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恋バナが似合わない

 先日惠さんの記事で知った「mgram」の「女性脳・男性脳」診断
 普段あまりこういうのはしないのだけど、なんとなくやってみた。

 そうしたら、

 あなたは女性脳と男性脳がミックスされた女性男性脳タイプの持ち主といえます。周りの意向を汲み取ってそれに合わせることに長けており、かといって決めるときは決めるという決断力の高さも同時に備えています。脳タイプの中では一番珍しいタイプでもあるんです。希少でありうまく使えば集団から抜きんでることもできる才能を秘めたタイプといえます

 という、結果が出た。

 へぇ〜そうなんだ。どうでもいいことだが、いきなり「〜タイプでもあるんです」と言葉遣いが変わったのが気になると言えば気になる。そういうどうでもいいことが気になるのはどっちの脳なのだろう。

 これまでいろんな○○診断や占いをやったが、どうも私は結果が判然としないことが多い。

 まだうら若き頃、デパコス(デパートにあるコスメカウンター)でイエベかブルベか(肌色がイエローベースかブルーベースか)をみてもらう時も、どこの販売員さんもやたら悩んで「うーん」と唸った末、あっちではイエベ、こっちではブルベと安定しなかった。

 似合うカラーを教えます!というカラー診断でも「うぅん、基本サマーでスプリング寄り、オータムがちょっと入ってますね。うーんアナタ難しいですね」。

 えーそんなのあるんですか?と驚いたが結局「ウィンターではない」というカラー診断とは思えない消去法の結果しか出なかった。

 骨格診断は一生変わらないと聞いたので、受けるなら骨格診断を受ければよかったと思ったが、もはや体型が瓦解して骨格どころの騒ぎではない。体型が悪ければなおのこと骨格は重要な要素かもしれないのだが、正直もうお金を払って受けるテストはこりごりになっていて、自分で調べたらストレートっぽかったのでそれでいいことにしている。

 とにかく判然としない。はっきりしない。
 それが私の「キャラ」なのかもしれないが、いつもなんとなく不満である。

 先日、俵万智さんの「プロフェッショナル仕事の流儀」を観た。

 そこで俵さんは新しい歌集におさめる歌を選んでいた。

 息子さんと和気藹々と歌を選ぶ俵さん。
 中に恋の歌があり、

「還暦になって恋の歌なんてどうなん?と人さまからつっこまれんように先に言うとくわ、と言う歌やわ」と言いながら、楽しそうに歌を選んでいた。

 俵さん、関西弁なんだな。
 大阪の人だから当たり前だが、今まで俵さんの肉声を聞いたことが無かった。

 俵万智さんは今年還暦。彼女が紡ぐ恋の歌にはリアルな現役感がある。まさに歌人の真骨頂だと思う。何というか、和泉式部感がある。

あらざらむ このよの外の 思ひ出に 今ひとたびの 逢うこともがな
(もう長くはない私。この世の思い出に、もう一度あの人に会いたい)
和泉式部『後拾遺和歌集』/百人一首56番

 晩年死の床にあっても和泉式部のこの現役感よ。

黒髪の 乱れも知らず うち臥せば まづかきやりし 人ぞ恋しき
(髪の乱れも気にせずうち伏して泣いていると、最初に髪をなでてくれたあの人のことばかり思い出されてしまう)
和泉式部『後拾遺和歌集』

 この黒髪の~の歌は、与謝野晶子の歌集タイトル『みだれ髪』の元ネタになったのではないかといわれている(ほかに待賢門院堀河の歌が元ネタ説もあるらしい)。

 与謝野晶子は

くろ髪の千すぢの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる
与謝野晶子『みだれ髪』はたち妻

 という歌を残している。
 『みだれ髪』は鉄幹と駆け落ちしてこれ以上ないほど盛り上がっていた時期の歌ばかりなのだが、与謝野晶子もその後12人子供を生んでも薄れることのない現役感が半端ない。(ちなみに与謝野晶子も大阪の人だ)。

 デビューの頃、「昭和の与謝野晶子」といわれた俵万智さん。

 1998年に「チョコレート語訳 みだれ髪」、2018年にも以下の本を出している。2018年の本は98年の本の改題・新装版らしい。短歌の現代語訳を短歌で、という斬新な試みだった。

