこまで関わっていいのかすごく悩んでしまう、と。

主治医はすごくってね、

主治医「長男くんはそんなお母さんを良くわかっているから、必要だと思えば受け取るし、いらなければちゃんといらないっていうんじゃないですか。

 迷いながらも関わってくれている姿勢を全部ひっくるめて、長男くんはママのことをわかっているから、そこは信頼して、ママはママなりに考えて接していいと思いますよ。」

と教えてくれた。

スゴイって思った、主治医も長男も。

そうか、私が右往左往しなくても、長男はちゃんと選択できるのか。

私がそこまで心配しなくても大丈夫なんだ、と。


そしてね、その信頼感が絶対的になったのはほんの数日前。

ネットの記事で、不登校になった娘さんの体験談があった。

朝みんながそれぞれ出かけていく時間、自分は行けないその現実に向き合うのがつらくて、朝は起きたくなかった、あえて昼夜逆転を選んでたっていう話。

昼夜逆転も本人の意志でそうしてる場合もあるのか、そこを親が無理に矯正するのは良くないのに、私は長男の昼夜逆転が怖くて、なんか無理させたかもしれないと不安になって、本人に話をしたのね。

私「ママね、昼夜逆転しないようにってうるさく言ってたかもしれない。

 なんか悪かったよね。」


長男「いや、それは人それぞれだと思う。

 オレは昼夜逆転というより、眠れないのがつらかった。

 だからあのタイミングで先生に薬をもらえてよかったし、眠れるようになって楽になってきた。

 オレはママに言われたからとかではなくて、あのとき、自分でちゃんと決めたんだよ。」


私は無意識に、長男の気持ちや行動を自分がしてほしいようにコントロールしてるんじゃないかって、すごく心配してた。

多分私がそうだったから。

私自身が親の言うことは聞かなくちゃって、本音をなかなか言えなかったから。

でも長男はちゃんと自分の意志を持って生きてた。

私が言ったからとかじゃなくて、影響されずに自分でちゃんと決めてるんだってわかったら、ホッとしたよ。

それで、より信頼感が強まった。

長男はちゃんと自分で考えて自分で決める力を持っている人なんだって。


人を信頼できるって、すごく心強い。

そう思わせてくれる長男に、ありがとう。


大丈夫

大丈夫、と心から思えるほど、安心できることってない。

毒親って言葉が流行って、私も自分の母親とは上手く関係が築けていないモヤモヤを持っていて、発達特性のある子3人の子育てが目の前に差し出されて、不安しかなかったから。

大丈夫ってすごいチカラ。

信頼できるってすごい心強い。


そういう感覚で自分の中を満たしてあげると、これからの面談に対しても、

「支援してくださる方々の想いがとても嬉しい、感謝です」

という心構えで向かえるなぁって思う。

今までは相談したいってがっついてた気がするけど、もうホント、いろいろ考えてくださっていて心強いし感謝ですって。


大丈夫かなって心配しなくていいって幸せだね。

最近の様子を聞いて、ありがたいなーって思えて、家ではねって話をして、それでいいんだなって。


何か相談したいことを決めて、レジュメ作って…なんてやってた頃がなつかしい。

あの頃はあれが精一杯だった。

一生懸命だった。

そういう日々があったから、今があるのよね。


山場は小学校4〜5年

長男も次男も、荒れたというか落ち着かなかった時期は小学校4〜5年だった。

今日面談したデイでもやっぱりそれくらいの年齢の子は荒れてるって話。


そこを乗り越えて思うけど、やっぱり荒れる時期はちゃんと葛藤させてあげるって大事だと思う。

そこで本人の意思や考えを確認しながら、見守って、っていうように、向き合ってあげるのが大事だって思う。

そこでちゃんと葛藤させてあげると、グッと落ち着いて、中学に向けての準備ができていくんじゃないかな。

必要な荒れだから、必要以上に不安にならなくていい。

でもどんなことで揺らいでいるのかは理解してあげて。

大人になっていく過程だから、すごく大切な葛藤だよって、おかしくないよって。


程よい距離感と「これを乗り越えるとまた一段階大人に近づくんだなぁ」と楽しみにする気持ちが大切。

日に日にたくましく成長する子ども。

立派だなぁと思う。

どんなに発達特性があってもね、成長するから。

子どもってすごいよね。

それを実感するためには、親である自分の「こう育っていったらいい」という期待する気持ちとはちゃんと向き合って、それが目の前の子どもにとって過剰な期待ではないのか、は考える必要はあるよね。

期待から子どもを見るのではなく、本人の成長段階を感じてあげることができていれば、子どもの成長を心から楽しめるようになると思う。


明日からの私へ

なんかここまで言葉にできたら、明日からも大丈夫そうね。

自分に大丈夫!と思えることが今までなかなかできなかったから、今日は本当に嬉しい。

いい言語化ができてるって思う。


心を整えることが今ほどすごく大切だって思ったことはないよ。

私も子どもも大丈夫。

なかなか思えなかったし、言えなかったから。


子どものために仕事をセーブしたのに、やっていることは気持ちの言語化ばっかりで、そんな自分に落ち込んだこともあった。

でもすごく必要な時間で、自分が面談で悲しい想いをしないためにも必要な準備だった。

今日はいいカタチで整理できてから面談に行けて、こんなに気持ちが軽い面談後は初めてだと思う。

すごくよかった。

自分にとって必要なことをしてあげて、結果的に自分が喜べて、そういうスタンスが作れてきていることが本当に嬉しい!

これからも上手く付き合っていこうね、自分!!




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