五感を失った先に残るものは何か?“ストーリーを食べる”ということの価値。
妖怪ハラヘッターに変身
先週まるまる一週間、体調不良でダウン。Instagramの更新もおやすみしていました。病院で診察してもらうと、季節の変わり目にありがちな、“ただの風邪”。
超高熱が出たというほどのハイライトはなく、ずっと微熱のただの風邪です(笑)
ただ喉を痛めて咳がとまらず、横になると悪化するから寝れもしないし、咳き込んで戻してしまうのでロクに食べれもしない...という長い長い一週間でした。
おまけに、のど飴を食べすぎて舌が大荒れ。口に入れるもの全ての味が濃く感じてビックリするほど。
「早く治さないとヤバイ!」と焦りました。
幸い、レシピ開発も味を決める仕事もなかったので、がっつり療養しました。
ただ...そんな体調でもお腹は減る。
「あーお腹へった。お腹へった...お腹...」
妖怪ハラヘッター(腹減った)に様変わりです。
ちゃんと空腹なのに、うまく食べれないことに疲れて、“食べるのを諦める”という数日でした。
食べれない時に活力になる料理
そんな一週間で気づいたのは、『記憶に美しい食べもの』は食べれなくとも活力になる、ということ。
“美しい”といっても、フレンチのように精巧という意味ではありません。
香りや味が想像できるものや「カリッとした食感だった気がする」とか「あの時のソースの色や質感が恋しい」というように、記憶をたどって心に沁みていくような食べもの。
正解に味がわからなくとも、『あの時のあれ』をビジュアルで思い出せると、食べてもいないのに美味しくて、ほんの少しエネルギーになりました。
ちょうど気になっていた事柄を僅かにも体験できて、答えをしっくり見つけた気がします。
五感がなくなってしまったら、最後に何が残るのだろう?
実は、3ヶ月間、そればかりを考えていたんです。
3月に最終回を迎えた月9ドラマ『君が心をくれたから』で、パティシエになりたかった主人公が少しずつ五感を失っていくというストーリーが衝撃で、ドラマがスタートする前から気になってしまいました。
彼女が最初に失ったのが味覚。
料理をするには、なくてはならないもの。
初恋の人に思い出のマカロンをつくって、一緒に食べる瞬間には、味覚を失ってしまいました。
「これで、もう私の夢は終わっちゃった」
という主人公に、わたしは厳しくも、(味覚がないだけならギリギリまだ諦めなくても良いんじゃない?)と思っていました。
その後も、思い出と向き合いながら、感覚を失います。
ずっと悲劇続きのドラマで、視聴者の方が辛くなって観るのを諦めてしまいそうでしたが、気になるラストを見届けて満足。
「やっぱりね。」という結末と「やっぱりそうだよね。」という答えでした。
最後に残るのは、ストーリー
喜怒哀楽の記憶を可能な限り心に詰め込んで、五感を失う覚悟をするという物語でした。
色々と調べてみると、五感を失うことは医学的にはありえないそうです。現実的には生きることは不可能だし、あり得ない事態。
だからこそ、それについて考えるのは楽しい時間でした。
ドラマが終わって、久しぶりにめちゃくちゃキツイ“ただの風邪”を経て、身をもって自由研究の答えを得られました。
やっぱり、ストーリーのある料理は、心の栄養に必要。
この先、どう表現していこうか発展途上だけど、「ストーリーを食で表現する」ことは、続けていこうと思う出来事でした。
毎日のエッセイはInstagramに綴っています
たくさんの方の助言を経て、「食でストーリーを伝える」フードアーティストにを続けています。
今年から、Instagramを毎日更新しています。フードアーティストの舞台裏、料理×アートの制作過程・料理の知識を投稿しています。
『なるべく赤裸々に綴ること』を心がけているので、よかったら見にきてくださいね。
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それでは、今日はここまでです。明日もいい一日にしましょうね。
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Live, Love, Laugh, and Be…HAPPY.
2024/04/13
小山嶺子(シネマンマ)
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