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読書メモ「インフルエンザワクチンはいらない(母里啓子著)」


🍅日本脳炎ワクチンを接種しようかどうか迷っている方は、p135~の「日本脳炎ワクチン」の箇所を読むのがオススメ🍅


🍅あと、タミフルのところ、びっくりした。タミフルについては、P75~🍅


本当は紙で出来た本を購入したかったのですが、紙だと中古しかなく、しかもお値段が高くなってしまっていたので、今回は図書館で借りました。
手元に置いておく事が出来ないので、メモ多め。


母里啓子(もりひろこ)
1934年、東京都生まれ、医学博士。
元国立公衆衛生院(現・国立保健医療科学院)疫学部感染症室長。
千葉大学医学部卒業後、伝染病研究所(現・東京大学医科学研究所)でウイルス学を修め、愛知県がんセンター研究所に勤務。
在職中に、カナダのトロント大学オンタリオがん研究所に2年間留学。
帰国後、東京都がん検診センター検査課長、横浜市衛生研究所細菌課長を経て、国立公衆衛生院(現・国立保健医療科学院)疫学部感染症室長を務める。
のち、横浜市の瀬谷、戸塚、旭の保健所所長、介護老人保健施設「やよい台仁」の施設長を務め退職。
近著に『インフルエンザは打たないで!』(小社刊)がある。
2010年12月26日 第1刷発行 発行所(株)双葉社


P8
「ワクチンには必要なものがあり、私自身、横浜市衛生研究所に勤めている時は、必要なワクチンのシステム作りにかかわっていました。でも、効かないワクチンを宣伝で打たされるのはごめんです。」

P9
「こんな言葉があるそうです。
『一人の男を長い間だまし続けることはできる。私の妻のように。大勢の人を短期間だますこともできる。政治家のように。しかし、大勢の人を長い間だまし続けることは、けっしてできない』」

P15
「スペインかぜの大流行は恐怖の殺人ウイルスが世界を襲ったのではありません。百年ほど前、戦時下の劣悪な環境下で起こった悲劇なのです。」

P16
「また、当時は、かぜによる高熱には鎮痛解熱薬のアスピリンが常用されていました。1900年に錠剤として発売されたアスピリンはとくに米国で爆発的に売れていたのです。しかし、後年、アスピリンをインフルエンザ患者に投与すると、ライ症候群という激しい副反応が起こる場合が多く、非常に危険であることがわかりました。(中略)
当時の参戦国で平時たちのインフルエンザの治療にアスピリンが大量に使われ、副作用で亡くなった若者が多くいた可能性は否定できないでしょう」

P28
「そこで私は(中略)横浜市中の接種率や学級閉鎖の過去10年分のデータを集めていきました。(中略)衛生研究所のみんなでデータをまとめあげ、10年分のデータを見比べてみました。そして得た結論は、『やっぱり、インフルエンザワクチンは効いていない』だったのです」

P31
「1973年から始まっていたワクチン被害の裁判は、80年代、90年代になってもまだ続いていました(中略)
種痘による被害者が多いのです。集団訴訟では140件のうち、81件が種痘による事故でした。ほとんどが0歳、1歳の乳幼児です。(中略)
疫学調査とは、一例起こった時はまれな例でたまたまかもしれないけれど、二例起こったら「はてな」と思い、三例あったら調査しろ、と言われるものなのです。
毎年毎年被害が出ているのです。疫学を学んだことがある人なら、毎年数人もの被害者が出たまま放置されていることの異常さがわかるはずです。」


🍅私🍅
コロナワクチンは数人どころじゃないのに!!どうなってるの?



