年齢性別バックボーンもバラバラなメンバーを一つにまとめ最小で最強なプロジェクトチームを作った話_その1震災の記憶
事の発端は2011年に遡ります。
ちょうど3.11の地震で日本全体が哀しみのムードに包まれて日本が元気がない時でした。
地鳴りと共に東京も揺れました。今までに体感したことがない只ならぬ異様な雰囲気に危険を察知した記憶があります。ニュースで津波による被害や福島の原子力発電所が破壊等、TV越しであるにも関わらずあまりにもショックが大きすぎる光景でした。
その三ヶ月後の本格的な夏が始まる前の6月に、暑くなる前に衛生面でも汚泥や瓦礫を少しでも片付けに参加できたらと思い週末ボランティアに参加しました。
実際に自分の目で被災地の現場を目の当たりにし、TVで見る以上のショックを受けまして、、、これが現実の世界なのか映画のセットなのか混乱するくらい脳が認めようとしない回路を作っていたような気がします。
被害に遭われても必死で頑張っている方たちの手前私が泣くわけにはいかないと、ただただ黙々と瓦礫集めに没頭しておりました。
東京に戻ってからもよほどショックだったのか(HSP傾向だからか)とても他人事とは思えなくなり微力ながら自分は何ができるのだろう・・・と思って過ごしておりました。
また私が「まちづくり」に興味を持ったきっかけともいえるアメリカのダビュークのまちづくり。※この話は別の機会に書きたいと思います
ミシシッピ川の度重なる氾濫で壊滅状態から約20年かけて復興した話に感銘を受けたのが2010年。
その1年後の東日本の津波とミシシッピ川の氾濫がリンクしたのも確かな感覚。
ちょうどそんな時に「地域活性・まちづくり」の内閣府の公募が目に留まり日本を元気にできればと思い日本人の主食である「お米」で日本を元気にするGOHAN PROJECTの企画が採択をされ一般社団法人みなとむすぶ地域活性コミュニティ協会を設立する運びとなったきっかけでした。
続く・・・
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?