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母子草の賦(連載第2回)

 幼い姫がお家再興を目指す和風ファンタジーです。ヤングアダルト向けっぽい感じでしょうか。連載10回くらいで完結…の予定です。〈全文無料公開〉

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 楓が勘吾の肩の上で頭を垂れ、うつらうつらしていた。性悪で気が強いといっても、そこはお姫様育ち。
 草鞋をはくのも、一日中歩くのも、野宿をするのも、楓にとっては何もかもが初めてのことである。落城によって突然放り込まれた過酷な生活も十日を数え、疲労は限界にまで達していたのだった。
『よほど疲れておったのだな。不憫なことよ……』
 勘吾が気遣わし気に楓を見やる。
 本来なら侍女にかしずかれ、城主の娘として何不自由なく贅沢に暮らせたものを。負け戦に犠牲は付き物だが、幼い姫の過酷な運命を思い、勘吾はため息をついた。
「あと何人か侍を雇いたいのじゃが。勘吾、そなた誰ぞ心当たりはないか」
「いつも戦ばたらきをするときの連れが三人おりまするが」
「腕は確かか」
 尋ねる惣右衛門の眼が光った。顔つきが、性悪の幼い姫に手を焼く傅役から、数多の戦を生き抜いてきた武将のそれに一変している。
『さすがだ』と、勘吾は心中で舌を巻いた。
「はい。それはご満足いただけるかと。ただ、皆、少々変わり者ぞろいにて」
 惣右衛門が苦笑しながらかぶりを振った。
「姫がこの通りじゃからのう。それゆえ、性(しょう)については、わしもうるそう申すつもりはない」
 それもそうよの。おあいこというところか。いや、姫の勝ちやもしれぬ。
楓にやり込められて閉口する仲間の姿を想像し、思わず勘吾は吹き出しそうになった。慌てて自重する。
「それでは、三人ともこの先の盛り場におりますので誘うてみまする」
「うむ、頼んだぞ」
 そして勘吾は、先刻より心にかかっていたことを口にした。
「魔物が相手なら、腕っ節だけでは心もとのうござるが」
 惣右衛門が大きくうなずく。
「無論手立ては考えてある。知り合いの寺で、修験者をひとり雇うつもりじゃ」
「それは重畳」
 勘吾はにこりと笑った。気持ちがすっと軽くなる。
 修験者であれば術を遣うことができる。魔物と戦うには心強い、否、必要不可欠な存在であった。
 すっかり寝込んでしまった楓を肩から下ろし、左腕に抱え直す。すうすうという寝息も乱れることなく、まったく起きる気配はない。
 長いまつげがほおに影を落としていた。
「愛らしい寝顔でござるな」
 胸の辺りがぽわりとあたたかくなって勘吾が微笑む。しかし惣右衛門は小さなため息をついた。
「五つのときにお母上が亡くなられてから、姫はすっかり変わってしまわれた。それまではごく普通の優しゅうてかわいらしい、どちらかと申すと、むしろおとなしく気の弱いお子でござったが……」
「母御を失うたのが、よほどこたえたのでありましょうな」
『母上か……』
 心の奥底をちくりと針で刺されたような心持ちになって、思わず勘吾はそっと唇をかみしめた。
「姫は兄上が三人、姉上が四人の末子でのう。その上、後ろ盾の母上もおられぬゆえ、まあ、それなりの扱いじゃった。それもあるのやもしれぬ」
 勘吾はふと、眉根を寄せた。
「厄介者の幼き姫に、何ゆえ魔物退治なぞ」
「わからぬ」
 惣右衛門はゆるゆるとかぶりを振った。彼自身、この十日間ずっと自問自答していたのだ。
 殿のご存念は奈辺におありだったのかと。
「立花どのも骨の折れることじゃ」
「いやいや、お役目でござるからのう。それに長年お仕えしておるうちに、面倒をかけられるのにも、もうすっかり慣れてしもうたわ」
 惣右衛門は愛おしそうに、楓のほおをそっとなでた。
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「ほう、なかなかに賑やかじゃのう」
 惣右衛門が興味深そうに辺りを見回した。日は彼方の山の端に沈み、薄墨色の夜がひそひそと忍び寄る黄昏時。
 普通の商家ならそろそろ店じまいの頃合である。だがこのあたりは、これからが書き入れ時となるのだ。
 飯屋はもちろん、女子と遊ぶのを目的とした店もある。そして、何を商っているのかよくわからぬ、怪しい店も存在していた。
 店の客は皆、勘吾と似たような境遇の男たちである。戦働きでたつきを立て、戦国の世を渡っているのだ。
 戦いの疲れを癒し、己の欲望を満たす。また、生き延びるために必要な物資や情報も得ることができた。
 思い思いの目的のために彼らは集まり、そしてまた、戦場へと散っていく。ここはそういう場所であったのだ。
 勘吾と惣右衛門は、『ひさご』という店ののれんをくぐった。人々の話し声や笑い声が、耳にどっと飛び込んでくる。
 飯の炊けるにおい、煮物や焼き魚、味噌汁などの入り混じったにおいの洪水が鼻腔をくすぐり、勘吾の腹がきゅるきゅると鳴った。
「勘吾、遅かったではないか」
 でっぷり太った男が、口から飯粒を飛ばしながら手招きをした。ほおの肉に埋没した目が、糸のように細い。
