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舞塔会の月(ショートストーリー)

昨年、Gakkenより刊行された短編アンソロジー『3分間のまどろみ カプセルストーリー 収録の「舞塔会の月」を公開いたします。

 

 舞塔会の月


 その鉄塔は丘の中腹に立っていて、家から伸びた坂道の途中、こんもりした樹々の上から顔を覗かせていた。ありふれた銀色の送電鉄塔で、左右に両手を広げたような姿をしていた。

 ある日の夕方、学校帰りの私は坂道を上がっている途中で話しかけられた。
「つかぬことをお訊きしますが、今宵はお暇でしょうか」
「はい?」
 まわりを見回したが、誰もいない。
「こっちです、こっち」
 声のする方を見ても、そこには樹々から顔を覗かせた鉄塔しかない。しかし、
「ああ、良かった、気づいてもらえて」
 私は呆然とした。その声ははっきりと、鉄塔から聞こえてきたものだった。
 だが驚きながらも、頭の片隅では冷静に考えている自分もいた。――これはストレスから来る幻聴に違いない、と。なぜなら、私はすでに今年入って三回も引越しと転校を繰り返していたからだ。そして明日は四回目の引っ越しだった。つい先ほど、クラスでお別れの挨拶を済ませてきたところだ。
 自分で言うのもなんだが、私は新しい環境に馴れるのも早いし、友達を作るのも上手いほうだと思う。・・・・・・思っていた。三か月前にこの町に来るまでは。
「つかぬことをお訊きしますが、今宵はお暇でしょうか」
「今夜、なにかあるの?」
 つい、返事をしてしまった。幻聴なのに。私の返事に驚いたのか、鉄塔は電線を揺らした。それから一気に言った。
「今宵はタワー・ムーンなのでブトーカイが開かれるのです。パートナーとして一緒に来ていただけませんか」
 ・・・・・・さっぱりわからない。幻聴にしても、わからなさすぎる。
「ぱわーむーん? あ、スーパームーンみたいなやつ?」
 また、つい返事をしてしまった。
「違います、タワームーンです」
「タワームーン?」
「人間の皆さんにとっては月の模様って、兎がお餅をついている姿らしいですね。ですが、わたしたち鉄塔には、巨大な塔が体を大きくしならせながら踊っている姿に見えるのです。そして、その模様が一年に一度、最も大きく、美しく輝く夜――それが今宵、タワームーンなのです」
 私は頭の中で、月の模様を一生懸命に思い出した。
「うーん、塔には見えないと思う」
「そんなことを言ったら、餅をつく兎だって、かなり強引な見立てだと思いますよ。とにかく、今宵はタワームーンが昇ります。この夜だけは、町じゅうのあらゆる鉄塔は電線を脱いで、ブトーカイで踊ることができるのです。私はまだ参加したことがないのですが」
「踊る? ああ、舞踏会ってこと?」
「塔が踊る、舞塔会です」
「なるほど」
 と、一瞬納得しかけてしまい、ハッと我に返る。気づいたら、普通に鉄塔と会話をしてしまっていた。
「明日、お引越しですよね」
「えっ、どうして知っているの?」
「最近、ここを通る度にブツブツ言っていたじゃないですか。また転校なんて嫌だなぁ、とか、でも次の町はここよりマシかもしれない、とか」
 私は顔が赤くなるのを感じた。独り言は自分でも自覚があったからだ。
「学校のお友達とは、お別れしてきたのですか」
 鉄塔の言葉に、つい先ほどのクラスの光景が甦り、私は胸の中が重くなるのを感じた。中途半端な時期に転入してきて、馴染めないうちにまた出て行く私の言葉を、クラスメイトはみんな白けた顔で聞いていた。次の町でもまた同じような白けた顔に囲まれたら・・・・・・私は今までどうやって友達を作っていたのか、わからなくなっていた。
「舞塔会なんだから、ほかの鉄塔を誘ったらいいんじゃない?」
 すると、鉄塔は急に声をひそめた。
「恥ずかしながら、鉄塔の友達は一本もいないのです。こんなところに立っているので」
 友達がいない――幻聴だとわかっていても、私の心が少し揺れた。それに、鉄塔が言った通り、なぜかこの鉄塔だけ、ぽつんと離れたところに立っていた。一番近い鉄塔でも丘の麓だ。ほかの鉄塔たちは、みんな丘の下に広がる草原に並んで立っていた。
 一番近い麓の鉄塔は、赤と白に塗装されていて背がとても高く、人間の私から見ても威圧感があった。その足元に通学路があるのだが、なんだか頭上からこの赤白鉄塔にじっと見下ろされている気がして、いつも私は早足で走り抜けていたのだった。
「どうでしょう。パートナーとして、一緒に来ていただけませんか」
「もしかして・・・・・・明日でお別れだから、声をかけてくれたの?」
 そう尋ねると、鉄塔は照れたのか、鉄骨組の体を左右にクネクネと揺らした。どうやら、私は幻覚まで見えるようになってしまったようだった。