P34
「意外に思われるかもしれませんが、日本で学童へのインフルエンザの集団接種が行われていたころ、アメリカでは、インフルエンザの予防接種はほとんど行われていませんでした。
学童防波堤論などというものに基づいて集団での予防接種をしている国は世界中で日本だけなので、1979年、日本での集団接種の効果のほどを調査しに、アメリカのCDC(米国疾病予防管理センター)の調査団がやってくるのです。(中略)
ところが、集団接種が効果的であるということを示すデータは日本のどこを探してもありません。(中略)
しかし、この後、アメリカで発表された報告書『日本におけるインフルエンザ予防接種の政策と実際』の、集団接種の効果はなかった、という結論を目にして騒ぎ始めたのは、日本のウイルス学者たちでした。
当時のウイルス学者有志が立ち上がり、
『自分の国のこんな現状を放っておくわけにはいかない。効果のないワクチンを放置することは、科学者の社会的責任を果たしていないということではないか』
と、インフルエンザワクチンについて科学的見地から再検討する場を設けるよう、当時の日本ウイルス学会に働きかけました。」
p36
「『科学者の社会的責任』。この言葉は現在では消えてなくなっています。自分の研究さえすればいい、自分の論文さえ書ければいいと思っている科学者が本当に多いように感じます。みんな黙っていれば楽だから、巻き込まれないようにしているのでしょうか。
自分の研究はやるけれど、それを元にしてものは言わない。発言しない。調査はするけれど反論はしない。でもそれでは困ります。問題があることがわかっているのに黙っているのことは、私は罪だと思うのです。」
「1981年、時の日本ウイルス学会長、石田名香雄氏によるディスカッションが行われ(中略)
石田先生がディスカッションの冒頭に言われました・
ここにいるウイルス学者で、インフルエンザワクチンが効いていると思っている学者は一人もいないだろう』と。」

🍅私🍅
ええー!!
ウイルス学会では、1981年にすでに、そんな事が話し合われてたの??
2010年代になって、家族で打ってたよ!!
ちょっと、ちょっと!!
もっと周知してくださいよ~(T_T)



P37
1979年のことです。群馬県前橋市の健康な小学生の男の子が、インフルエンザの予防接種を打った夜、ひきつけの発作を起こしました。
発作はおさまらず、検査をしてもワクチン以外の原因は考えられません。予防接種を打った医師と前橋の医師会は、「これはインフルエンザワクチンの副作用である」と、認定するように国に求めました。ところが、国はその要求を却下したのです。
なぜ、国は認めないのか。かねてからインフルエンザワクチンの効果に不信感をつのらせていた前橋医師会は、ついに決断します。こんなワクチンは、責任を持って打つことはもうできない、インフルエンザワクチンの集団接種は一時中止しよう、と。
(中略)そして、本当にワクチンをやめてよかったのか、やめて前橋の子どもたちに不利益がなかったか、中止する決断をしたことへの責任を取るために、きちんと調査をし、検証しようということになったのです。
中心になったのは前橋市の医師、由上修三先生と、群馬県衛生公害研究所の氏家淳雄先生でした。医師会や校医、学校長や教育委員会、衛生研究所、保健所など、さまざまな立場の人が研究班に加わり、壮大な調査が始まりました。」


🍅私🍅
昔(といっても40年程前だけど)の日本人の方がよほどしっかりしてる!!すごい。



P39
「また、採血で血中の抗体価を調べる調査により、自然感染によって、ワクチンとは比べものにならないほど強い免疫がつくことが証明されました。
自然感染すると、翌年同じ型(A香港型、Aソ連型、B型)が流行した場合は、ほぼ完全にかからないこと、三年経過すればその防御率が下がるものの、それでも、感染したことのない人とは大差があることがわかりました。一度自然感染すれば、ウイルスの変異にも対応する強い免疫が作られ、簡単にはインフルエンザに感染しなくなるのです。
さらに、抗体検査を行ったことで明らかになったのは、感染しているのに38度以上の発熱を伴わない子どもが、少ない場合でも20パーセントもいるということでした。つまり、出席しているのにインフルエンザに感染している子が、5人に1人はいる計算になります。症状が何ら現れなくても感染していることを、不顕性感染といいますが、インフルエンザにおいてもそれがあるということが、5年にわたる血液検査ではっきり証明されました。


