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いつでもビッチに弄ばれてるB’z稲葉浩志

久しぶりにB’zを聴いて思ったのは、稲葉浩志はなんでこんなにウジウジしたりノイローゼになっているのだろうということだ。

荒野とか放浪とかに憧れたり、愛を求めて彷徨う夜行怪人みたいになったりもするけど、基本的にはジクジクと思い悩んで、神経症みたいな言動をみせている。真っ黄いシャツとか着ちゃって。

その原因は、たいてい交際相手との関係性だと思われる。稲葉浩志は、とにかくビッチに翻弄されてる。ちょっと油断すると、B’zのプレイリストをかけているとざっくり5曲中3曲くらいの割合で、ほぼ必ずビッチにもてあそばれてるような気がする。ウジウジ落ち込んでたり、車で相手の家に突っ込んじゃおうか……とかノイローゼ気味に思い詰めたりしてる。ゼロがいいゼロになろう、とか言いながら、いつまでもずっとビッチに悩まされ続けている。別れても「もう一度キスしたかったなあ……」とかぼやいたり、急に夢に出てきて焦ったりしてる。

……ねえ、どうして?

そんなにイケメンで歌も上手くて、ミュージシャンとして日本の頂点くらいに売れまくっているのに、どうして?

どうして、いつもビッチに翻弄されてるの?


……と、そんな問いかけを稲葉浩志本人に投げかけたくもなる。

ところでビッチビッチとしつこく表記してきたけど、ここでいまさら定義をしたい。

ビッチとはつまり恋愛に奔放で、とくに理由もなく二股かけてきたり、思いつきで気軽に不倫したりするようなタイプの女性のことだ。まあ恋愛体質とかいわれる女の人はけっこう世の中に多いと思われる。もっと振り切れてニンフォマニアみたいな人だっているだろう。たとえば思春期なんかにそういう女性に遭遇して弄ばれ、ひどいフラれ方をしたりすると、いい歳になっても心にジュクジュクした瘡蓋が治りきらないまま残ったりする。それが膿んでくると、自分にすげなくしてくる女の人一般を指して「このビッチが!」とか言いたくなるミソジニーにも陥りがちだから気をつけた方がいいという自戒。そういった想いも包括しつつ「ビッチ!」と、ここでは表現しているわけです。以上、コンプライアンス。

と、こうやって書いていって改めて思ったけど、どうも自分はビッチが好きなような気がしてくる。いや、好きなのだろう。

恐れ、遠ざけ、警戒、拒否しつつも、じつのところはビッチに欲情してしまうわけでしょうな。「くそう、ちくしょう、なんて女だ!」と罵りながらも、ハアハアと興奮して目が血走り、たぎっている感じだ。口惜しい。でもビッチが好き。やらせてくれそうで、くれなかったり。くれたらくれたで痛い目に合わされたりして、すごく怖い。それでも好きなの。オーマイ裸足のビッチ傷を隠さないでいいよ痛みを知る眼差しは……。

……ああ、だから、なのかもしれない。

とにかくビッチにほんろうされる稲葉浩志に対しての、この親しみ。それはビッチが大好きだが基本的に気弱な男という、その共通点からきているに違いない。

振り返ってみれば、むかしからなんとなく「B’zのボーカルって、きっといい奴だよな」と思っていた気がする。

あれだけ男前で歌も大層上手く、超絶売れっ子スターにも関わらず、彼の存在がごく身近に感じられるのは、とにかく性格がウジウジしているからなのだ。それが彼、我らの稲葉浩志の最大の魅力なのだ。

そのウジウジの反動で、ときに「ultra soul!」とか何度も絶叫して短パンでステージ上を縦横無尽に駆け回っても、普段はやっぱり家で大人しくしてるんだろうな。住んでいるのはプール付きの大豪邸とかだろうけど、きっと物置部屋とか庭の東屋とか、水を抜いたプールの隅とかで膝を抱えて自己嫌悪してそうな。……ああ、なんか、いい奴だな。そんなイメージを抱かせるくらい、稲葉浩志の書く歌詞はウジウジしてる。まるで思春期みたいに。その頃から急速に仲が悪くなった親父に「女の腐ったようなやつだ!」と罵られた中学1年くらいの私は、夜中に息を潜めてB’zのCDをヘッドフォンで聴いた。そうやってウジウジ世界観にシンクロしていったのだ……。

