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『やりたいこと』vs『できること』問題

『やりたいこと』と『できること』
どっちを優先させたら良いのか…


このことについては時たま考える。というか永遠に議論できる気がする…


その悩みは就・転職・異動など大きなライフイベントはもちろん、日々こまごまとした仕事や読む本を選ぶ時や、今日の夕飯にまで至る。


『やりたいこと』と『できること』

どっちを優先させたらいいのか…


あぁだれかこの迷いをなんとかしてくれ…


そんな中ついに私はこの問いに対して、かなり「答」にせまる言葉を見つけたのだった。。


以下、日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一の『論語と算盤』という本を玄孫(※孫の孫)の渋沢健さんという方が、読みやすくまとめたものからみつけたものだ↓


自分が「やりたいこと」が「立志」だ。そして自分が「できることを養う」のが「学問」。自分が「やりたいこと」が「できること」はベストな状態といえるだろう。ただ、「できること」が人生の主軸になることは好ましい状態ではないことは覚えておいてほしい。自分が「できない」ことがあまりにも多くて、尻込みしてしまうからだ。成功者は「やりたいこと」を主軸にしている。そのため、自分自身の長所短所を冷静に認識し、もっとも長ずるところに志すべきと渋沢栄一は指摘した。立志のためには主体性が不可欠で、その学びのためにロールモデルが必要となるのだ。-『あらすじ論語とそろばん』渋沢健 (宝島社新書)-



ちなみに渋沢栄一は次の一万円札の顔だ笑



たしかに、「やりたいこと」が「できること」なのが最もベストな状態だ。



そして「成功者はやりたいことを主軸にしている」という点もとても共感できる。



嫌々仕事をしている成功者にあまり会ったことがない。。



「やりたいこと」を主軸としつつ、自分の長所が特に生かされる分野で戦おう!というのが渋沢栄一の主張だ。



しかし、いくら得意な分野でやりたいことをやったとしても、すぐに成果がでるとは限らないだろう。



なかなか成果が思うように出ず、あせってしまうこともあるだろうと思う。



では、どのくらいの人生計画で進んで行ったらよいのだろうか・・・??



という問いに対しては、とても有名な言葉だが、孔子の論語でこういった表現がある。


十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る…


孔子は15歳で「立志」(①志学)し学問を積み上げ、


30歳で社会人としてようやく自立していくだけの能力を身につけ(②而立)


40歳で志を完成させ(③不惑)


50歳で天から与えられた自分の使命を悟った(④知命)

…という内容だ。


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孔子ですらこのペースだから私たちもひとつひとつやっていくしかないのだろうという良いあきらめがついた。



よし、ひとつひとつ丁寧にやろう笑




以上、2つから考えると、自己から溢れでる「主体的」な「志」を主軸、つまり「建物の基礎」とし、そこから「自分自身の長所短所を冷静に認識し、もっとも長ずるところ」に枝葉を広げていこう、ということだ。


「やりたいことをやろう」という世の中、風潮であるが、それは「立志」するにあたり主体性が不可欠であるためだ。


ただここで、「やりたいこと」やってください、とイキナリいわれてもやりたいことが何なのかわからない…という人は多いのではないだろうか…


そんな人もあろうかと、やりたいことを見つける方法も簡単に記事にしたので、そんな方はぜひこちらを参考にしてほしい…



話を戻すと、すべては「立志」から「主体」性をはぐくみ、自分の「長ずる」所に重きを置こう、という話であった。



我流な解釈だが、おそらく『あらすじ論語とそろばん』は「社会に広く貢献できる自分の使命をみつけてそれを全うすべくがんばろう!ちゃんと努力すれば必ず報われるからさ!」というおはなしだったと思う…



この「ちゃんと努力すれば」だが、渋沢は「逆境」について’努力すれば逆境は現れない’と語っている。


ダメな人は教えてもどうしようもなく、できる人は教えなくても自分で道を切り開くのだ。つまり、本当はこの世には順境も逆境も存在しないのだ。優れた知能と必要な学問がそろっていれば、その人は逆境に陥るはずがなく、逆境が存在しなければ、自然と順境という言葉も存在しなくなる。多くの人には、自分の知能や勤勉さに問題があるのを棚に上げて「逆境が来た」という悪癖がある。それなりの知能を持った人がきちんと勉強すればそんなものは来ないのだから、そう口走るのは愚かなことだ。-『あらすじ論語とそろばん』渋沢健 (宝島社新書)-


うーん、厳しいな。。



しかしこの話は個人的には大いに納得できる。



「逆境」という言葉の中には「自分の努力ではどうにもならなかった災害的なもの」というニュアンスが含まれている。



まぁもしかしたら本当にそうなのかもしれないが、「逆境」という一言で片付けてしまうには少しもったいない気もする。



「逆境だ」といってしまえばすべてがその一言で終わったしまうからだ。



そこからなんの発展性もない。「逆境だ」と思ってしまうような状況になったからこそ、じゃあどうすればよかったのか、振り返るチャンスと伸び白が与えられるのではないかと思う。



「逆境だ」といってしまったほうが自分はラクになれるように思えるが、かえってそれにより新たに未来への逆境を作ってしまっているのかもしれない。



そしてそんな苦しい逆境さえ乗り越えられるのは、最初の「立志」が、自分の主体性よるものだからなのではないかと思う。



この「立志」に関してだが、ちょっとスピリチュアルっぽいが、わたしは、どんなことであれ必ずみんな「使命」をもって生まれてきているといまのところ信じてる。



まぁこればっかりは確認のしようがないが、そう思っていたほうが楽しい人生だと思うからそう思っている。



自分の「使命感」のようなものを感じ取るようにすると、よりいっそう高い解像度で立志が見えやすくなるのかもしれない。



『やりたいこと』と『できること』。どっちを優先するか、という問題の渋沢栄一と孔子のこたえは、



『やりたいこと』を主軸として、自分の長所に合ったできることを増やしていこう!そして夢中になろう!そして使命を果たそう!



といったかんじだろうか…。



ついつい、いつもわたしたちは、「白か黒かどっちか」に答えを求めがちだ。



しかし、「白」と「黒」の間に「グレー」があるように、グレーが答えでも全く問題ないし、グレーの中でもより良いアンサーや選択肢がたくさんあると思う。



そういったものに出会うために大切な事は、やはり情報収集能力と行動量だとおもう。



自分にとって、より幸せが感じられる最適解を得られるのがもっともベストだろう。



というわけで・・・とりあえず迷いがなくなったところで今日はここら辺にしておく…



おやすみ!



みっぱ


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