仕事とお金のはなし
大学4年生の夏、日本語教師という仕事に出会って、一目惚れをした。
「この仕事だ」と思った。稲妻が走った。
その日から、日本語教師という仕事は、
わたしにとって、「お金をもらわなくてもやりたい仕事」になった。
−−−
日本語教師になって、今年で7年目。
ここ2年、ずっと悩んでいたことがあった。
それが、「お金との向き合い方」だ。
日本語教師という仕事が、
「お金をもらえなくてもやりたいこと」だったがために、
今まで、お金のことをまったく考えずに過ごしてきた。
仕事をするかしないかの基準は、
「したいか、したくないか」、「わくわくするかしないか」で、
そもそも、日本語教師という仕事が好きだったから、
もらえるだけの仕事をほぼ全部受けていたのだ。
断る理由もなくて、仕事をもらえることが、嬉しかった。
−−−
そんなふうに、3、4年は仕事を続けてきたわけなのだけど、
そんなわたしにも、気持ちに変化があった。
きっかけは、結婚をしたことと、
経験を積んだことで仕事を選べるようになったことだ。
「結婚」を機に、
お金のことを考えざるをえない状況になった。
家族と有意義な時間を過ごすためには、お金が必要だからだ。
そして、「仕事を選べるようになったこと」で、
仕事を受ける判断基準に、「お金」が加わった。
「やりたい」だけでは、仕事が増えすぎてしまったから。
自分は、「やりたい、楽しい、わくわくする」だけで仕事を選んできてしまっていたため、
まだ仕事を選ぶ軸が定まっていなかった。
「お金」という基準が一番手っ取り早かったのだ。
だけど、これは、わたしにとって、
難しいことだった。
「この仕事は、もうあまりやりたくないけど、安定したお金にはなる」
「お金が心配だから、仕事は減らせない」
「やりたくないけど、時給は高い。」
「もっと時間をかけて準備したいけど、この仕事だとお金が割に合わない」
そんな考えが、生まれ始めたからだ。
「お金」を基準としたことで、
「自分のやりたいこと」がわからなくなった。
「お金」のことばかり考えている自分を卑しく感じた。
「プロ」として、サービスを受ける学習者に申し訳なくなった。
「お金」に支配されて、
仕事をどう選んでいけばいいか。
やりたい仕事と、お金と、
どう自分の中でバランスをとればいいのかが、
わからなくなっていったのだ。
−−−
その日から、わたしは、
「『お金』というものを、どうやって自分の中に位置づけていこう」
というのを考えてきた。
迷わないために、必要なときに正しい判断をするために、
「仕事」と「お金」に対して、
納得できる落とし所がほしかったのだ。
そして、
2年間、考えて、考えて、
ようやく自分が納得する答えを出せた。
わたしは、
自分が、心からいいと思って提供できる、
全力で向き合える仕事がしたい。
そしてそのためには、
全力で向き合うことができる環境が必要だ。
レッスン時間を減らして、
準備にかけられる時間と、スキルアップしていく時間を確保する、
そのためにわたしは、
単価の高い仕事にこだわる。
これが、わたしが出した、
仕事とお金との向き合い方だ。
レッスンを受けてくれる学習者のために、
学習者を欺かないレッスンをするために、
わたしは、ちゃんと、
「お金」にこだわる教師になろう。
2年間、悩んで悩んで悩んできたことだった。
何に悩んでいるのか分からないところから、
考えて考えて考えて、
答えを出して、
ようやく、
状況を変えるところまでたどり着けた。
−−−
「お金」に対して、
きちんと自分の答えを出せたことが、
本当にうれしい。
迷わずに判断して、決断していく軸が、
ちゃんとできた。
日本語教師という仕事は、
今も変わらず、
「お金をもらえなくてもやりたい」仕事だ。
だけど、
これからも、日本語教師の仕事をずっと続けていくために、
誇りを持てる仕事をやっていくために、
「お金」と向き合っていきたいと思う。
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