そんな稲葉浩志のウジウジとした歌詞は、世の多くの男に訴えかけている。一見威勢のよい横文字のシャウトとか、魂に火をつけるような男らしさはじつは見せかけで、そこが好きなんだと思っている奴も実際のところは稲葉浩志のウジウジ部分に共感しているのではないか。この私のように。

だって男というのは、基本的に女々しい。そもそも「女々しい」という言葉は男のために存在する言葉じゃないか。大体ウジウジしてるよね、実情。中1の私を、昨今のジェンダーリテラシーに抵触して炎上しそうな「女の腐ったような」という言葉で罵ってきた親父だって、きっと思春期には存分にウジウジで、女々しくて女々しくて辛いよって腐っていたに違いない。いずれそんなものだろうと思われる。

まあとにかくそういうところで、大方の男にとってB’zは偉大 なるアンセムなのだ。

昨日電車の行き帰りで、さらには業務中にもこっそりB’zをヘビーローテーション再生して、それを確信した。

ロックでキャッチーなメロディラインに、女々しい男のぼやき歌詞がベストマッチ。格好よさげな横文字。その相乗効果。ああ、B’zが今日も心に染み込んでいく……。

ところで、この「稲葉浩志、ビッチにいつも翻弄されてウジウジ」説によって、B'zの熱狂的な女性ファンの心理もまた推察できよう。

つまりこんなにイケメンで歌もギターもイケてる彼が、いつもなんかビッチみたいな女にほんろうされて泣き言とか未練とか愚痴とかウジウジ吐いて、どうもノイローゼ気味みたい。

え、なんでよ? ほんとは死ぬ程モテるでしょ? 

そう突っ込みながらも、B’zの楽曲を聞き込んでいるうちに、ほとんど無意識レベル下において、ある現象、意識の転換が引き起こされる。

……稲葉浩志をこんなにも悩ませているのは、じつはこの自分なのだ。

そんな勘違いを彼女たちの脳がするのだ。きっと。

そうなってしまえば稲葉ボイスと松本さんのギターリフに痺れると同時に「ああ、こんなにあなたを悩ませて、わたしは悪い女」みたいな気分にもなって興奮、渇いた心が潤って慰められもする。これはすごい効果だ。もうファンはやめられない。思わずマニアックな限定グッズ(ラジコンとかボードゲームとかあったらしい)も買い漁ってしまう。だって、このわたしのせいで素敵な彼はこんなにもウジウジと……。

……っていうのは、邪推だろうか。熱烈なる女性ファンにもざっくばらんに語って欲しいところです。

と、ここで私は思い出したことがある。だからまた話が飛びます。これは私の文章ではよくあること。枝葉に入って本旨を見失う……。でも、そのうちに枝葉の繁りが本旨となったりするかもしれない。ならないかもしれないけど。荒野を走れ。レッツラン、ランフォーユアライフ。

さて思い出したのは、Sさんという人のことだ。

高校生になった私はすっかり家出少年になって、日本全国をヒッチハイクとか自転車とか青春18切符で旅して回った。主には孤独な貧乏野宿旅行だったが、そのうちに知り合いも色々とできた。Sさんはその一人だった。

Sさんは京大のY寮という、ゴリゴリ左翼連中とか、またはどんな翼を羽ばたかせているのか不明の得体が知れない学生(学生以外も沢山いた)の巣窟で、長年寮長をしていた。Sさんは京大を卒業した後も、ずっと京都で暮らした。春夏秋冬の長期休暇、私は関西や四国、九州に旅行した。その拠点とか通過点としてよく家に泊めてもらったり、夜は飲みにも連れて行ってもらったりと、大変にお世話になった。Sさんはカオス空間で寮長を務めていただけあって、とても面倒見のいい人だった。小生意気で忌々しいクソガキだった私にも、沢山の時間を費やしてくれた。

Sさんは様々な知識が豊富で、凝り性でもあった。古びたアパートの部屋には不釣り合いなバカでかいオーディオが鎮座しており、そのスピーカとか配線の仕方にもなにか強いこだわりに基づいた設定がされていた。色々とその辺のレクチャーも受けたのだが、もちろん私はすっぽり忘れてしまった。それはさておき、その重厚なオーディオで再生されるのは、各種クラシックと古典的なアメリカンロックばかり。それら名盤CDがずらりと並んだラックにも、Sさんのこだわりと趣味が濃厚に出ていた。

