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普通のOLはなぜ会社を辞めインドへ行きヨガ講師になったのか(後半)

前回の続きです。

2022年9月、胸をバクバクに高鳴らせついにインドのヨガの聖地リシケシへ。

ここはスティーブ・ジョブズやビートルズがヨガを学びにきたことでも知られているヨガの本場。

たくさんのアシュラム(ヨガを学ぶお寺のようなところ)があり、ヒマラヤが近く自然に囲まれ、ガンジス川の上流が位置する場所。

これから1ヶ月間、アシュラムで集団生活が始まる。

この時はまだワクワクと同じくらい不安や恐れもあった。

インドに行くと決めてからの3ヶ月間、ヨガレッスンに励んできて、ヨガの難しさにぶち当たっていた。

当たり前やけど、思ってる以上にヨガ難しい!
色々できなさすぎて、今のレベルで先生目指すやと?
ちゃんちゃらおかしいわって感じだった。

先生目指すどころか1ヶ月のトレーニングについていけるのか…?!
インドまでヨガを学びに来る人は一体どんな猛者なんだろう?うまくやっていけるかな…?

かなりドキドキだったけど、顔を合わせてみると、みんな良識のあるいい人たちで私のようなヨガビギナーもチラホラいてホッとした。
「これは神様の采配か?」なんて思ったりした。

インドでの1日のスケジュールはこんな感じ。

5時半起床で6時から授業がスタート!

午前はアーサナ(ポーズ)とプラヤナヤマ(呼吸法)の授業。

その後ランチタイムで、お昼休みは2時間くらいあるんだけど、この間に洗濯物をしたり(洗濯機なんてものはない!全部手洗い!)、復習などをしているとあっという間にすぎてしまう。

そして午後はヨガ哲学の授業。
ヨガはヒンドゥー教、仏教に通じるとても深遠なヨガ哲学というものがあり、その教えを学んでいく。

そのあとは再度アーサナの授業。
終わったらディナーを経て、夜はメディテーションのクラス。

毎日授業を受けていたドーム。緑に囲まれて猿やリスがよく遊びに来てた。

食事は毎回、インド人マダムお手製のベジタリアンフード。
アーユルヴェーダに基づいたスパイス料理でこれがめちゃくちゃ美味しかった!
インドではスパイスは薬と考えられていて、筋トレで疲れた身体に沁み渡り、スパイス料理が大好きになった。

あとインドに行くとお腹を壊すというけど、私は一回も壊さなかった!
むしろ日本に帰ってきてから2週間くらい壊した。笑
免疫力がインド化して日本の清潔さに適用できなかったのかも。


毎日カレーでもぜんぜん飽きずおかわりしてた。

こんな生活を1ヶ月も続けていくうちに、39歳のOLはどこかへ消えて、だんだんピュアな子供に戻っていくようだった。


でももちろんいいことばかりではなくて、不便な面もたくさんあった。

施設では1ヶ月軟禁状態で毎朝5時起き。
寝不足と筋肉痛の中、制約の多い集団生活にはストレスも感じた。

部屋のトイレは汚くて暗い廃墟(トイレットペーパーのありがたさを痛感した笑)だし、得体の知れない虫に背中いっぱい噛まれたりもした。

でもそれらを払拭するくらいたくさんの恩恵があった。

アーサナの授業では、
何かに打ち込むことの楽しさを味わい、身体がどんどん柔軟に逞しくなっていき、毎日が刺激的だった。

ヨガ哲学の授業では、
尊く神秘に満ちた教えが、私の心に沁み渡り、空っぽな自分を全肯定されたような感覚を体験した。

瞑想の授業では、
呼吸に意識を向けるうちに、不完全で不器用な自分が許されて、まるでこの世界に溶けていくようだった。

自然と涙がツーーーっと流れていた。


中でもヨガ哲学のサトヴァの教えには衝撃を受けた。

サトヴァには、純粋、調和、明るさ、という意味がある。

物事を良いor悪いなどとジャッジせず、純粋な気持ちで俯瞰している状態のこと。

この世の中は、「何かを成し遂げること、頑張ること=いいこと」という図になっているように思う。
 
私はOLのとき、仕事がイヤで転職するかめっちゃ悩んで、でも39歳という年齢もあり辞めるに辞められず鬱状態になってしまった。

そんな自分がいい加減イヤになって、変わりたい!って心の底から思うようになり、日本を飛び出しインドまでやってきた。

ここまで来たからにはなんとかヨガをものにしようとがむしゃらに頑張っていたときに、この“サトヴァ“と出会った。


授業で、インド人のヨガティーチャーはこう言っていた。

「何かを成し遂げることよりも、ただ今ある状態に気づこうとすること。 
心の奥の静けさに触れること。
これがいちばん大切なんだ。

何も変えようとしなくていい。
私たちはこれまで生きてきた中で、すでに色んなことを成し遂げている。
ないと思うなら自分が見落としているだけ。
それに気づくだけでいいんだ。」


これを聞いた瞬間、目の前がパァーーーーとひらけた。

「成し遂げようとする必要なんてなかったんだ、大切なのは気づくことだったんだ!
必死でもがいていたけど、今のままでも十分だったんだ…」

今の自分が全肯定されたような感覚が、ぶわあぁぁと全身を駆け巡っていった。

このとき初めて自分というものを受け入れることができた。

私にほんとうに必要だったのは、成し遂げることや変化ではなく、受容と許しだったのだ。
それをヨガを通じて、身体、心、脳の全身で感じた1ヶ月だった。

そんな日々を送る中で私は、
一生ヨガと関わっていたい。
この素晴らしさを伝えたい。
ヨガの先生になりたい。
もうできるできないじゃなくて「なる」。

どんなに恥をかいても泥水を啜ってでもヨガの先生になろう!と固く決意した。

帰国後、先生になるためには、相当な練習を重ねる必要があると思った私は就職せずに約半年間、朝から晩までヨガをした。(これも勇気のいる決断だった!)

2つのスタジオを掛け持ちしてレッスンに通い、並行して知り合い相手に先生としてレッスンを開き始めていった。

前に進めば進むほど課題だらけで自分のスキル不足が悔しくて何度もくじけそうになった。

それでも諦めなかったのは、この世界には私のようにヨガで救われる人がきっといる!って感じるから。


色んな情報に振り回されて自分を見失ってしまったとき、
どこにも居場所がなくて息苦しさを感じたとき、
何者かになろうと必死にがんばってもう疲れてしまったとき、

ひとまず思考や感情は手放して、ゆったりと硬くなった身体を解きほぐしていく。

もうすでに充分がんばってきた身体を労り、ただ受け入れていく。その優しさはやがて心にも伝わっていく。

受容は全ての土台であり癒し。
進化も拡大もそこから始まる。

ヨガは受容へ導いてくれる大いなるガイド。
私もまだまだ旅の途中。

皆さんにヨガでもたらされる恩恵(ヨガとは単なるエクササイズではなくヒーリングなのです!)をお届けできるようこれからも精進していきます!



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