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家族の中に上下関係を置くということ ~不適切な養育を無くしていくために考えておきたい~

おそらくこれが分かれば、解決はもちろん予防にもなると思う。
虐待がダメな理由と虐待がどこから来るのか
皆さんはじっくり考えたことがあるだろうか。

今日は、ヒトは未完成であるが故の、ヒトの中に在る「被害性」と加害性」の深掘りと、虐待がどこから来るのかについて、社会問題の予防と解決を目標にお話ししましょう。


1.私が被虐体験を出しつつ、専門家として活動する理由

私はハラスメント専門心理士。
殴る蹴るだけではないあらゆる暴力がなぜ起きるのか、なぜ受けなければならなかったのか、体験者として学び資格を取り専門家となり、ずっと探し続けた。

通常、児童養育の中では大切とされている一つが、幼少期の「なんで?」の解消。
大人がわからなくてもいい。
「なんでかわからないなぁ。。一緒に調べてみようか」
大人が誰か応える必要があるのに、誰にも受け止めてもらえることが皆無であった幼少期がある場合に、ヒトはどうなるのか、どのような人生を送るのか、自分自身を研究材料として考えてきた。

私の幼少期は、「なんで?」と問えば「うるさい!黙れ!子どものくせに!あっち行け!」という世界が普通だったので、人生そんなものとして受け止めていた。

自分の中に湧いた感情や疑問を、消さなければ生きられないのだとしたら、私の中に湧いた「なんで?」も消えてしまえばよかったのに、これだけはなぜか消えなかった。
子育て中に3年の寝たきりの時も、目が覚めれば現実として見えない日はなかった。

だからこそ研究せざるを得なかったこれまでの人生。
研究結果をClubhouse『親子問題研究室』でシェア、皆さんと心理的安全性を確保し合いながら、「こどもの本当の幸せとは何か?大人が用意できることは何か?」を目標に、議論を深め、そこで得たことを含め、ラジオパーソナリティーとしてラジオでも発信しています。

2.ヒトは、育てられたようにしか、育てることができない

ママとしてではなく、一人の心理研究者としての子育て
殴る蹴る、否定非難する、人としての感情や疑問を表現することは一切禁止という、支配による洗脳のために、子ども時代に適切な関わられ方がない時に人はどのような一生を辿るのか、身をもって研究し、育てにくい特性のある息子の子育ての中で検証し続け、ドラマの中にある私にとっては「体感したことのない“愛情”」を女優となり、想像の中で表現し続けた。

発達障害を持つ、療育の必要なこどもに、たったひとりのママとして全く機能しなかったために、一人の心理研究者としての子育てとなったことは、今でもよくやったね、自分、と思う。

ヒトは、育てられたようにしか、育てることができない
その時感じたこと。

3.母から最後の答えをもらいたかった

そして母と自分の心理をずっと追ってきた。
不幸中の幸いなのか、解離障害が「自分の人生を俯瞰して見る」ところまで持って行ってくれた。

ヒトの生命力、ヒトの機能ってすごいね

自分は虐待されていたと気づいてからも変わらず、母への愛情が湧くこともないまま、かといって激しい憎悪もあるわけでもなく、母の最期の数年を、「自分の心理がどのように変化するのか」を知りたいがために、被虐待者として心理の専門職として私が相談した母のケアマネの理解を得、息子の協力を得、遠隔介護に踏み切った。
(※被虐待児の親の介護は、法律ではやることになっているがやらないを選択していい)
強制的に物理的に離れていた約10年以上の中で、「母がお墓に入っても母のところへは絶対に行かない」と決めていたところから少しだけ落ち着いたから。そして、

自分の中の被害性と共にある加害性の探求に興味があり、母から最後の答えをもらいたかったから。

4.心を大事にする文化を育ててこなかった日本の結末のほんの小さな縮図

暴力と愛情の境界線
幼少期から母の最期まで、私は母と「対話」などしたことがない。母の一方的な暴力を「愛情でありしつけである」と毎日断言され続けたために、「なんで?」と「そうかもしれない。私が悪いのかもしれない」が共存した末に「私が悪い」が勝った。そして「自分の命を守るためのスキル」を身につけていった。それが価値観となり、社会の中でも生き抜くためのスキルとして生かすこととなったがために、ハラスメントの数々を受けることとなった。

「暴力と愛情」、それぞれの認識が曖昧になり、暴力と愛情の境界線を引くことができなくなった。そんなことを気づいたのは専門として活動を始めてからのことだからとても最近。