そんなSさんのアパートに、いつしかある女性が転がりこんだ。その女性とはアングラ野外天幕芝居(自分がSさんと出会ったのも、そういう場だった)で知り合ったらしい。なんでも失恋で自棄になっているとか、そんなような状態で、面倒見のいいSさん的には一時保護とかそういう意識もあったのだろう。最初は。しばらくすると案の定、Sさんと彼女は懇ろになった。Sさんは変わり者だが純真な人で、これ! となったらとことんのめり込む性質だ。だからおそろしいほどトントン拍子に結婚、妊娠、出産……となって完全なるマイホームパパへと変貌を遂げた。その過程を、ときおりふらっと京都を訪れる私は映画におけるジャンプカットのように眺めていた。無骨なSさんの部屋にカーペットとか暖房器具、カーテンとか生活臭さが、物質となってあふれていく。そういった変化のなかでも、とくに当時の私が着目したもの、それはSさんのCDラックだ。

B’zである。

あのクラシックと洋楽ロックンロールだけだった世界に、B’zのCDが忽然と姿を現したのだ。はじめはそろそろと、しかし段々と遠慮も容赦もなく、B’z(を筆頭としたJ−POP軍)が領地を広げていった。

そして、とうとう王権をとってしまったのだ。ある日、ラックの最前面に彼らのアルバムが配置されていることに気がついた。

……ああ、ようやくB’zに話が戻った。

正直なところ、そのSさん自身とSさんのライフスタイルの変化を、当時の私はあまりよくは思っていなかった。Sさんとの師弟関係を邪魔されたような気分、そこからくる嫉妬もあったのだろう。いわばその象徴として、CDラックを占拠していくB’zが思い浮かんだのだ。

しかしB’zだぜ。このCDラックに、B’zが、こんなにも我が物顔で!

純粋に、まずそれが許せなかった。そういうところもやはりある。じゃあ何なら許せるの、と聞かれたら、まああっただろうよ、色々と。

例えばなんかブルガリアの民謡だとか、マニアックな宗教音楽とか、とにかく高尚で文化的ぽいやつ。日本の現代音楽なら、その頃自分がよく聞いていたfishmans辺りとかならまあ洒落乙だし深い……ような気もするし許せたかもしれない。とにかく、いかにもなJ−POP、ヒットチャートからなるべく外れたやつじゃないと。

それがB’zなんて。あんた、吃驚するほど大メジャー、超絶ミーハーもいいとこだろうが。

……まあ、いまとなってみれば、こうした考えこそが、鼻持ちならない狭い了見に他ならない。若さゆえの恥ずかしいやつだ。

B’z、いいじゃないか。いまは本当にそう思っています。

ところでSさんの心を射止めたB’zファンの押しかけ女性は、やはりビッチだったのだろうか。それとも稲葉浩志を弄ぶビッチ、という自己イメージを持つ女性ファンのビッチ志願者……て、なんかもういいや。どっちにしろビッチだ。ビッチがいい。ビッチ最高! 実際その後のSさんも、とても幸せそうにしていると風の噂で聞いた。SさんもいまではB’zを聴くようになり、カラオケでも「イェンジェー!」って太陽のKOMACHIに合いの手を入れてるかもしれない。愛妻家として。

「え、そんなにB’zが好きなんですか」

「好きだよ。……なに、悪いわけ? B’z好きだったら」

そういえば、こんなやり取りを、そのビッチ奥さんと交わした記憶がある。なんか怖い人だな、と当時は思ったが、それは傍若無人な「なんだよB’zかよ」という私の心根が透けて、それが気に食わなかったのだろうとも思う。まあ実際に気が強そうな女性ではあったけど。

そうして京都のSさんのところへは、自然と足が遠のくようになってしまった。まあそれは奥さんが怖いというせいでなく、ちょうど自分もビッチタイプの女性に痛い目に合わされて悶絶、行かないと公言していた大学へ行くことにして引きこもりガリ勉……という流れになって、放浪癖が引っ込んでしまったということが大きい。