「すまぬ、久兵衛。ちと取り込みごとがあったのだ」
「その子どもはどうした。さらってきたのではあるまいな」
 にやりと笑うと、久兵衛の向かいに座っている男が隣の女の腕をつかみ、自分の方にぐいと引き寄せた。男のくせに色が白く唇が赤い。女どもが好みそうな、端正な顔立ちをしている。
 女は嬌声をあげながら、わざと大仰に姿勢を崩した。男に向けられたその視線には、たっぷりと媚が含まれている。
「まさか。そなたとは違うぞ、右京」
 苦笑する勘吾に、右京がしらしらと言い返す。
「人聞きの悪いことを申すな。俺はそのような童を相手にはせぬ」
 右京がどこかなげやりな調子で、うれしそうにしなだれかかっている女の髪に口づけをした。
「勘吾。大きな図体をしてそのようなところに突っ立っておられては商売の邪魔だ。さっさと座れ」
 どんぐり目でだんごっ鼻の小柄な男が顔をしかめる。
「相変わらずまめじゃのう、十蔵。そなたにも話がある。座ってくれ」
「話なら手短にしてくれ。俺は忙しいのだぞ」
 しかめっ面のまま、十蔵が前掛けを素早くはずしてくるくると巻く。戦場(いくさば)に出ていないときは、『ひさご』で働いているのだ。
「右京」
 勘吾は座敷に上がりながらあごをしゃくった。右京の形の良い眉が、ほんのわずかつり上がる。
「わかった……おたみ、またあとでな……」
 女がぷっとほおを膨らませ、尻を振りながら店の奥へ消えた。怪訝そうな面持ちで久兵衛が尋ねる。
「人払いまでして。勘吾、何なのだ、一体」
 勘吾はつとめて軽い口調で切り出した。
「仕事の話よ」
 十蔵が目を輝かせ、金のにおいを嗅ぎ取ろうとするかのように鼻をひくひくとうごめかせた。とことん金儲けが好きな男なのである。
「どこの戦だ」
「戦ではない。魔物退治だ。雇い主は、空知の楓姫」
 勘吾は、腕の中で眠り込んでしまっている楓を示した。
「こちらは傅役の立花惣右衛門どの」
 紹介されて惣右衛門が一礼した。
「長沢久兵衛でござる」
 軽く頭を下げる。あとのふたりもそれにならった。
「望月右京と申す」
「林十蔵でござる」
 惣右衛門が懐から巻物を取り出し広げて見せた。絵図面の中に赤い丸が五つ記されている。
「それぞれの場所で魔物を倒し、証拠の玉を持って山の神殿に詣でれば、神が願いをひとつずつかなえてくださる。わしと姫は空知家の再興をお願いするつもりじゃが、そなたらは好きにするがよい」
「ほう、願いとな」
 右京が片ほおをゆがめて笑った。だが、十蔵は真剣な面持ちでずいっと身を乗り出し、意気込んで尋ねた。
「して、雇い料はいかほど」
 惣右衛門が、握り拳大の皮袋を四つ並べた。
「これは半金。事が成就した暁に残りを支払う」
 十蔵の喉がごくりと鳴る。芋の煮っころがしを勢い良く口に放り込みながら久兵衛が尋ねた。
「勘吾は行くのか、魔物退治に」
「ああ、姫に頼まれたんでな」
「じゃあ、俺も行く」
 久兵衛があっさりと言い、もうひとつ芋を放り込んだ。
「俺ももちろん行くぞ」
 銭が入った皮袋を、十蔵がうっとりと見つめる。
「俺も行くかな。おたみがうるさいのだ。夫婦(めおと)になれと。俺はひとりの女に縛られるのは性に合わぬ」
「自業自得。女に金を使うなど、もったいないことをした報いじゃ」
 焼き魚の皿に手を伸ばしながらからかう久兵衛に、右京はふんと鼻を鳴らし顔をしかめた。
「相変わらずよう食う男よ。そなたのように、飲み食いに使うのはもったいのうはないのか。それに俺は女子には金を使わぬ。使わぬでもことがすむ。むこうが勝手に貢いでくれるのでな」
「ということは、皆受けてくれるのだな」
 うなずく男たちの前に、やれやれほっとしたという表情で、惣右衛門が皮袋を押しやり頭を下げた。
「それでは、これからよろしゅう頼む。姫は世間知らずの上に性が悪い。なにかと腹の立つこともあるだろうが辛抱してくれ」
「惣右衛門どの、ご案じめさるな。我らは童の言うことに、いちいち腹を立てるほど肝が小そうはござらぬぞ」
 からからと久兵衛が笑う。楓が身じろぎをし、薄目を開けた。
 勘吾が相好を崩す。
「おや、お目覚めかな、姫」
「眠ってなどおらぬ」
 目をこすりながら、楓が不機嫌そうに答えた。勘吾の膝から滑り降り、支えてくれていた腕を乱暴に押しやる。
 勘吾は嫌な顔ひとつせず、笑みを浮かべて座る場所をあけてやった。その様子を見て、右京が皮肉っぽくくちびるをゆがめる。
「姫、勘吾の仲間が加わってくれましたぞ」
 紹介しようとする惣右衛門を、右京が制した。
「起きておられたのなら、我らの名はご存知のはず」
「おい、おとなげないぞ」
 顔をしかめた勘吾に脇腹をつつかれても、右京はまったく知らぬ顔をしている。楓が間髪を入れずに答えた。
「もちろん存じておる! でぶにちびに女たらしじゃ!」
 思わず絶句する右京に、残りの四人はぷっと吹き出し、ひざをうち叩いての大笑いになった。
「姫、ちびとでぶはともかく、右京が女たらしというのはどうして」
 目じりの涙をぬぐいながら十蔵が尋ねる。
「首筋に紅がついておる」
 右京が手ぬぐいで首をふき、舌打ちをした。〈次回へ続く〉

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