 その夜。私はベッドに入り、寝たふりをしながら、月が昇るのを待った。
 両親は荷造りの疲れと、明日の引っ越しに備えて、早々に眠りについてしまっていた。
 日付が変わる頃、部屋の明かりがふわっと消えた。窓から外を見ると、点在する家々の窓からも灯りが消えていくところだった。鉄塔から聞いていた通りだった。
 そうっと外へ出る。外のほうが明るかった。
 見上げると、大きなはちみつ色の満月――私は息を呑んだ。月の模様が、体を大きくしならせながら踊る巨大な塔に見えたのだ。それは有名な斜塔に似ている気もしたし、神様に崩された伝説の塔にも見えた。
 タワー・ムーン。初めて見る不思議な月だった。
 それでもまだ、私は半信半疑だった。舞塔会のことを本当だと信じたい気持ちと、そんなことはあり得ないという気持ちが同時に湧き上がっていた。
「お待ちしていました」
 そんな私の気持ちを吹き飛ばすように、鉄塔は当たり前のように話しかけてきた。さらに私の目の前で、いそいそと電線を脱ぎ出したのだった。
 鉄塔の腕の先にぶら下がった白いお団子みたいなのが外れると、そこに繋がっている電線が樹々の暗がりへと落ちていった。それから鉄塔は軽く伸びをして、地面から足を引き抜いた。鉄骨組の背中をそらせて、夜空の月を見上げた。
「いい月でしょう?」
 自慢げにそう言うと、鉄塔は屈んで私を腕に乗せた。その腕を器用に丸めると、私をしっかりと支える。墜落しないかと心配だったのだが、足元には意外と安定感があった。これなら踊っても落ちることはなさそうだった。
「では参りましょう」
 私は頷いて、鉄骨に自分の腕を絡めた。

 丘の麓に広がる草原に辿り着くと、すでに舞塔会は始まっていた。
 数えきれないほどの鉄塔、鉄塔、鉄塔・・・・・・町じゅうの鉄塔が集まっている。
 銀色の塗装をされた鉄塔たちは月光を眩しく反射させ、赤白の鉄塔は妖艶に夜に浮かび、点滅灯を身にまとった背の高い鉄塔たちは音楽に合わせて、光でリズムを奏でている。
 音楽――私の頭の中にはクラシックのような優雅な音楽が流れ込んでいた。
「どこから聞こえてくるの?」
 不思議に思って訊くと、鉄塔は向かいに立つ小さな山を示した。
「あそこの鉄塔が歌っているのです」
 山頂には大きな電波塔が立っていた。華やかな歌声が頭の中に響き渡って心地いい。私たちが踊りの輪に加わろうとすると、
「あれ、人間がパートナー?」
「珍しい。人間って踊れるのかい?」
 ほかの鉄塔たちが集まってきて、あっと言う間に私たちは取り囲まれてしまった。
「ああ、この子、知ってる。丘に住んでる子だよね」
 そう言って覗き込んできたのは、ひときわ背の高い鉄塔だった。目立つ赤と白の塗装、そして、この威圧感。丘の麓に立っているあの赤白鉄塔だった。
「来てくれて嬉しいな。ずっと声を掛けたいと思っていたけど、いつも忙しそうで話しかけられなかったんだ」
 爽やかに明かりを点滅させる。話してみると、意外と感じのいい鉄塔だった。やはり人も鉄塔も見た目で判断してはいけない。反省しつつ、ふと見ると、私を抱えている鉄塔の鉄骨の色がほんのり桃色に染まっていた。どうやら赤白鉄塔が私にかけた言葉を、自分に向けられたものと勘違いしたらしい。気づいたけれど黙っていた。そっとしておいたほうがいい勘違いもある。
 流れる音楽が、ひときわ華やかに盛り上がった。
「さぁ、踊ろう」
 私はパートナーの鉄骨をしっかりと両手で抱えた。冷たいはずの鉄骨は、なぜか温かく感じた。鉄塔は私を乗せて優雅に回り、軽やかなステップを踏んで、集まったほかの鉄塔たちの間を擦り抜けるようにして踊った。月の光と音楽を浴びながら、私たちは笑った。
 この町では人間の友達はできなかったけれど、鉄塔の友達ができた。人生にはそんな時もあるし、それで充分素晴らしいのだと、私はこの時に知った。
 月は煌々と鉄塔たちを照らし、舞塔会はにぎやかに更けていった。

 翌朝。引越し業者のトラックに荷物を積み終えると、私は父の運転する車で丘を下った。
 通学路は細くて車は入れないので、鉄塔の近くを通ることはできなかった。
 やがて草原が見えた。鉄塔たちはきちんと電線を身に着けて、何事もなかったかのようにいつもの場所に立っている。遠い山頂には電波塔。とても小さく見えた。
 ベッドの中で目を覚ましてから、昨夜の出来事は本当にあったことなのか、夢だったのか、自分でもはっきりとわからないままだった。
 車は丘の麓をぐるりと回り込むように進み、リアガラス越しに、ようやく鉄塔の姿を眺めることができた。いつものように樹々の上から顔を覗かせている。そして麓には赤白鉄塔。
 その時、私は気づいてしまった――あの鉄塔と赤白鉄塔との間隔が少しだけ狭くなっていることに。それはたぶん私にしかわからない、ほんのわずかな距離だったけれど。
 窓から見上げた青い空には、見馴れた昼の月が浮かんでいた。




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*作品公開については監修・田丸雅智氏の了承を得ております。


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