しかしこうしてつらつら書いてみたら、すごくSさんが懐かしい。当時は本当に色々とよくしてもらった。いつか、ちゃんとお礼を言いたい。

ところで高校生の頃の自分は、B’z好きの女性はもちろん、B’z好きを前面に出す男も軽蔑していた。

例えば同じクラスにいたシラなんとか、という名前の中途半端なバスケ部のやつ。こいつは後ろ髪だけへんに伸びてて、それが全然似合ってなくて気持ち悪いなあと思っていたら「いや、これ○○のプロモのときの稲葉さん意識してさ……」とか口走ってるのを聞いて、おいおいお前それマジかよ「稲葉さん」てお前、なんか勘違いもひどすぎるけど稲葉さんて「さん」を付けちゃう親近感か同性憧れファン心理か、よく分かんないけどそういうのもまた気持ち悪いなお前は。という正直な気持ちをそこまで直接はぶつけなかったけど、当時から嘘がつけない人間だったから表情とか態度にものすごい出てたのだろう。だからなのか、そいつとの関係はわりとギスギスしてた。まあ基本的にクラスで私は浮きっぱなし。とにかく季節ごとの貧乏旅行が楽しくて、長期休暇を勝手に延長したりした。その分だけ埼玉のベットタウンにおけるハイスクールライフは大体灰色。「つまらん奴らめ」と周囲を睥睨してた。まあそんな感じで、B’z好きって無邪気に言ってるやつは大体嫌いだった。それからミスチル好きって安易に公言するやつもまた嫌いで喧嘩にまでなったりしたけど、まあなんだ……おれ暗い? 暗黒の青春? ……ちょっとつらくなってきた。そんなんだから旅先でコロッと年上のサブカルビッチみたいのにやられて、それでまた余計に人生がものすごく辛くなって、しかし一方でビッチはやはり好きかも……なんて話が堂々巡りになっていく。

とにかく30を超えたいまの自分は、あの頃よりすこしは成熟、丸みを帯びた。人格と体型の両方が。そうやって一応は大人になったからB’z好きを公言する男も女も、中学生のとき『Treasure』と『Pleasure』を死ぬほど聞き込んでいたのに高校生になってそれを恥ずかしく思っていた自分、さらに最近になってブックオフで『Mixture』を買ってきて聞いている自分も、すべて受け容れられるわけです。

もうね、やっぱりB’zは偉大です。まさにアンセム。好きとか嫌いとか、そういうレベルの話じゃなくなってきてるわけです。

家でお酒を飲んでYouTubeでプロモとか再生して、気がついたらB’zの曲ばっかりかけてる……みたいな局面も、この5年くらいの間で27回くらいあったと思う。

あと免許がないからドライブのときにはいつも助手席でDJなんだけど、行き帰り全部B’zだったりした。それでも車内では文句も出ず、むしろサビのところで唱和になる。やっぱりB’zは、そういうアンセムだ。実際のところ大好き。ビッチと同じくらい好きだ。現在横にいる彼女もじつはB’zのコアなファンであり、とくに稲葉さんの荒野憧れが行き過ぎてファンを置き去りにしたことで有名な『The 7th Blues』が大好きらしい。彼女は院卒のインテリビッチであった。そして稲葉浩志もじつは横浜国立大卒で数学教師の資格もある結構なインテリ。それでもビッチに翻弄されっぱなし。弾けたロッカーぽいこと歌詞にしても、実際のところ育ちも人柄もよさそう。松本さんとも仲が良さそうな。

なんかいろんなところに実際ミエナイチカラも働いてる気もするしイチブトゼンブひっくるめて、稲葉浩志の女々しいところも魂がファイヤーボールのところも好きだ。抱かれてもいい。晩年の勝新太郎も「こんなにカッコいい男がこの世にいたのか」と驚いてテンガロハットをプレゼントしたとかされたとか言われている、それくらいの超絶ハンサム。おれも抱かれたい。でも内気。そこがまたいい。たのむ抱いてください。……ああさすがに眠たくなってきた。ここ数日、あんまり寝てない気がする。寝たりない。寝てない自慢。たしかB’zでも不眠症みたいな歌詞あった、なにかの曲で。

とにかくこうしてウジウジ思春期じみている稲葉浩志の歌詞世界に、あらためて立ち返っている。そんな今日この頃の私が、ねじれたB’z愛を語るというお話でした。今回は。よし、おわりだ。ねむいぞ。でもこのまま飛び出すか、さまよえる蒼い弾丸のように。

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