そうなるとどうなるか

これは暴力とは言わないよね、愛情だよね、という認識で
むやみに暴力を受け入れる
同じように、
暴力を振るう

これが自分の中の被害性であり、加害性の根本だった。

そしてそれは、母に全く自覚がないということを初めて知った時に、この親子の虐待の全貌が見え、それがどこから来るのか、見つけた。

母の最期の日の数か月前
動けなくなった母について、車いすを導入するかどうか3者で相談したことがあった。ケアマネは「身体がこんな形になった時に、支える足の力が十分にない」という判断から、車いすを導入することを勧めてきたので、私が契約した。

でも母は、ずっと納得していなかったようだ。
家にいたある日、車いすのことで、母が何かしらを嫌がったときに、私に向かって小さくつぶやいた。

「どうして私の尊厳は、守られないの?」

私は声が出なかった。

これまで母が、私と弟への関わりは、「親として尊厳を守っている」と、やっぱり思っていた!
彼女にとって「これは愛情でありしつけだ」と言っていたあの言葉は本当だった!

と確信した瞬間。

その言葉が本当であるならば、なんでそうなるのか、それはどこから来るのか、ではどうすればいいのか。

答えは既に出ていた。
特にこどもを産み育てようとする時点で、子育てについて何の心理教育もないこの日本はダメだ
個人の軸を支える正しいカウンセリングも無いから、こんなことになっているんだ
自分軸がずれたら、自覚もできずそのままじゃないか
みんながいつまでも独自の工夫を繰り返し、失敗や成功?を繰り返しながら、ある日こどもに見捨てられて愕然とする。

そこに、ヒトの心を大事にする文化を育ててこなかった日本の結末のほんの小さな縮図を見た。
こどもだけ大切にして親を大切にしない(徹底的に責任を追及するような)支援では、最終的にこどもは守られない。

おそらく私は親を怨む憎むだけであったら、ここまで来れなかった。
意識の薄い解離状態の中で、記憶も感情も消しながら、だから俯瞰して見ることもできたのだろう。

5.古くにあった徹底的な男尊女卑の考え方の教育から日本人に刷り込まれたものの変遷

日本の家族観・こども観、そして男尊女卑の教育
3年前に私がディレクターをした虐待防止策のイベントがあったころ、今の日本の家族観・こども観が明治時代の家父長制という考え方を家制度という家族制度として法律となったことを知り、今年になって、その時代に男尊女卑の考え方の教育が徹底的に特に女性に対し行なわれていたことを知った。

「女性は虐げられる存在であり、お国のために働く男性を立てていくとはこういうこと。自分を無にして、男性から寵愛を受けながら日陰の身として生きていくように」

そこから人権ということを考えれば、実は虐げられているよろしくない状態なのに、「我慢は美徳」であるということが、叫ばれてきたのだろう。こどもは当然、一番下であり、女性とこどもに人権のない考え方は、家父長制が法律に組み込まれることで確実に真面目な日本人に浸透していった。

「男は外で働いて、女は家庭を守り子育てをする」

その役割決めを持ち出すのは、時代錯誤という人も沢山いると思う。その意識も薄くなってきたように見えて、家庭によっては色濃く絶対的な価値観として根付き続けていることは、現在のDV加害者プログラムへの参加者の意識からも読み取れる。
毎回それを目の当たりにしていると、その色濃さを感じる。

社会の中での変遷
本来完璧でない人間が、「家族の中に上下関係を置く」という家父長制の考え方を上手に扱えるはずもなく、現代では女性に「被害者」という名前付けがされたところから、男性が「加害者」という名前付けができるようになり、その中で女性の社会進出が叫ばれた末、上下関係の考え方が「女性が長となることもあるよね」となることで、女性からの支配は確実に多くなった。

《心理的影響》小さい時に得たマイナスが、自身の中でどう変わっていくかしかしながら、小さい家庭という単位では、私が産まれた1964年以降、外で働く父は身体的暴力専門。家を守り子育てをする母はどちらかというと心理的暴力専門。という家庭の在り様は既に始まっていたのは明白である。

その中で感じていたのは、愚問ではあるが、身体的暴力と心理的暴力と、どちらか選べと言われたら、心理的暴力は選ばないということ・・・

「毎日何度も何度も心を殺されるくらいなら、いっそひと思いに身体の機能を止めてくれ」

その小学生の頃の切実な願いは、ある意味当たっていた。
なぜなら、身体的暴力でケガの治療をすれば、回復することもあるが、心に残る傷は一生消えず、気づいて改善への行動をすることが無ければ、価値観となってまたこどもの一生を支配していくからである。