🍅私🍅
コロナが騒がれ始めた初期の頃、
コロナは感染しても症状が出ない人がいるから怖い、
症状のない人が知らず知らずのうちに周りに感染を広げてしまう事が怖い、
っていう話もでてたけど・・・・
なんだよー!!
インフルエンザもそうだったんだ。別にコロナに限った話じゃないじゃん。



p40
「報告書原本の末尾に、協力者の名前が一覧になっていますが、どこかから圧力がかかったのか、「ワクチン反対の人としてここに名前が載っては困る」ということで、後日名前を載せないことになった人もいます。」


🍅私🍅
そうか・・・
昔から「ワクチン反対の人」っていうのはネガティブなイメージがあったんだ・・・
でも、mRNAコロナワクチンとHPVワクチンに限っていえば(その他のワクチンについては勉強不足なので言及不可(^^;))、
きっと慎重にと声を上げた医師の方が将来的にヒーローになりそう!!


P41
「ただ、この報告書は、膨大なデータ作成にあまりにも多くの人がかかわり、網羅的に調査をしているため、論文の形式を取れていません。英訳しようにもできなかったので、文献として引用してもらうことができず、そこが弱点になりました。
論文の形式を取っていないし、この膨大なデータを疫学的に読みこなすのもまた大変なのですが、この報告書のデータを読み込めば、この調査結果を覆すことは相当難しいことがわかります。」

P45
『前橋リポート』の調査結果は、さまざまな波紋を広げました。
(中略)
これだけの反響になると厚生省も放置することはできなくなり、国はこの調査に対する回答として、インフルエンザについての研究班を発足させました。
(中略)
その研究班で前橋リポートについて調査する役割を負っていたのは、公衆衛生院の当時の私の上司でした。
上司には、実際に前橋市を訪れ、前橋市の調査についての客観的な裏付けをとり、前橋医師会とも真剣な討議をした上で、最終的に的確な判断を与えた報告書を書いてもらいました。目を通した私は安心していました。これで、インフルエンザワクチンは必要のないワクチンだということが証明できると。
ところが、その後、厚生省から正式に研究班の報告があった時に目を疑いました。報告書の結論が、私が確認したものとは違うものになっていたのです。
(中略)
集団への接種は効果がなかったが、個人には利益がある。高齢者や高危険群の人に接種を拡大したい。これが厚生所研究班の結論でした。
これは、インフルエンザワクチンの集団接種がなくなっても、任意でインフルエンザワクチンを作り続ける体制を保障するために加えられた結論でした。
(中略)
この時、上からの圧力で結論の書き換えをした上司と顔を合わせることもありますが、今は彼はそのことを悔いています」


p47
「学童集団接種への拒否運動が高まりつつある1989年、鳴り物入りで導入されたワクチンがありました。MMRワクチンです。MMR(中略)とは、はしか、おたふくかぜ、風疹ワクチンを合わせた三種混合ワクチンで、(中略)
ところが、このワクチンが導入されてすぐ、接種後の幼児に無菌性髄膜炎が多発したのです。
無菌性髄膜炎とは、おたふくかぜをこじらせるとかかる場合がある病気です。重症になると脳炎や脳症を引き起こします。しかし、おたふくかぜにかかるのは、通常四歳以上です。ワクチンを打った二歳未満の赤ちゃんにこの病気が多発したのですから、MMRワクチンの中に含まれるおたふくかぜワクチンが疑われました。
インフルエンザワクチンについて『前橋リポート』の発表をすませていた前橋市の医師会では、このMMRワクチンも慎重に導入しました。
そして異常な高率で無菌性髄膜炎が起こっていることに早くから気づき、その原因がおたふくかぜウイルスであることを確信しました。
前橋医師会では緊急にこの調査を論文にまとめ、厚生省に報告し、その危険性を訴えました。ところが、厚生省は「前橋だけがおかしいのだ」と報告を無視しました。
(中略)
前橋市医師会が論文を出してから1年近くたったころ、カナダの国際会議で隣合わせたカナダ政府の人から、私のところに連絡がありました。日本のMMRの副作用の論文を送ってほしいという要請でした。なんと、カナダ国内でも、日本と同じおたふくかぜのウイルス株で作られているMMRワクチンのために、副作用による被害者が3名出たということでした。彼らが探していた論文はまさに、前橋市医師会が以前発表していたものだったのです。
ファックスで論文を送り、たった1週間後。カナダ政府はMMRの接種を中止しました。その後、ベルギー、フランス、イギリスも中止しました。
ところが世界中がとりやめたワクチンを、日本は子どもたちに打ち続けるのです。「慎重に打つように」という通達が出されたまま。
(中略)
ワクチンメーカー三社の利害がからんだこのMMRワクチンを、国では誰も止めることができないまま、「慎重に」との通達だけを出して、発表から5年も打ち続けたのです。結果、五名の死亡を含む1700人の副作用被害を出すという最悪の事態となってしまいました。」

