海を見ると死にたくなる⑥/社会人1年目日記〜自由への順応〜
外に1歩でただけで絶望的な暑さに襲われている気がする。まだ8月が始まったばかりとは驚きの事実である。
電車の冷房は今日も少し、効きすぎているくらいだ。
食品業界に就職し、生産管理職として工場で働いている知り合いのことを思い出した。
地方に飛ばされ、毎日同じ作業を丁寧に繰り返す。年功序列でいつかは年収が上がり、安定していて解雇されることはない。
「どんなに安定していても、それじゃなんの能力も身につかないよね?」と私の会社の同期が言った。
そうかもしれない、でもきっと考えが違うのだ。仕事に何を求めるか、私たちは面接で見られている。挑戦と実力主義...これを大切にする人が私の周りには多く集まった。
上も下もなく、ただそこには人生の中で多くの時間を費やさざるを得ない「仕事」というものの価値観に対する差があるのだ。
こんなことを会社の貴重な昼休みに考えている場合ではない。
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実力主義でありそこそこ自由度があるこの会社で、私たちはチームの中での「個」を求められる。自由であるということの裏側には、「マネージャーに全て委ねられている」という事実がある。
マイクロマネジメントをするかどうか、何度も面談をしてくれるかどうか、そもそも厳しめか優しめか。
だから私たちは個を求められ、合うであろうマネージャーの元に配属される。この「合う」という言い回しの奥深さを考えずに。
合うかどうかなんてもう少し時間をかけて会話を重ねないとわからないんだけれどね。。
私は自由が求められていることの弊害で、マネージャーのノリについていけなかったらどうしようという変な悩みがある。そのマネージャーのスタンスに合わせ、楽しく会話をしていくための順応力が問われている気がしている。
マネージャーの意見が絶対という訳ではないし、パワハラが横行しているとかそんなことは全くない。だけどそこにマネージャーが願うチームの雰囲気というものがあって、わたしはその一員であることを求められる。
まぁこれが仕事というものか、と思って吐く溜め息も 順応とともに徐々に減っていくのだろう。
私が望んでいた「チームで働く」という希望と現実には、少しばかりのギャップがあったのかもしれない。
社内で顔を広めて、色々な人と関わっていかないと昇進できないというこの世界に少しばかり嫌気が刺している。優秀さの中には仕事の能力だけではなくて、社交性やコミュニケーション能力が求められるのだ。
自分の顔を売るという作業?を働きながらしていかなければならないなんて。色々な人と関わるのは好きだし、初めて話す人との会話の内容に関してあまり深い悩みはない。
でも何かそこに自分の欲というかしたたかな部分が入るのが嫌だし、誰かのそんな部分を感じ取るのが私はきっと嫌なのだ。
これがある程度人数が多くて中途入社も多い会社の雰囲気なのか、これは入ってからじゃないと分からない。中途入社のマネージャーが多い中で、どこの企業出身かによって雰囲気がだいぶ変わっている。
決して少なくない数の転職をされていた最初のマネージャーがおっしゃっていた。「僕は色々な会社に行っているかつ今の会社に入ってまだ数年です。だから僕みたいな雰囲気のマネージャーが多いというふうには思わないでください。」
この会社らしい人というのはどのような人なのだろう。そう考えながら、私は今日もマネージャーと「それなりに上手くやる」方法を模索している。
つらつらと思うままにメモ帳に下書きしたので文字数が分からない。これくらい書いたら2000字という感覚は前はあったはずなのになぁ。
まぁ今日はこの辺にしておこう。
なんとなく週一ペースで何かしら書く流れになっているので、また来週。
noteに貼ったら1500字くらいでしたね、ちょうどいい。