教育を根こそぎ変えたい
心に残る傷は癒されることが無ければ虐待後遺症となり、ヒトの孤立感・孤独感に繋がり、命を守るためのスキルは社会を生き抜くためのスキルとなり、それを社会の中で表現すると一瞬で否定されるという “生きづらさ” となる。

時間はかかることとしても、今心理教育とカウンセリングを始めなければ、暴力と愛情の境界線をしっかり引くことができなければ、少子化はもちろん、いじめ、自殺、殺人、依存症、精神疾患…数限りない社会問題は、無くなることはなく、永遠に日本の衰退への道をまっすぐ歩む、ことになる。

そういう家族制度を作った国には、大いに責任があると考えているし、そこから繋がり、根本に暴力の考え方が存在する、現在の家族制度、単独親権制度は即刻廃止を求めていきたい。
それにより様々な法律もすべて、実態に合うように変えていく必要があるでしょう。

障害認定
そして虐待後遺症(愛着障害)を発達障害と同じように障害認定してもらい、愛着障害者としての支援を受けられるようになることを願ってやまない。

生涯を通して、障害の部分でも疾患の部分でも生きづらさを負った状態で頑張って生きてきた(死ねないから生きた)状態で、それでも自己責任の国だから、収入もままならない中、医療費、生活費、様々なところで大きな損害を被ったこと。

見た目にわかる症状
愛着障害を抱えていることで、心理的肉体的に不調があることを知っていただきたい。
他者の想いを受け取ったり、他者の背景を配慮したり、ということが、難しい人も多くいます。
目の前の物事の核心が掴めず、ズレた言動や行動が見えて、不思議ちゃんとか、宇宙人とか言われてたり。
解離状態のために、ボーっとしていると見えたり、本や資料をよく読み込めずに感想を聞いてもそこに無い返事が来て意識が薄いかもと感じたり、記憶を時系列に並べるのが難しかったり。
睡眠障害で寝る時間に眠れず、活動中も睡眠が必要だったり。
混乱しがちだったり。

愛着障害と発達障害
お気づきの方もいると思いますが、発達障害の特性と酷似しています。
医師でさえ、診断を間違えることもあるこの症状。
認知機能が下がっているために、知的障害のように検査をすればIQが低かったりすることもあります。

発達検査や知能検査
幼少期には、そうでもなくても、大人になってからはおそらく専門医でも診断は大変な作業でしょう。

最終的な診断を下す時に何が決め手になるのかは医師ではないのでわかりませんが、愛着障害であれば、適切なアプローチをすれば、しっかりとご自身の尊厳を感じることができ、人格さえ変わります。
私も息子も、変わりました。「自分を変えたい!」と思う必要もなく変わりました。
変わらざるを得ないんです。
自分の尊厳(自分って大事だよね、誰からも愛される存在よねと認める)を獲得するから。

うつ症状や希死念慮などの急性期には薬も有効と思いますが、愛着障害である場合には、薬の必要性はさほど感じません。
(17年飲んできましたけどね!半分はお守りのように)
暴力と愛情の境界線を引けるようになる、ということがある意味薬でした。

6.誰もが尊重されるコミュニケーション

すべてのこどももおとなも生きやすい社会へ
私が数年前から目標に掲げているもの。
これは、結論として可能なのです。でも私一人ではできません。

「暴力とは何か」
を理論から、現場で課題の見立てをし、検証に次ぐ検証を重ね、追及することにより、見えてきたもの、それは

誰もが尊重されるコミュニケーション

自分の想いを伝える時に、どちらを選択する?

暴力 と 愛情

暴力は、その奥に「暴力の考え方」があることがベースにあり、その人の特性・興味・関心から、殴る蹴る、きつい目つき、抑圧感のきつい言葉、怒鳴り声、無視、虚言、暴力の過小評価、などなど、表現をします。

実は、自分の伝えたいことが暴力的であっても、そのまま愛情の表現に変えることができます。アサーティブ、と言われる表現ですね。

「暴力」とは何かを知り
「愛情」とは何かを知り

しっかりと境界線が引けるようになって、少なくとも不適切な養育を受けた時の自分には何も非が無かったことを実感し、自信を持つことができます。
(※親を責める材料にすると尊厳は獲得できません)

自分の心地よさを追求することにより
自分は何も悪くなかった。
この自分で生きていいんだ。

その実感を得ることを繰り返していけば、時間が掛かったとしても、自分の尊厳くらい自分で感じることは可能です!

自分の中に加害性があっても、被害性があっても大丈夫。
他の誰でもない、まず大事なのは自分。
そこがしっかりと自覚できたら、自分の中にできた、まやかしでない本当の “愛” と同じ量の “愛” を誰かに表現していく日は近いです。

自分を信じて Be Myself!


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