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理系大学院生の惰性

こんなことは稀だと思うのだが。

この二年間、あまり大学院にいた意味を感じない日々だったな、と思う。

放任主義な研究室だったため、ろくに大学にも行かず、
自分の修士論文以外で研究室でした活動なんて微々たるもので、
ゼミの人たちとは2.3ヶ月に一度飲み会に行く以外の繋がりもほとんど無く、

大学院に進学して得たものといえば、「理系大学院卒業」の肩書を得ただけのような気がする。

研究をしていない代わりに特にやりたいことを頑張った、と言えるようなこともなく。
ただだらだらと親の金を二年間浪費してしまったような感覚すらある。

確かに、社会人になったらできないようなサークル活動、旅行、格好、遊び、友達との交流はままあって、楽しい日々だった。
就職にも有利にはたらいて、学部の頃では入れなかったであろう企業、職種の内定をいただくこともできたから、その2点では大学院を出てよかったと思っている。

ただ、その2点でしかないとも思う。

大学院で誰かに話せるほど研究や趣味を突き詰めることはできなかった。

ここまで書いて、あ、自分は自分に期待しすぎていたのかも。
と気付かされる。人に誇れるような功績を残せる人なんて一握りで、他人から見れば所詮大学生のやっていることなんて大差ない、大したことないものなのかもしれない。

ただ、自分の研究室が放任すぎるところもあり、
学術熱心な友人や、自分の意志でなくとも研究に終日従事している多くの友人たちと比べると、圧倒的に研究をしていないと感じるし、
サークルや部活、趣味を頑張っている人たちを見て、そこまで頑張れていない、
そういう自分に対して、劣等感を感じることはある。


そもそも、学部4年生の後期に提出した卒業研修を終えて、自分は学業に向いてないな、と明確に感じていたのに。

4年生の夏には院試を終えて院に行くことが決まっていて、その頃には就職活動なんてろくな進路を選べない(と思い込んでいただけかもしれないが)から、惰性で進学して2年が経ってしまった。

M1の頃は全く研究などせず遊び呆けていたくせに、M2になってもなかなか焦れずここまで来て、まだ一文字も書けていない修士論文の原稿だけが目の前にある。
このまま論文を書けずに卒業できなかったら、という不安が常にある。
きっとある程度のフォーマットを守って提出さえできれば、どんなに出来が悪かろうと卒業はさせてくれるのだが。
大学院まで来て、赤点ギリギリを狙って卒業しようとする高校生のようなことをしていて良いのか、恥ずかしくないのか、そういう気持ちだってある。

けれども、どうしても手が動かない。

多くの同級生が就職して自立している間、
2年間やりたくもない学術の環境に身を置き、何も得られていない虚無感と修士論文が書けない苦しみに苛まれるくらいだったら、

4年生の冬、院進をやめて半年や一年遅れてでも就活して企業に就職する道だってあったのではないか。

今のような安定した企業には勤められなかったかもしれないけれど、
今の企業だって大企業で、
なんとなく金銭面や周囲の人、環境に安心感を感じられるから、
くらいの理由でしかない。

安定したお給料が欲しかったのか?
本当にやりたいことだったのか?
自分でもわからない。

ただみんながするように大学に進み、大学院に進み、就活をしてきた。
たまたま運がよく、人並みより少し良いところに入れてきてしまったけど、
偏差値が高いことが、お給料がいいことが、そんなにいいことなのだろうか。

自分の将来の明確なビジョンがないから、何が正しいのかすらわからない。
こういう人間は沢山いるのだろいうけれど。


『傲慢と善良』

「それは、かっこいい・悪い、ダサい・ダサくない、という次元の問題ではない。(中略)家族になった状態を、恋人同士でいる状態を、ただそういうものかと見るだけだ。なのに、只中で苦しいうちは、自意識過剰にそんなものに拘泥してしまう。」

辻村深月『善良と傲慢』

小説『傲慢と善良』の中で、婚活に悩む主人公は上のような言葉を残している。

他人にとって、評価ではなく事実確認程度のことなのに、家中の自分にとってはとても大きいことのように思え、自意識過剰になってしまう。
恋愛や婚活に限らず、進学、就職、これまでの実績、ひいては自分の人生のあらゆることにおいて、誰にでもあることだと思う。

自分の世界が大きくなりすぎてしまう「傲慢」さ。

そして、主人公の婚約者であった真美《まみ》はまた、進学、就職、全てを実母に決められてきた「自分がない」女性であった。
地元では名門の女子高に進学し、エスカレーター式で大学に進学し、親が持ってきた就職先に勤め、いずれは生まれ育った地元で結婚し、子供を育てていく…
それが最善であり、親孝行だと、そう教えられてきことを30歳すぎるまで信じて疑わず、親の敷いたレールの上をただ歩んできたヒロイン。

少し自分と重なるところがあった。
自分はそこまで親が過干渉だとは思わないし、幸い大学・大学院でも親元を離れて暮らさせてもらっているけれど、
みんなが行くから大学受験をし、
みんなが行くから大学院へ進学し(自分の大学では理系は8割ほどが大学院に進学する)、
みんながするから就活をしてきた。
そこに自分の意志がどれだけあっただろうか。


自分の意志で明確なビジョンを持つことは本当に大事だな、と思う。
ここまで特に深く考えず大人になってしまったから。

その上で、行動し、努力していきたい。

そろそろ論文に戻る。
まだ目次しか書けていないのだけれど。



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