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西村亨「自分以外全員他人」で人生からドロップアウトしたくなった思春期に戻る

たぶんですけど、みんな意味もなく人生からドロップアウトしたいと思った日々があったはず。あっても口にしないだけ。何度も人生が無意味だと思った日があるはず。
年齢を重ねて「しんどいこともあるけど、見たいところも好きな人もいるしボチボチ生きていこう」とか思いながら生きているうちに、若いころの憂鬱なんてなくなって長生きを望むようになるもんだと思う。

「自分以外全員他人」は、若いころからうっすら死にたい気持ちのまま40代になった主人公が、いまでも「消えたい気持ち」をかかえたまま、保険金のおりる45歳になって自殺するまでイヤイヤながらも仕事をしながら生きる話。
作者の生き方がそのまま反映されている私小説です。作者は現在45。この小説でデビューできなかったら危なかった。

純粋で優しい主人公。マッサージの仕事をしながら、いやな客にも暴言を吐くことなく、心をゆっくりすり減らしながら自転車を始めたり野菜中心の生活にすることで心身をととのえていく。

途中から、生き物を殺すのがかわいそうだからビーガンになる。
主人公にとっては「かわいそうだからこそ、いただきますを言って命に感謝して食べよう」なんて理屈が受け入れられなくて、
「かわいそうと思うなら食べない」
「かわいそうと思わず、自分は命を奪っても生きる価値があると思えば食べる」 
シンプルで当たり前の考えで生活する。

当人にとっては死ぬことが自然なことで、自分にはそれほど将来の楽しみもないが、病気などで迷惑をかける可能性はそれなりにあるので迷惑になる前に衰弱して死にたい。彼なりに筋を通して人生を閉じたいのだ。

一番好きなシーンは、死ぬことを止められて親と言い合いになる場面。
40すぎた男が、考えすぎの高校生みたいに生き方についてまっすぐお母さんと口論をする。
自分にとって未来に価値はない、最後ぐらいはきれいに死にたいと吐露して、お母さんは「子供に先立たれる親の気持ち」を説く。なんか嚙み合わなくて話が前に進まない。
おかしみと哀しさと、大人が(主人公も大人だけど)ちゃんと悩みに答えてくれない感じとか、うわこういう感じ自分にも過去にあったかも…と今より純粋だったころを思い出す。

もちろん自殺推奨本じゃなくて、これは小説のふしぎなところだけど、作者が太宰治の人間失格に救われたように、どこにも「生きよう」とは書いてないのに、なんか救われる気がする。

世界には生きるだけで困難な人や、なにもなくても人生楽しくてしょうがない人もいるのに、自分だけが生きていて楽しくない。
人生ってなんなんだろうと思っていたのは自分だけじゃなかったんだ、と救われる。憂鬱から引き揚げてくれるのは陽気な人ばかりではない。

単独の単行本で読めるけど、「太宰治賞2023」を買うと、他の最終候補作も収録されていて、全然違うジャンルからグランプリを選ばないといけない審査員の気持ちが味わえる。


読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。