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学び直し。

30歳を目前に、自分のこれからを考える。 

 そして絶望する。欲にまみれた自分に。やりたいこと、行きたい場所、つくってみたいものが溢れている。でも人生はそう長くない。閃光のように過ぎていった30年分の時間。きっと、あと4回ほどまばたきすると60歳だ。やれることには限界がある。ポストコロナの頃にはきっと、自分も社会も価値観が変わっている。

こんな時、これまで自分がやってきたことを棚卸しするのがいい。特に大したことを実現したわけでもないし、これからも成し遂げる予定はない。自分の好奇心に素直に従ってきたので、後悔はしてない。反省してることは無数にあるけど。

心が動いた瞬間を振り返る。映画や漫画のワンシーン。壮大な景色。先輩と飲んでる時の一言。日常の中の小さな発見。
金輪際やらないことを決めてしまうのもいい。誰かの事情に振り回されること。政治的に利用されること。その場にいない人への悪口に付き合わされること。
ひとつひとつ頭の中で整理する。

そうやって、今年から始めたいことに気づく。
ずっと昔から心惹かれていて、でも他に優先すべきことがあったもの。忘れないうちにメモを、ここに。

それは、物語と物語り方について。

いま僕は広告の世界に身を置いている。
働く中で感じるのは、自分の専門はマーケティングでも、コミュニケーションプランニングでも、コピーライティングでもなく、ストーリーライティングなのだと思う。(本当にこの業界はカタカナが多くてゾッとする)

すこし話を変える。
2019年、友人である北野くんの紹介で、関野吉晴さんのイノシシ丸々一頭食べる会に招待してもらった。(関野さんを知らない人は「グレートジャーニー 関野」とググってみると面白い記事や対談が読めます)

関野さんは70歳なのに瑞々しい好奇心を持ってる方。インドネシアから沖縄へ向かうために砂鉄集めから始めるような人で、まさにクレイジーそのもの(僕なりの最大級の褒め言葉です)。彼と一緒にいると、スマホを撫でる指先だけで分かったつもりになることに恐怖心を覚える。

人間を、物事を、深く理解するためにはタイムラインを流れるニュースやネタだけを拾っても意味がない。身体を使って、体当たりで情報を取りに行く。いわゆる一次情報をつかむ。

得た一次情報を組み合わせ、時に見方を変え、文脈として繋ぐ。それが自分が好きで得意なことであり、今後暮らしの糧にしていきたい技術でもある。その技術を、僕はストーリーライティングと呼びたい。

そのアウトプットが、今は広告だ。くだらない絵本も描いている。そんな中で得た技術は、今後は映像や音楽とも組んでいけるし、何よりビジネス面でも誰かの役に立てられると思っている。

そういった流れで、いま改めて文化人類学を学び直そうとしている。中でも民話、童話、寓話、神話、そういった類のもの。それは物語の力、物語るための力。(もしくは物語る対象となる民謡、民藝にも興味がある)

暮らしの中から生まれ、暮らしに根付き、僕らの考え方やものの見方に大きく影響を与えている。そんな人間の根源性に触れるひとつの切り口として、物語を再度学び直したいな、と。できればフィールドワークで。

どなたか。大学名にはこだわらないので、そういう分野で面白い研究をしている教授や研究室があればおしえてほしいです。



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