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子供たちのゆたかな世界


友達がどんどんお母さんなっていく。

私は結婚していない身だからお産や子育てがどんなものなのか想像すらままならないのに、独身の私から見てどう思うかを、それが誰かの励みになればいいなぁと思って残してみてる。

私はいつもただ、すごいなーって、母になった友達の子を見つめる愛溢れる眼差しに感動してる。

命を産み育てるってそれだけで偉業をやっている、もうそれだけで素晴らしい。
この地球に素晴らしい恵みをもたらしてくれて、どうもありがとう。

そんな気持ち。笑

みんな、母になる前と後ではやっぱり全然違う。
柔らかく優しく、そして逞しくなっている気がする。
その強さは男性的なそれではなく、柔軟でしなやかな強さだ。
寛大で包容力のある温かな何かを感じる。

あぁ、お母さんになったんだなぁって、見てるこっちにまで胸に温かさが拡がってくるのは、もしかしたら母の愛が伝染しているのかもしれない。

母になると優しくなった“変わった”なんてよく言われてるけど、正確には”引き出された”んだと思う。

その優しさはもとからその人の中にあったもので、それが表に出て来ただけなんだと思う。

だから、母になった友達と初めて会う時、
「あぁ、この子にはこんな一面があったんだ」と発見できて嬉しくなる。

その穏やかな姿は子育てのほんの一部なのだろうし、幸せな反面、不安で辛くなることも多いのだろうけど、それでもやっぱりお母さんは輝いてる。

お母さんの愛を引き出したのは間違いなく子供で、そんなことが出来ちゃう子供たちって本当に天才。

キラキラと輝く瞳には大人には見えない世界が見えてる。
ゆらゆら揺れてたり、手足をブンブン動かしたり身体の反応が面白い。

子供ってどんな世界を生きてるんだろう?
ふと気になって、ちょっとイメージしてみた。

私は今温泉宿でアルバイトをしてて、毎日温泉に入り放題だから、ひとりの時に子供になったような気持ちで露天風呂に入ってみた。
(もうこの時点でもう着いてこれない人がいそう)

裸が一番そのままの姿に戻れる気がしたのと、露天風呂で自然を見ることができるのもいい気がした。

まず、木を見た。
静かな風にあわせて枝の先が揺れてる。
あぁ〜揺れてる、そう思って私も木の真似をしてみる。

身体が幹で、腕や指先が枝。

手を左右に広げて、指先を少し揺らす、少し強い風が吹いたら身体ごとちょっと揺らしてみる。

あ、今は右手薬指あたりの風が冷たい
あ、次は左手の人差し指と中指の間に、風の塊が通った。

へぇ〜木ってこんな感じなのか。
(というのを、もうすぐ三十になる女が真剣にやっております)

不思議な気持ちになった、木は微細な感覚で風の流れを掴み、その場の状況に感応してるんだなぁと、身体をもって体感できた。
生態系の一部に組み込まれていて、世界と繋がってる安心感に包まれた。

それからしばらく、ゆらゆらと動いていたい気持ちになり、脱衣所でもふらふらとその場で円を描いて歩いてみたり、意味のわからないことをしてた。笑

でも、子供達の動きってこんなんじゃない?
先が読めなくて、危なかっかしい動きの意味がようやくわかった。

子供になる遊びを単なるイメージでやってみたけど、これは大正解だったのかもしれない。

あの子供の、特に赤ちゃんの感じている世界に近いような気がした。

赤ちゃん目をキョロキョロさせてコロコロ笑う、それだけで周囲に幸せをもたらす。
赤ちゃんから放たれた安心感、ぽわんとしたまあるい空気が大人の顔を一瞬でほろっと緩める。

やっぱり赤ちゃんは自然物と近いんだろう。
そこから少し自我が出てきて人間になっていく。

私は子供がいないけど周囲の大人として出来るだけ持って生まれてきたその子の魅力を全力でみててあげたいなぁと思う。

子供たちがその純粋性を発揮出来るような社会にしたいなって、大袈裟じゃなく思う。

ちなみに下の写真は、2歳の愛しの姪っ子。
病院に行きたくなくて「私は動きません」を全身で意思表明してて可愛すぎる。

この真っ直ぐさを護ってやりたい。笑
いろんな写真があるけど、私はこれを一番気に入ってる、これが一番この子らしい写真だと思うから。

子供の話から少し変わるけど、最後にひとつ私の感じることをここに共有。

めちゃくちゃ当たり前のことだけど、

その人しか生きれない人生があって、他人の人生は味わえない。

例えば私には結婚をして子供を授かる人生も、今のところは味わえないし、美人として生まれる人生も味わえない。

男としての人生も、大金持ちの人生も、頭脳明晰な人間として生きる人生も、どれもこれも味わない。

羨ましいなーと思うことも沢山あったけど、最近はそうは思わなくなってきた。

もしかしたら私の代わりに誰かがそれを体感して味わってくれているのかも…というような感覚が芽生えてきた。

私は今独身で、もう三十になるのにこんなタイミングでひとりで田舎の温泉宿でアルバイトをしてる。

ふと、こんな歳して何してるんだろう、田舎にぼっち…。と孤独になる時もあるけど、私はこれをやりたくてやってる。

都会でちゃんとしたお家に住んで、結婚をして子育てをしている友達もそれをやりたくてやってる。

こんなはずじゃなかった…みたいな今を過ごしてる人も、実は無意識でその人生を望んでたんじゃないかなって思うところがある。

この身体でしか味わえない人生をそれぞれがやってくれてる。
別の誰かが謳歌してくれてる。

そう思うと、人を羨み妬む気持ちも大分となくなってくる。

みんな楽しそうでええがなええがな〜って。

私の代わりに味わってくれててありがとうと子供もいないしパートナーもいないけど、無性に豊かな気持ちになる。笑

こんな感覚はどうかしてるかもだけど、でもそう思うと力みがなくなってくる。

私が達観しているからではなくて、そもそも人間みんな、根底にはこういう純粋な気持ちがあるんだと妙に確信してるところがある。

だから、”自分はそんなんじゃない”と決めつけず、そういう自分ももしかしたら居るのかもしれないな〜って感じで読んでみてほしいな。

私は私で独身を謳歌してて、かつ田舎で足るを知るみたいなことを感じざるを得ない状況で、それを全身で味わってる。

お金もないし、パートナーもいないし、近くに友達もいないけど、なんか幸せというこの状況。

こんな生き方をする人は少ないだろうから、多分私はみんなの代わりにこういう稀な人生を謳歌してるんだと思う。
もう1人の奇妙な自分だと思ってみてほしい。

だから、そこで得た気づきとかも良いなと思うものならば出来るだけ共有したいなと思って、こんなnoteを書いてる。

ここには何もないけど、その分気づくことが多いから、今どうしようもない閉塞感がある人とかも、こんな脳内を垂れ流しただけの文章で良ければ読んで、ちょっとでも何かに活かしてくれるとすごく喜しい。