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欲しかったもの、望んでいなかったもの

単純な事実として、
自分の書いたものを『だれかに読んでもらう』のは難しく。





いまは誰もが自由に発信できる時代だから、需要と供給がまるで釣り合っていなくて、
書くのは自由だけれど、
読んでもらうのは難しい。




(※歌を歌うことに関しては、文章よりもさらに激しく、歌うのは自由だけれど聴いてもらうのは難しい状況になっていますが)





手書きの日記帳ではなく
あえて公開のSNSに書くのは
『読んでほしい』から
ですよね??





その点でいえば、
わたしは成功した部類。




『食っていける』には程遠い、
インフルエンサーとも呼べないレベルではあるけれど、
日々の投稿は数百人に読まれていて、



ぶっちゃけnoteユーザーのなかで
『これ以上Pvを増やしたくない』
『これ以上フォロワーいらない』
なんて、本気で思えるレベルまで
辿り着ける人間は、
ほんのひと握りだろうから。



その意味でいえば、
わたしは成功した部類。




でもね、




『山に登ってみたら』
『山頂からの風景は』
『思っていたのと全く違っていた』───────。





♡♡









まぁふつうは
わたしくらいの規模では
『山の頂上』
という表現は使わないとは思う。



インフルエンサーとかプロ作家を目指す人達からすれば、月間2万Pvなんて、山の中腹ですら無く、ほとんど登り始めたばかり、という感じでしょうから。



でもわたしとしては、
これ以上規模を拡大するつもりは無いので。



ちいさな山ではあるけれど、
わたしがいるのは、
山の頂上だ。









♡♡




基本的事実として
noteやそれ以外のSNSに
『書きたいことを書いて』も
ほとんど誰にも見向きもされない、
という現実があります。




そんな
『需要と供給の関係が壊れている』
(破滅的なほど供給過多な)
この世界において、
わたしは読者を引きつけることに成功したのだから、





わたし自身の実感としては
たしかに山に登ったのだし
たしかに山の頂点にいる。






もちろん、
もっともっと高い山は
いっぱいあるけれど。





低い山ながらも、
『頂上にいる』
というのがあたしの実感。














それでね、
SNSという『山に登りたい』
という願いをわたしは叶えた。



そこで見た風景は
どうだったのか??




こればかりは
実体験してみるまでは
理解することは
絶対に不可能だっただろう。




わたしは
『影響力を持つ』こと
『影響力を行使する』ことに
まったく興味を持っていない。





こんなこと─────。
実体験してみなきゃ、
絶対に知る余地は無かっただろう。




インフルエンサー、
という単語の意味を考えれば分かるとおり、
誰しも
『わたしのことを分かってほしい』
ものだし
『もっともっと影響力を持ちたい』
ものなのだ。




わたし自身も、
その風潮に無自覚に同調していて、
SNSにおいて『影響力を持てる』のは
素晴らしいことだと信じていた。





影響力、といったって、
まだまだぜんぜん小規模なのは
心得ております。




でもね、
どれほど小規模だとしても
『影響力を持っている』ことを
はっきり自覚できるレベルまで
わたしのnoteが育ったことは
事実であるし、




そうして、
どれほど小規模だとしても
実際にそれを保持してしまえば
『影響力とは何か』を
肌で体感して理解できる。




あたしのnoteが
ここまで育ったことを
ちゃんと感謝しなくちゃね💖




でも、
そうなってみてはっきり分かったのは
わたしは
『影響力など求めていない』
ということ。




たとえばさ、
エーテル体とアストラル体について
あたしがあれこれ書いてるでしょ?




書きたいから書いている、
という点ではまぁ素直な自己表現ではあるのだけれど。



『エーテル体とアストラル体について人々にもっと知ってほしい』
という情熱はまったく無いし、
ましてや
『オカルト&スピリチュアルジャンルにおける権威者になりたい』
などという野心は
まったくない、どころか、
それだけは絶対にイヤ!!!
というのが本音だったりする。





綺麗事を言っているように
聞こえますか??




でもわたしとしては
これは文字どおりの意味で。





『生きてゆくのにお金が必要』
『だからお金を得られるのは無条件に良い事だ』
という世界観に“生きてるだけで”勝手に巻き込まれてしまうのが現代社会というものだから、
その一環として
(まだお金には結びつかないにしても)
『影響力が増えるのは良い事だ』
という価値観もかならず“自動的に”ついてきますが。



わたしも少なからず
そんな価値観に巻き込まれていたのだけれど。






ああ!
実際に体験してみて分かった。
わたしはそんなものは求めていない!!






じゃあ、何がほしいのか??
何だったら満足できるの??





