夫婦の凹凸が合わないんです。
私は育児が苦手、夫は育児が得意。なのに私は在宅職、夫は激務職。家事はというと、私に適性があって。さて私たち夫婦はどうしたものか。
育児の凹凸
夫は子育てに肩肘を張らない。いつも自然体で子どもに接する。わが子だけでなく、よその子にも。だから本当によく子どもから好かれる。
在宅で仕事をしているときも、ゆっくり寝たいときも、一日中一緒にいるときも。彼は子どもにイライラしない。むしろその時間を楽しんでいる。
もちろん怒らなければならない場面では怒るし、気持ちをまっすぐ伝える。でもそこに恐怖や脅しはない。切実さがあるだけだ。
さて反面、母親である私はどうか。
朝方、夕方、寝かしつけ前。忙しさのピークでは、常に怒っているか呆れているか真顔か。そりゃ子どもらしい、かわいい場面に遭遇すると顔はにやけるけど。大抵、鏡に映る私はしんどそうな面持ちである。
そんな2人の育児分担は比率で言うと、私が8割負担。夫は平日早くに帰宅できれば、お風呂、ドライヤー、歯磨き、寝かしつけなど夜をほぼ子どもと一緒に過ごす。帰宅が遅くなれば、やむを得ずノータッチだが、その分休日には習い事の送迎や昼間の遊び相手を買って出てくれる。
私がこの分担に納得しているかというと、納得し切れてはいないが、折り合いをつけれているというのが正直な感想だ。
何せ、彼は激務職。そして彼は私の育児の至らなさを決して責めない。その安心感はこの上ない。
仕事と家事の凹凸
「俺、専業主夫、結構上手くやれると思う」
日本中の専業主婦から激昂されそうな言葉だが、側から見ている私だってそう思う。毎日の仕事にうんざりしている彼は、のんびり楽しく毎日の育児をした方が笑顔でいられる。
一方の私は育児より、成果が見えやすい仕事が大好きだ。暇を見つけてはPCの前に向かってしまうし、通帳の収入額を見るとにやにやしてしまう(少額すぎるけど)。
ふと「私と彼がもし性別が逆の状態で出会っていたら、どうなっていただろうか」と妄想したりする。
それはそれは、非常に快適で……と思いたいところだが、きっとそれはうまくいかない。
なぜなら夫の家事適性は非常に低いから。
私と夫の役割が入れ替わったもうひとつの世界線で生きるモーレツ社員みみこは、帰宅してご飯を食べるたびに単調なメニューに怒りを覚え、お風呂に入るたびにはびこる水カビに恐れをなし、いつ洗ったかわからないシーツを前に立ちすくむ毎日を過ごす。そんな姿がありありと思い浮かぶほどだ。
そしてモーレツ社員のみみこは、「私はこんなに働いているのに!」と妻である夫に怒りだし、子どもたちは怯える。そこに幸せはない。
凹凸はハマらない
私たちはお互いの得意と不得意が、カチッと埋め合わせられない世界で生きている。
それはきっと夫婦だけではなくて、家族でも職場でも学校でも当たり前に起こっていることだ。
近頃、多様性の素晴らしさを掲げる風潮は強い。もちろんダイバーシティがもたらす「しなやかさ」はこれからの社会に必要だろう。
でも多様性さえあれば世界は滑らかに丸くおさまるのか、といえばそう簡単な話ではない。
凹凸がすべてかちっとハマるほど、世界は単純じゃない。
私たち夫婦のように、なんだか歪で、だからこそ個性があって、喧嘩もして。多様性の担保された世界だって完璧じゃない。
今日も私は家事を9割担当しながら、苦手な育児に邁進する。そして仕事を心から楽しむ。
それはまるで、多様性のある社会で折り合いをつけながら楽しく暮らしていくお手本をつくるような。そんな日々なのである。
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