🍅私🍅
カナダが日本の論文をファックスで受け取ってからたったの1週間!!後に接種を中止したのに!!
日本は論文発表から5年!!も
打ち続けていたなんて。
なんか、コロナワクチンもこの道をすすみそうで怖い・・・


P49
「日本でMMRの被害が出続ける中、1991年、WHO(世界保健機関)とカナダ政府が、市販のワクチンの副作用情報について基準を作ろうとカナダで国際会議を開きました。
私はその構成メンバーとして呼ばれましたが、『その会議には厚生省が頼んで行っていただくわけではない』と言われ、日本からの副作用情報も持って行くことができませんでした。
(中略)
また日本では副作用が出た時、誰に止める権限があるのか、という点も議題になりました。
その会議の中で、いまだにMMRの接種を続けている日本の状況が恥ずかしく、国立の試験研究機関にいるのに何もできない自分の立場に、私は無力さを感じていました。
私は国立公衆衛生院で定年まで勤めることはせず、横浜市に戻って保健所勤務することに決めたのです。


P50
「そして、1994年の1月、国立公衆衛生院を辞め、横浜市の保健所にいた私の職場に、県の衛生部から市を経て、一通のファックスが送られてきました。
「平成6年度における一般的臨時予防接種としてのインフルエンザおよびワイル病の予防接種については、その実施を見合わせられたい」
(中略)
通達の差出人は厚生省保健医療局エイズ結核感染症課長。課長通達で止められるインフルエンザの予防接種とは、いったい何だったのかと思います。
権限は大臣にあるように思いますが、実際に誰が決めるかというと、課長レベルなのです。緊急の時は課長通達を出すことができるのです。薬害エイズ裁判で、非加熱血液製剤回収をしなかったとして業務上過失致死罪に問われたのも厚生省生物製剤課の課長でした。彼は組織の下で働いていたかのように釈明していましたが、課長ですから、非加熱血液製剤の使用を止められたはずなのです。」


P54
「『学童防波堤論は間違いで、集団防衛では流行は阻止しない』については認めざるを得なかった厚生省は、集団防衛にはならないが、『個人には効果がある』と言い出していました。
しかし、『個人には効果がある』と言い方はおかしいのです。そもそも個人防衛にならないワクチンだから集団で防衛しようと集団接種が始まったのですから。
それなのに、『感染は防げないけれど、重症化を防ぐ』『ワクチンが当たれば効く』などの宣伝文句や、巧妙な言い換えを使って人々の目を欺き始めたのです。
(中略)
広報活動がさかんになったのは1997年のころからです。
それは、満を持してスタートしたインフルエンザワクチンの大キャンペーンでした。
厚生省の責任逃れの極めてあいまいな文章。『効果がある』とは決して書かず『効果があると期待する』と書かれるのです。その言葉がマスコミを通し、人々を誘導する方向で報道されるようになっていきました。『重症化を防ぐことを期待する』は『重症化を防ぐためにワクチンをしましょう』というように。」