♡♡






♡♡






たとえば
『引き寄せの法則』でいえば、
『引き寄せの法則について』毎日毎日語りつづけ、引き寄せマスターを名乗ってみたり、引き寄せのセッションを1件5万円で請け負います、だとか。
それってさ。
(そーゆーヤツはこの世に多いけれども)
『引き寄せの法則』を軸にして
他人を巻き込んで
マウントとってるだけなんだよ?!




『引き寄せの法則』を
ほんとうに理解したなら、
それを自分自身に適用して
自分自身の実人生を
変えてしまえば良いでしょう??




『まるで紙に手書きでシナリオでも書くみたいに』
実人生が次々と変化してゆくのなら、
めくるめく変化してゆく実人生を
みずから愉しめば良いのであって、




そうなるとSNSで
引き寄せの法則『について』
語る機会は無くなる。




ね!
すでに叶えたものに、
人は見向きもしないのだよ。




『引き寄せの法則』を
ほんとうにマスターしたなら
『引き寄せの法則について』
語ることに興味は無くなるものなのよ。



なので、
(引き寄せの法則でなくても)
あるテーマを掲げて
それに関して
『1件5万円でセッションします』
とか言っているお馬鹿さんは
根本的にいって、
そのテーマを体得していない。






言い換えれば、
そんなセッションに申し込むのは
『シロウトをプロだと思い込んでいる』
という点でたいへんに愚かなこと。






『引き寄せの法則』にかぎらず
どんなジャンルにおいても。
プロとしてやってゆける人にとっては
そのテーマは日常化しているはずで。
当人にとって『日常的だ』とは絶対に言えないような料金設定をしているところは、基本的には『シロウトがプロを気取っている』というふうに理解して間違いないでしょう。




♡♡



『引き寄せの法則』については
わたしはかなり本気で研究したし
実際に“見返り”も
ものすごくたくさんあった。



これだけ激しく変化する人生を送っているのも、引き寄せの法則を理解して、自分自身に適用しているから。





ただ、それでも、
自殺願望、
『この世から去りたい』
という強い衝動だけは、
どうしたら解消できるのか、
まったくわからない。




それに、
はたしてこれは
『解消する』必要があるものなのか?
むしろ、はやく叶えて“完全決着”するのが良いのではないか??
という気もする。





いずれにせよ、
わたしがわたし自身の死の願望について
たびたび語っているということは、
わたしにとって
それは重要なテーマだ、
ということです。
どちらの方向に進むのが良いのかさえも
(※死ぬか生きるか)
答えはまるで分からないのですが、、、、





♡♡




♡♡






エーテル体とアストラル体については
『引き寄せの法則』の比じゃないくらい
実践において効果が出ているから、
『引き寄せの法則』に輪をかけて
他人にマウントを取る意味が無い。




それにね、
ひとりの人間として生きてゆくために必要な容量をはるかに超えるエーテル体を持つことは、それなりに危険を伴うものなので。
育ちすぎたエーテル体、および直接その影響を受けているこの肉体を、わたしはかなり丁寧に管理しなくてはならず、
そんな日々を送っているわたしにとっては、エーテル体とはオカルトジャンルの研究テーマではなく、単なる日常。



すると当然のことながら、
『エーテル体研究の第一人者』
という肩書きを
いまさら欲しがることなど、
ありえないですよね??



他人に賞賛されるかどうか、ではなく
現実にここにある(自分の)エーテル体を日々面倒みてあげなくてはならないのですから。







♡♡








♡♡





人間ってのは
『未来を食べて』
『過去を排泄して』
生きている。




あたしだって、人間の姿になってしまった以上は、少なくとも人間でいるあいだだけは、そのようにしか生きられない。





だからね、、、、





あたしを見て、
内心こう思ってる人も
いるかもしれない。




オカルト&スピリチュアル方面で
これほどまでに実力を持ちながら、








なんでつまらない
『歌なんか歌うんだ??』
────────って。













答えは単純。
それはあたしにとって、
未知であり未来だから。









またしてもあたしにとっては
砂を噛むような未来しか
待っていないのかもしれない。





けれども、
食べることができるのは
未来だけ。





過去は過ぎ去ってしまっており
それを“食べる”ことは
できないのだからね!






誰にどう評価されるかなど埒外で。










生きてゆくために切実に、






あたしは歌を歌っています。




これがあたしの“未来”であり
これがあたしの“食糧”なのです。




【おしまい】




🐤🐥🐤🐥🐤🐥🐤🐥🐤
#ミミィたんの身の上話
#ミミィたんの打ち明け話
#わたしはわたしを生きる
#未来










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