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右膝をやってしまった。 経過観察25日目

去年僕が作った夏休みの自由研究です。笑
ダンボールとその他のアイテムで創って、山梨の八ヶ岳にあるフットボールの聖地へ寄付しにいきました。オーナーも大変喜んでくれて、その時にご一緒したフットボール大好きお兄さんのお子さんも「俺も作りたい!」なんて言ってくれて心底嬉しかったです。
これもサッカーの力、フットボールの力。素敵です。


コリって音が鳴った。

昨晩のこと。夕飯の準備をしていて普段通りに移動していたら

「コリッ」

膝の中で音が鳴りました。ん?なんだいまの?
と思いましたが、そこから一気に腫れたりするけでもなく痛みが増すわけでもなかったのでそのまま過ごしていました。
そして今朝になって膝の曲げ伸ばしをしてみると、曲げが昨日に比べて楽になりました。
これはリハビリの成果なのか昨晩の「コリッ」によるものなのかがわかりません。どちらにせよ状況的にラクになったのは良い事なので今日もリハビリを頑張りました。


基本的に期待していない(供給側)

これも結構色んな人に言っているのですが「えーー。」とか「そんなのさみしいじゃん」と言われることが結構あります。
何かをして欲しいという願望も薄くて、何かしてもらいたいという願望も薄いのです。基本的にそこに生じる"見返り"のようなモノに全く期待していません。ただ自分が何もしないわけではありません。「状況に応じて必要だと感じたら行動する」をするんです。

例えば、
重そうな荷物を持っていて辛そうなご老人がいたら助ける。
躓いてバッグから荷物が飛び散ってしまっていたら拾ってあげる。
なんらかの理由で階段を登るのが辛そうな人がいたら声をかけてみる。

こういった局面の場合、多くの人は見返りを求めないと思います。

では、いつも奥さんがやってくれている家事を、自分が率先して頑張ってやった場合はどうでしょう?ちょっと見返りを求めちゃうかもしれませんね。

でも奥さんから「褒めてもらえる」を期待しない方がいいです。
奥さんがいなくて、家事をする人がいない状況なので家事をする必要があるからやるのです。褒められることが当然ではないです。
家事というのはその名の通り、「家の事」なので、これを煙たがってやらない夫というのは、このご時世やんややんや言われる対象です。笑
ただ、みのってぃ両親のように家事は全て妻がやるみたいなルールや関係性が確立されている場合はまた別です。

結果的に感謝される、で良い

僕自身、結婚する前もかなり積極的に家事をやっていました。仕事上それが出来たし今となっては怪我をして家にいる時間の方が長かったりするのでそれが当然です。何より家事含め料理も好きなので、ただ自分が好きなことをやっているだけです。趣味みたいなものです。
世の男性、あるいは女性は仕事に出かけ、帰りも遅く疲れも溜まっているだろうから家事なんて出来ないと思います。夫妻で共働きしている家庭は尚更キツイでしょう。
お互いに精神的にすり減っている状態なので、かなり感情的になりやすいと思うんです。そうなった時に人は「優しくされたい」とか「感謝されたい」とか「わたし(俺)こんなにやったのに・・・」と欲望が出て来ます。
なのでそこは期待しない方がいいです。それをやった結果感謝される。くらいのスタンスでいる方がかなりラクに過ごせます。僕の相方も似たような思考を持った人です。なのでラクです。

誰かを助けたから「何かを貰える」
ではなく
誰かを助けた結果「たまたまこれが貰えた」
というスタンスを基本的に取っておくことでだいぶラクになるんです。


小さな感謝は必要(需要側)

供給側が「これをやって当然」という気持ちでいることでラクになると言いましたが、需要側が「それやって当然だから」という気持ちになるのはアウトです。
与えられる側に感謝の意がなければ、これは成立しません。
なので小さくても、どんな形でも良いから感謝の気持ちを表現した方が良いです。
え。それ見返りを求めてるじゃん。と思われるかもしれませんが、これはあくまで関係性の話です。

当然のようにそれを実行する人
それを当然のように感謝する人

という関係性であることが一番バランス取れるんじゃないかと思っています。


幸福度というのは近年で多く議論されていることですが、本当に人それぞれで変わってきます。もし自分で満足いく幸福を得られていないと感じている人は、自分のスタンスを少しづつ変えてみるのもいいかもしれません。
発想の転換や閃きっていうのは脳に凄く良い影響を与えますよ。


ひとつよしなに。


株式会社美好所属
市川SC所属

みのってぃ。

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