🍅私🍅
なんか、デジャブ


p55
1997年1月「インフルエンザ猛威」の見出しが新聞に踊りました。さらに翌2月には、「特養でインフルエンザ対策に苦慮」という記事が出ます。この年、高齢者がインフルエンザで亡くなるという記事が連日のように新聞をにぎわしました。
『高齢者襲うインフルエンザ 公費で予防接種を』97年1月29日付の某紙の見出しです。
(中略)
1999年には、高齢者施設でインフルエンザが高齢者にとって怖い病気になったのは、これら大新聞の広報活動が功を奏したからです。そのころから急にインフルエンザにかかってお年寄りが亡くなるようになったわけではありません。大昔から、ずっとです。
しかも、正確にはインフルエンザで亡くなっているわけではありません。インフルエンザにかかり、肺炎を起こして亡くなっていることが多いのです。高齢者のインフルエンザによる肺炎というと、インフルエンザのウイルスが悪さをして重症化するように考えがちですが、そうではありません。高齢者のインフルエンザによる肺炎のほとんどが、誤嚥性肺炎です。
誤嚥性肺炎とは、唾液や胃液などが肺に入ることで引き起こされる肺炎です。
高齢者はもともと飲み込みが悪く、寝たきりで流動食の食事を摂っていることも多いものです。インフルエンザにかかることで、さらに気管支の状態が悪くなり、誤飲が起こりやすくなり、肺炎を起こすのです。
インフルエンザワクチンを打っても誤飲を防ぐことなどできないのです。
それなのに、インフルエンザで高齢者が死んでいると連日報道され、高齢者へのインフルエンザワクチンが必要だと大宣伝が始まりました。」

P57
「2000年12月号の雑誌『世界』に、国立感染症研究所感染症情報センター長の岡部信彦さんと私の『インフルエンザ予防接種打つべきか打たざるべきか』という対談が掲載されました。
(中略)
話は平行線をたどりました。
『日本は今、『インフルエンザはかぜじゃない、怖い病気だ』と不安感だけをあおるようなキャンペーンを政府主導でやっている。このやや脅迫的とも言える雰囲気の中で高齢者への接種が勧められるおかしいのではないか』
そう私は言いましたが、岡部さんは、私の質問には答えず、
『インフルエンザはワクチンで対策が立てられる、インフルエンザワクチンは必要と思っている人には価値がある
という言いかたをするばかりでした。インフルエンザワクチンの効果については、はっきり『インフルエンザワクチンの効果には限界がある』と、この対談の中でえも言っているにもかかわらずです。

🍅私🍅
岡部信彦さんって、厚労省の審議会の議事録とかで名前を見かけたような・・・
あとで、余裕があったら検索してみよう。
それにしても『必要と思っている人には価値がある』っていう言い回し・・・デジャブ


p58
「そして、2001年2月。2類という特別な枠を作って、国はインフルエンザワクチンを予防接種法の中に復活させました。65歳以上、基礎疾患のある人に、という基準で一部公費負担が行われることになったのです。
こうなってくると、とくに老人福祉施設の中ではインフルエンザワクチンの必要が協調され、施設の中にいる高齢者がワクチンを拒否することは難しくなっていきました。
(中略)
インフルエンザワクチンについての私の考えを手紙にして、全家庭に出しました。
(中略)
世界中のデータを検討した限りでは、残念ながら、高齢者への接種が有効だという根拠は見あたりません。よく海外では高齢者への接種が行われていると宣伝されますが、米国ではすでに高齢者施設のお年寄りに接種しても効果がないというデータが出始めています。
日本で唯一の有効とされているデータも、信頼性が低く、納得できるものではありません。
(中略)
公費負担にするということは、打つ方向に統制される、ということなのです。
(中略)
ただということは、考えることを麻痺させること。公費になったものは、すべてよいことだと信じ込ませることであり、選択の余地をなくすことなのです。

