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83.令和のいだてん(4)

医学生ランナーの川瀬くんが走り去った後、私は脳内で必死に状況を整理した。
今回の予選会では43チーム、500人強が走っている。
その上位50人、約10%の中に筑波大生が5人。
私が現地応援に来た過去2回とは、けた違いの成績で通過している。
すごい、すごいぞ、筑波大学!!!

だが、問題はこの後だ。
筑波大学の残りの7人は、公道に出た後も集団走ができていたのかしら。駐屯地内での走行は何百人ものランナーが密集するので位置取りが難しいのだが、筑波大学の第2集団メンバーの位置取りはかなりよかった気がする。あとは他の大学がどれだけ追い上げてきているか…

弘山さんがレポートで毎年のようにつづっていた、予選会の反省点。
トップ下のグループの選手たちは、練習や合宿では上位グループと遜色ない練習内容をこなしているのに、本番で実力をうまく発揮できない。
それは国立大学である筑波大学の構造的な問題でもある。
箱根駅伝の強豪校や常連校と違い、筑波大学に入学し、箱根駅伝復活プロジェクトに加わる学生さんの多くは、中高時代に目立った成績を残しているわけではない。
例えば、以前紹介した上迫彬岳くんの手記にある「5000m16分半」は、陸上競技をしていないシロートの感覚ではものすごく速いタイムだ。しかし、入部条件に「5000m15分以内」を謳う箱根駅伝強豪校もあるように、陸上界の常識的には「このタイムで箱根を目指すって本気ですか?」というレベルなのである。

そういう学生さんたちが、入学してから必死に理論を勉強し、自分に必要なトレーニングを積み、飛躍的にタイムを伸ばしてきている。それは、クラウドファンディング支援者に送られてくる定期レポートでの記録報告にあらわれていた。
あとは、どんな環境・レース展開でも安定したパフォーマンスで戦える「強さ」。大舞台でどれだけ実力を出せるか、それはレース前の調整も含め、経験値が関係するところでもある。

実力と経験値を考慮すると、この次にやってくるのは、3年連続で予選会に出場している3年生の児玉くん、あるいは昨年も出場している2年生の杉山くんあたりか。
10月後半とは思えない陽気の中、次々とやってくる選手たちはみな、ぐっしょりと濡れそぼり、口が開いて苦しそうだった。
素人目にも、余裕を持って走っている選手などほとんどいない。ここからゴールまでまだ5キロ以上残っている。ひとつペース配分を間違えば急激にタイムを落とす選手も出そうだ。

直線の向こうにまた、白地に水色っぽい模様のユニフォームが見えた。
まさか?もう!?しかも二人いる。
川瀬くんの通過から20秒ほどしか経っていない。
だが見間違うはずがない。胸に大きな五三の桐紋を。
「ガンバ!筑波!!」
叫びながら選手の顔を確認する。児玉くん?杉山くん??
いや違う、あれは…あれは…!?
不意を突かれて、私はパニックになった。

「いっ、いわ、いと…!!!」

あっという間に目の前に来る。応援が追い付かない。
後ろ姿に声援を送る。
9月の記録会のとき第2集団の前方で健闘していた2年生の伊藤くん、そして1年生ルーキーの岩佐くんだった。
伊藤くんのことを、隠れ筑波大ファンで私の「もう一人のヤバすぎるネットフレンズ」Yさんは、「1年のころはアンパンマンみたいに丸顔でカワイかったのよ」と言っていたが、練習でしっかり絞ってきた顔付きにそんな面影は全くない。
岩佐くんは千葉の名門進学校、東邦大東邦高校出身。陸上競技部のキャプテンを務めていたそうだが、成績に関してはほぼ無名といっていい。彼は中学時はハンドボール部だったそうだ。そこで培った身体能力が、半年という短期間での強化を可能にしたのかもしれない。

名前を呼べず、落胆している暇はなかった。
一呼吸遅れてもう一人、二人を追う勢いで迫ってきている少し小柄な選手がいた。
かろうじて名前が口から飛び出した。

「小林くん!!!」


もう一人の1年生ルーキー。
筑波大学がある地元茨城県の水城高校出身で、彼も高校時代に主将を務めていた。水城高校は、全国高等学校駅伝競走大会(通称都大路)の常連校でもある。高校の同期には駅伝強豪校の大学に進学した学生さんもいる。本人もスカウトの声がかかったらしい。だが、彼は敢えて地元の筑波大学で自分の可能性を試したいと門戸を叩いたのである。

私のひいき目かもしれないが、彼の顔付きは周りの選手たちと違った。もしかしたら『ゾーン』に入っていたかもしれない。ものすごい気迫をまとって走っていった。

おかしい。出場している選手たちって、こんなに少なかったっけ?
筑波大学、もう8人も通過したんだけど…
私が他大学の選手を見逃したの?
そうではない。筑波大学の選手たちが今までになく上位で走ってきているだけ。ただ、そんな錯覚を覚えるような事態だったのは間違いない。
その場で筑波大の選手を名指しで応援しているのは私だけだったが、このころには、周辺になんとも言えない異様な空気が漂いはじめていた。

そんな空気を切り裂くように、また一人、見覚えのあるユニフォームがやってきた。
少し飛びあがるようなフォームの痩身メガネの選手。メガネっ子は一人しかいないから名前は間違えない。3年目にして初出場の…

「山下くん!」


私はようやく気付いた。
これだけ固まって選手が走ってくるということは、筑波大学は相当な地点まで集団走がうまくいったんだ。
ここまでで9人。チーム成績は上位10人の合計。

こめかみがドクドクしてきた。暑さのせいか興奮のせいかわからない。

ジリジリと、残り3人を待つ。


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