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未来企画代表就任、介護事業への挑戦 〜アンダンチへ続く道〜

初めまして。株式会社未来企画の福井と申します。

自分の頭の整理とたくさんの方に興味を持っていただいている「アンダンチ」に関する話などを書き記していこうと思います。

2018年7月にオープンした「アンダンチ」は、約1,000坪の敷地に、サービス付き高齢者向け住宅、看護小規模多機能型居宅介護・訪問看護ステーション、障害者就労継続支援B型事業所、企業主導型保育所、飲食店を配置した多世代交流複合施設です。震災の集団移転地域にも指定されている、仙台市若林区なないろの里という地区に出来ました。ありがたいことに、全国から視察として500名ほどを、2019年2月時点で受け入れさせていただいております。

そんな「アンダンチ」ですが、私のこれまでの経験や事業を通じて感じる社会的な課題、憤慨すること、それらを現時点で集大成のような形でまとめあげたと言えるかもしれません。

・自分のビジネスマンとしてのルーツ

私は大学を卒業後、商社に勤めることができて、鉄鋼製品のビジネスラインを担当していました。今とは全くと言っていいほど、違う分野です。

仕事柄、商談をするのは、社長や取締役、支店長、部長などのポディションの方々でした。当然、年齢もずっと上で、自分の父親か、それ以上の年齢。

なので、決して知ったかぶりをせず、わからないことは聞く、とことん調べる。お客様の欲しい情報や困りごとは何なのか?をよくよく考えること、To Do、スケジュール管理等、大切な基礎の基礎を、当時の上司から徹底的に指導してもらいました。

その考え方や取り組みは、ビジネスマンとしての土台となっており、商いの本質的な部分だと考えています。

当時は、仕事も楽しく、取引先の方々にも良くしていただいていました。少しずつ信頼もいただき、仕事の幅が広がっていると実感していました。

新卒から5年目の終わり。まさにこれから!!という時期だったと思います。

・突然あわられた転機

2012年1月中旬、義理の父親に呼ばれて、二人で飲みに行くことになったのです。

義父は2011年9月に開業したお医者さん。(堀田修クリニック)

「IgA腎症」という生涯治らない疾患と言われていたものを、早期の段階での根治治療として扁摘パルス療法を考案したという業界では有名な医師。

当時の私は、医療や介護の知識も無かったので、その凄さがわからなかったのですが、何か「凄み」を持った人だとは感じていました。笑

腎臓の専門医であることで、開業したクリニックでは、一般外来や人工透析を行い、訪問診療も始める準備をしていた時でした。

そんな状況の中、義父と飲みに出かけ、『今日は何か言われるんだとうか』と内心ビクビクしながら、待ち合わせ場所のレストランに行ったことを覚えています。

色々と近況の話をしながら、いよいよ本題が、、、

「透析患者さんが自分の行く末を按じるケースが見られる。そのような患者さんが少しでも安心できる住まいを考えて、やってくれないか?」

この言葉が全ての始まりとなりました。


クリニックを開業するにあたり、株式会社も設立していた義父は、その会社をもっと社会に役立つようなものにしたいとの思いも強く、医療ではできない、その周りの部分を「未来企画」という会社を使い、社名のように希望のある未来を創って欲しいと言われました。

2、3ヶ月ほど考えたでしょうか。

前述した通り、当時の仕事も楽しかったですし、クリニックのスタッフの皆さんは、このような形で、娘婿が入ってくることを受け入れてくれるだろうか。本当にこの組織にとって私が入って行くことが良いことなのだろうか?

・決断と覚悟、そして一歩を踏み出す勇気

本当に悩みましたが、もともと大学時代からいずれ自分で事業をしたいと考えていたこともあり、覚悟を持って新天地へと向かう決断をしました。

ただ震災後1年という、復旧作業が続く中で、あらゆるものが高騰している状況で、義父の言う「年金くらいで収まる住居」を整備するには非常に難しい環境で、まずは介護事業を行い、自力を付けようと頭を切り替えていきました。


まずは上司に翌年の2013年3月末に退職する旨を伝えました。その為に、新卒を採用して欲しいと。

勤めていた商社は、いわゆる財閥系でその東北ブロックを管轄している会社でした。一つのビジネスラインに一人の担当者が東北をカバーしている為、私が辞めるとそのビジネスラインを担当する人が居なくなるという状況です。なので、後任に新卒者を当てて欲しいと申し出たのです。

結果、新卒者が後任になったのですが、その後任への引き継ぎもあり、2013年3月末から9月末に退職が伸びまして、結果、退職の申し出から、実際に辞めるまで1年半を要したのです。

その1年半は、濃い時間でした。社会の厳しさ、温かさ、モチベーションをいかに保つかなど、辛い時期もありました。

それでも目の前の仕事に、目の前にいるお客様に対して、真摯に向き合おうと心に決めて、走り抜けました。

走り抜きすぎて、退職するまで全く医療介護の勉強は出来ずでした………

・2013年10月 株式会社未来企画 代表取締役 就任

あれよあれよと、2013年10月を迎えてしまいました。やっておきたかった勉強もできずでしたが、まずはクリニックのスタッフとのコミュニケーションを図りながら、介護職員初任者研修に通い、事業計画を練って行くわけです。

第一回目は、ここまでにして、次回はどのように介護事業を選び、進んで行ったのかを記したいと思います。


最後までお読みいただきましてありがとうございます!:D


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