P62
1998年から、急に、子どもの脳症に関する記事が表れ始めました。
(中略)
インフルエンザワクチンを打てば脳症を予防できるのでしょうか?インフルエンザワクチンと脳症はなんの関係もありません。インフルエンザを予防することができれば、脳症にならないという理屈なのでしょうが、インフルエンザワクチンはそもそも感染を防ぐことはできません。インフルエンザワクチンが脳症を予防するというような研究もデータも、一切、ありません。


🍅私🍅
ええっ・・・そうなんだ・・・(T_T)
なんか、インフルエンザワクチン、2年前まで、重症化予防目的で家族で打ってたよ。
子どもの脳症も怖くて・・・


P66
1998年、パーキンソン病の薬として使われていたアマンタジンが成人のインフルエンザ治療用の薬剤として保険適用とされました。
(中略)
アマンタジンの許可からすぐ、インフルエンザ迅速診断キットが発売されます。そして、1999年にリレンザ、2000年にタミフルと次々に抗インフルエンザ薬が発売されるのです。
それまでは、インフルエンザかなと思って医者へ行っても、インフルエンザかどうかはわかりませんでした。冬のインフルエンザシーズンに、今周りではやっているという情報があれば、インフルエンザでしょう、という診断が下り、とりあえず鼻水の薬、解熱剤、ウイルスには効かないのに抗生物質を処方されていたものです。

P75
「2004年1月、タミフルの製造元の製薬会社が、生まれたばかりのマウスに大量のタミフルを与えて実験したところ、眠った状態で次々に死んでいき、脳に高濃度の薬剤成分が検出されたという調査結果が発表されたのです。幼マウスは脳が未発達で、脳に薬剤成分などの異物が侵入するのを防ぐ機能ができていないためと考えられました。製薬会社は同年、『一歳未満に対する安全性は確立していない』と、タミフルを一歳未満に使用しないよう警告を出しました。
日本では2005年のころには、インフルエンザと診断されればもはや当たり前のようにタミフルが処方され、日本は世界の75パーセント以上のタミフルを使っている、という状態に至っていました。
2005年5月の新聞に、子どもが突然死する脳症についての記事が出ました。(中略)従来の脳症と違い、タミフル服用後、睡眠中に死亡するなど、症状が出ないまま死亡するのが特徴でした。

P76
「2007年2月、タミフルを服用した10代少年が自宅マンションから飛び降りる事件が報道されました。(中略)10代の異常行動が連日報道され、衝撃が走りました。(中略)
厚労省は研究班を作り、タミフルと異常行動について調査を始めました。その後もタミフル服用後の事故は次々に置き、翌月、厚労省はタミフル国内販売の製薬会社に対し、原則的に10代にはタイフルの使用を差し控えるよう、指示しました。
7月には研究班により、『異常行動とタミフル服用との関連はみられなかった』との報告がされ、厚労省は、『異常行動とタミフル関連なし』と発表しました。タミフルを飲まなくても、インフルエンザによって異常行動が起こることも考えられる、と言うのです。ところが、この解析データには問題があると多くの批判が寄せられました。結局、タミフルと異常行動に関しては引き続き審議されることになるのです。


P82
「2009年4月27日。WHOは、新型インフルエンザ発生と発表しました。(中略)
どさくさに紛れてタミフル大増量(中略)
9月13日、日本小児科学会は、記者会見で、1歳~5歳児にタミフルなどのインフルエンザ治療薬の投与を奨励すると言ったのです。しかも1歳未満にまで、医師の判断で使用可と言っています。
タミフルはスイスのメーカー本社も、一歳未満には使わないように警告を出していたはずなのに、どうしたことでしょうか。10代には使わないようになっていたはずですし、タミフルと異常行動についての検証はまだすんでいないはずです。
そのすぐあとの9月15日には、日本感染症学会までが、持病のない成人への投与はいらないとWHOは言っているが、その見解は危険である、と言い出しました。(中略)
しかも、関係者の誰もが忘れてしまったようにしていますが、タミフルなどの抗インフルエンザ薬による異常行動は報道されないだけで、その後もなくなっていません。タミフル服用後の脳症もなくなっていません。

