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夜の喫茶店で、ただ本を読む。そんな贅沢を知っていますか?

夜の喫茶店で本を読む。スマホの電源をオフにして、コーヒーとケーキをいただきながら、ただひたすらに目の前の本と向き合う。途中で時計を見たりもしない。流れる時間に身をゆだねて、本の世界に入り込む。気づけばあっというまに3時間。お店を出て駅へと向かう夜道を歩いているとき、私はまだ本の世界にいるのだろうか、と不思議な余韻に浸っていた。

こんな時間を、私はシンプルに「贅沢だな」と感じる。豊かな時間の流れ、とも思う。「贅沢」「豊か」の定義は人それぞれだけれど、私は夜の喫茶店で本を読んでいるときに、確実にそれを感じた。

gururiの本の夜

私が立ち寄ったのは、滋賀県大津市にある「gururi coffee」さん。

gururiは本の読める小さなカフェです。
ゆったりとした静かな時間を大切にしております。
お話される際には、お連れさまだけに聞こえる程度の小さな声でお願いいたします。

ホームページより

「ゆったりとした静かな時間」を大切にと書いてあるとおり、日中も静かでゆったりとした時間が流れるカフェ。そんなgururi coffeeさんでは、月に3回ほど「gururiの本の夜」と称して夜の営業が行われている。

ずっと夜の時間の営業に行ってみたくて、今回やっと予約ができた。お店に立ち寄る前に、近くのTSUTAYA BOOK STOREで、この時間のために本を一冊じっくりと選んで購入。今回の夜の時間のおともは「ののはな通信/三浦しをん」に。

キャンドルの光が揺らめいて、店内にはボリュームが最小限におさえられたゆるい音楽が流れる。お店の方から「ただただ本を読む時間です」という説明を受けて、ワクワクした気持とともにさっそく本を広げる。

時間という存在を忘れたかったのでスマホの電源をオフに。たとえば、夜の時間に自分の部屋で本を読むことは、ある。けれど、時間の存在を忘れて、誰かから届くメッセージの存在を忘れて、SNSの存在を忘れて、どっぷりと本の世界「だけ」に意識を向けたのは、もしかすると初めてだったかもしれない。

「結果として本に集中してスマホの存在を忘れていた」ではなくて、「時間という存在すら忘れて、その世界に浸る」という意識そのものが私にとって大きな感情をもたらしてくれたのだ。

さて、時間という概念のない中で3時間本を読みながら過ごしてみて、どうだったのか。それが、冒頭の「贅沢だ」という感想につながる。

ある意味、瞑想に近かったかもしれない。瞑想とは余計な思考を排除して、ただただ「今ここ」に集中する時間だ。この3時間、私は何かを考えていただろうか。いや、何も考えていなかったような気がする。ぼーっとしているのとは違った時間の流れがあって、ただ本の世界のなかにふわふわと漂っていたような。普段の生活とか、もやもやとか、そういったものとはかけ離れた時間が静かに静かに、ただ流れる。

気づいたら、3時間経っていた。その間、1度も時計を見ずに、目の前に並ぶ文字だけを目でたどって。ホッとするようなカフェオレとタルトをいただきながら、椅子に座って本を読む。本当に、ただそれだけのこと。なのに、心がスッと軽くなるような、心がじんわりと温かさで満たされていくような、そんな感覚が体中に染み渡ったのだ。

カフェを出て、ホクホクとした気持ちで帰路につく。帰りのJRは相変わらずに遅延していたけれど、そんなものどうでもいい、と思えてしまうほど、私は本の世界にまだ漂っていた。漂っていたかった。いつもならイライラしてしまう電車の遅延も気にならないほどに温かい気持ちのまま、さっきまでの深い3時間を反芻してみて。

こんな時間を過ごして、こんな時間こそ「贅沢だ」と思えてしまう私自身に対して、豊かだな、と思える。私はきっと、エネルギッシュにせわしなくやり遂げたときよりも、一見何もしていないような余白のなかで深い時間を過ごせたときの方が、満たされた気持ちになるのだということを思い知る。

ああ、こんな贅沢な時間の使い方をすることを、許せる私でありたい。忙しいから、面倒だから、と思わずに、大切だから、と自分の意志で時間の使い方を決めたいのだ。深い時間について考えさせてくれた3時間。

いまは読んでいた本の続きが読みたくて、昨日の続きの静かな時間を過ごそうとしている。

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