 先ほどの与謝野晶子の歌を、俵さんは本の中で次のように訳している。

くろ髪の千の乱れのみだれ髪そのように恋に乱れるこころ
俵万智『チョコレート語訳 みだれ髪』

 和泉式部ー与謝野晶子ー俵万智。

 この三人の名前を聞くだけで、エロスが波を打ってとどろいてくる。もう何を歌おうと「ビバ!恋!」「恋、ブラボー!」みたいな空気が充満する。恋柱・甘露寺蜜璃ならキュンキュンが止まらないだろう。

 とにかく俵さんの番組を見て、そう言えば、サラッと色っぽい恋愛を書くのが憧れだったな、と思い出した。
 思い出したのだが、そうだった、私は「キャラ」じゃないんだった。ということも、思い出した。

 人にはイメージというものがあって、それを壊すと人は動揺する。
 私はどうも「恋バナ」が似合わないキャラらしい。

 「ちびまる子ちゃん」で、私はついつい「たまちゃん」に共感し、感情移入してしまう。まる子の親友で、文学少女。時々まるちゃんに突っ込みたくなってもまる子にストレートには言えず、タミーというキャラになって内心の声をポエムにする、穂波たまえちゃん。なんとなく、他人事とは思えないのだ。

 たまちゃんが突然「奥さんにバレなきゃいいんじゃない」とか「あざといのも恋のうち」とか「乱れ乱れ惑い惑いて神と見るあなたに裸の乳房をさらす(与謝野晶子の歌の俵万智訳)」とか言い出したらどうしちゃったのたまちゃん!ということになる。

 たまちゃんを溺愛しているお父さんは号泣するだろうし、ちょっと毒を吐くならまだしも、そういうタイプがシモネタを言うと、フェミニストが学会で発表する時みたいになって場が盛り上がるどころか凍ってしまう。

 文学少女のたまちゃんだって、いやだからこそ、大人になれば恋愛のひとつやふたつ、するだろう。案外エグい経験だってするかもしれない。タミーじゃなくて和泉式部になる日があってもいいじゃないかと思うが、やはり定着してしまったイメージというのはなかなか覆すことができない。

 漫画のたまちゃんは、永遠の小学生だからそれでいいと思うんだけど。
 もしかしたらたまちゃんと思っているのは自分だけで、ひとさまからは「野口さん」と思われているのかもしれないけど。クックックッ。

 まあでも、そんなことを考えていたら、自分の脳内に男女が住んでいることがわかって、たまちゃんだから空気がフリーズすると思っていたけれど、もしかして自分の中のオッサンが顔を出したからフリーズしていたのかもしれないな、と思った。オッサンのエロいダジャレほど寒いものはない。

 昔、タイの占い師さんに、「あなたは結婚が早すぎましたね。30前に結婚したのは残念だった。30歳くらいのとき、あなたを好きな人がいました。あなたにはその人がいちばん良かった」と、衝撃的なことを言われた。さらに、「旦那さんとはうまくいってなかった頃だし、誰かいたでしょう?」と濡れ衣まで着せられた。

 は?いや、そんな人はいないよ。誰もいなかったッ!と言うと、いや、いましたよ。あなたが気づかなかっただけで。あの時があなたの最大のモテ期でした。

 と、言われた。

 えーっ!なんじゃそりゃ!
 モテ期でした、ってそんな過去形で、子供産んだ後に40過ぎてから言われても!
 誰だ!誰だったんだ!出てこいっ私の運命の人!帰ってこい!私のモテ期〜

 と思ったが本当に全然思い当たらない。占い師さんは「いましたよ、当時あなたをみてる人が。ま、でも今の旦那さんとも友達として仲良しだからいいですけどね」ととってつけたように言った。

 なん、だと…!

 すでに取り返しのつかない過去について占われてもどうしようもない。でも、運命の人とは結ばれなかったとか、なんかそれはそれでロマンチックな話かもしれない。

 私が結婚してるから、身を引いてくれたんだよね、きっと。

 誰か知らないけど。
 何にも言わずにさっ!
 何にも起こらないのに終わってましたとか、あんまりだぁぁぁ!

 家庭の安泰のため、このことは夫にはいまだに秘密にしている。そしてやっぱり、すべてが判然としなくて色々と不満である。












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