🍅私🍅
なんか、デジャブ。
日本小児科学会とか、日本感染症学会とか。
WHOの見解とは違う事を発表したりとか。



本当はもっとメモしておきたい内容があったのだけど、今日が返済期限で時間切れ。また今度借りてきた時に、続きもメモしておこう。

個人的に一番衝撃だったのは、p135~の日本脳炎ワクチンの箇所
そこだけ、やっぱりちょっとだけメモ

p135
「生活環境の変化により、日本脳炎を発症する人は激減しました。現在での届け出は60歳以下では毎年1人出るか出ないか、その程度です。
だから私は、日本脳炎ワクチンはもういらない、と言っています。
1960年、私が医学部を卒業して伝染病研究所(現・東京大学医科学研究所)で研究を始めたテーマが日本脳炎ウイルスでした。
当時の日本脳炎ワクチンはどろっとしていてとても汚いワクチンでした。
人間用の日本脳炎ワクチンは、日本脳炎に感染したマウスの脳をどろどろにしたうわずみを使って作るワクチンで、ウイルスだけでなく、マウスの脳物質がたくさん入っているため、かなりの副作用が予想されていました。
(中略)
研究室では、汚い人間用のワクチンの脳物質の割合を調べ、脳物質を制限して日本脳炎ウイルスだけにしていくことが命題だったのです。
さまざまな方法で不純物を除去していき、新基準となるきれいなワクチンを出す準備が整ってきました。ところが、それ以前の基準で作ったワクチンが、いまだ何億円分もの在庫をかかえているため、メーカーの強い要望により、在庫を使い切ってから新基準に移行するということが、厚生省の審議会で決まってしまったのです。
(中略)
しかし、どうすることもできませんでした。当時子育て中だった友だちに「今年はやめておきなさい、来年はきれいなワクチンができるから」そう言うことしかできませんでした。」

🍅私🍅
き・・・汚いワクチンって(T_T)(T_T)


P137
「ところが、1994年、インフルエンザ集団接種廃止に伴い、臨時予防接種自体がなくなると、日本脳炎ワクチンは定期接種扱いになりました。そうなってくると、必要ない場合は、各都道府県はわざわざやらないことを選択しなければならなくなりました。黙っていればワクチン選択です。
(中略)
2004年、日本脳炎ワクチンで重度の副作用が出てしまいました。それも、今まで接種していなかった中学生に被害が出てしまったのです。あわてた厚労省は「日本脳炎ワクチンの積極的勧奨の差し控え」という通達を2005年に出します。決して中止にはせず、勧めないけれど接種したい人はできるようにするという中途半端な状態にしておいたのです。
そうしてその間に、マウスの脳を使わず、サルの腎臓細胞で培養するワクチンを作り始めていました。
厚労省の思惑は、「新しいきれいなワクチンができました。これなら副作用の心配はありません」と、間をあけずに新しいワクチンをスタートさせることでした。ところが、なかなか基準が通らなかったのです。そのために、積極的推奨は差し控える、と言いながらも、予防接種法の中には残し、日本脳炎ワクチンを打ちたい人は打てるようにして、5年間の間にワクチンの在庫整理をしたのです。
(中略)
患者が年間1000人出ていた時代に、ワクチンをきれいにしなければと仕事をしていた立場から見ていると、日本脳炎のおかげではなく、環境の変化によって患者が減って来たということがはっきりわかります。
2005年から日本脳炎ワクチンを実質中止していた2009年の約5年間、毎年たった数人の患者しか出ていないのです。しかも、ワクチン接種年齢の子どもには出ていません。免疫力の落ちた高齢者です。
それなのに、新しい、いいワクチンができたからと言って、2009年からまた「積極的勧奨」をして打ち始めているのです。副作用情報は出ているのに、です。

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