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049.自分に愛する能力が欠如しているなんて、娘を育てるまで考えたこともなかった


今日はつらつら日記...にすらならない、酔っ払い日記になる予感。なぜなら酔っているからだ!なぜならもくそもないですね。てへ。

酔ったいきおいで音声配信してみようかと血迷ったのですが 笑、かろうじて踏みとどまりました。でも音声もきっとやると思います。なぜやるか、そこに音声ブログ機能があるからだッ!

なぜ子どもを産んだのか、と問われたら(問われてないw)、そこにその機能があったからとしか答えられません。自分に搭載されたすべてのOSを使ってみたくないですか?すべての可能性を使ってみたい、それがわりと生きている動機だったりする。

今日も引き続き息子くんのお誕生日お祝いウィークで、彼はふだんは夜はゲーム禁止なのだけれど、お誕生日というスペシャリティーにより、寝る前までSwitchでフォートナイト三昧。フォートナイトのなにが楽しいのかはさっぱりわからないけれど、ヘッドセットをつけてボイスチャットを使ってお友達同士でお喋りしながらゲームしていて、すごく楽しそうだ。

楽しそうな彼をみているだけで楽しい。ひとり目の娘ちゃんのときは、夫婦仲が悪かったり、わたしもフルタイムの正社員で余裕がなかったのでかなり育児ノイローゼ気味で愛情いっぱい、というわけにはいかない育て方だったけれど、下の子はほんとうに、ただただ可愛がって育てているなと思う。

わたしは、彼のことをとてもナチュラルに愛せて、育てられていることがとても嬉しい。娘ちゃんのときは、その当たり前のようなことが、どうしてもできなかったからだ。

ちいさな彼女を育てているとき、わたしはいつもイライラしていて、悩みと苦しみに苛まれていて、孤独だったので、彼女のことをすごく愛して慈しんで育ててあげることができなかった。

後悔しているわけではない、そのときのわたしのベストを尽くしたと思ってはいるけれど、やっぱり悲しい記憶もあるなと思う。

もしかしたら、子育てで苦しんでいる人もこれを読んでいるかもと思うので、そのときにわたしがしていたことを書いてみるかな。

わたしは、とにかく祈っていた。どんな祈りだったかというと、「神さま、どうか、わたしに彼女を愛させてください」という祈りだった。神さま、と呼びかけて、「愛させてください」と祈るのは初めてだった。

それまではいつも、「愛した〇〇を、わたしに与えてください」と祈っていた。愛した仕事を、愛したあの人を、愛した文学の才能を。まさかわたしに愛する能力が欠如しているなんて、娘を育てるまで考えたこともなかった。わたしはそれなりに、親を愛しているつもりでいたし、仕事を愛しているつもりでいたし、夫を愛しているつもりでいたし、もちろん彼との間に生まれた娘のことも、なんの迷いもなく愛せるだろうと思い込んでいた。

けれど、わたしはずいぶん長い間、娘を愛することがとても難しかった。どこかで彼女に、わたしの愛していた輝かしいこれまでの自分の人生を奪われたように感じていたのかもしれない。わたしは、そう感じている間、被害者として加害者である彼女を憎んでいて、”愛さなければならない存在への憎しみ”というよくわからない現象に、ただ苦しんでいたように思う。

だから、ずっと祈っていた。わたしに彼女を愛させてください、と。


そんな状態だったから、とにかく育児のハードルをとことんまで下げることにした。もう、イライラしないとかムリだ、と。でも、1日のうち、たった1回でも、たった数分でも、全身全霊で愛を込める瞬間だけは、なんとかひねり出せないものかと考えあぐねた末、日中にどんなに彼女にイライラして、冷たく、辛く当たってしまったとしても、たった数分の寝る前に彼女に絵本を読んであげるときだけは、すべてのイライラや内的な葛藤を横において、全身全霊で心を込めて、読もう。と、決めた。もう、それでオーケー。それだけを心に決めて、それだけができれば、あとはオーケーとした。

あとは、マンションのベランダから彼女を放り投げなければ、それでいい、とすら。そこまで、わたしはわたしの子育てのハードルを落としたのだった。子どもを、絶対に殺さないこと。死なせないこと。寝る前の絵本は、心を込めて、読むこと。そして愛させてください、と祈ること。

それでも、やっぱり育児が苦しみでしかなかったわたしは、ある人に相談したことがある。「日中、どうしても娘に優しくできない。どうすればいいかわからない」と。すると、彼はこう答えてくれた。

じゃあ、娘さんが眠ったら、その寝顔に向かって「大好きだよ」「ごめんね」って、言ってください。と。

眠っていたとしても、わたしたちはいつもつながっているから、きっとみおさんが彼女を愛したいと願っていて、ほんとうは大好きだってことが、伝わるから、と。

だから当時は、わたしは必死でそれだけをやっていたように思う。

もちろん、ぜんぜん褒められたことじゃないし、子育てのお手本の風上にもおけない、最低のラインかもしれないけど。でも、そのときのわたしを支えたものは、

愛させてください、という祈りと。
心を込めた、絵本の読み聞かせタイムと(あとの23時間50分はイライラしてたw)。
寝静まった後に、娘に「大好きだよ」と、伝えること。

ただそれだけしかできない年月が、何年も続いたことを、今でも覚えている。


そんなわたしだったのに、彼女は最高にユニークで賢くて美しくってチャーミングで、真面目で、歌うことが大好きで、自分自身の世界観をしっかりと持っている、すばらしい13歳の女性に成長していて、ちょうど少女からほんのりと女性へ花開いていく、眩しいくらい美しい時期を見せてくれているので、育児ノイローゼの暗黒期も、まああって良かったのかな、と思うけど。

思えば、あのときわたしが恐れていたのは、自分の愛情が足りないせいで、彼女の人生になにか決定的な損失を与えてしまい、それが取り返しのつかない恐ろしい事態になってしまうのでは、という、要は恐れだったのだな、と思う。

もちろん子どもは、愛情深く育てられるに越したことはないけれど、でも取り返しのつかない過ちというものは、きっとないんじゃないだろうか。

母として、親として、ときには過ちを犯すことはもちろんあるけれど、根底に「神さま、どうか、わたしがこの先もずっと、彼らのことを愛せますように」と願う心があれば。

愛せない、と苦しむのは、愛したいと願っているからだよね。

子どもを愛したいんだ、という切実な意思さえあれば、それはきっと彼らに届いて、魂の滋養になっているのではないかな、と思う。








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