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CURIOCITY vol.2 を経て

2020年12月13日。
須賀川在住の三人がゆるりと何かをやる企画 #CURIOCITY のvol.2 が開かれました。企画、と言っていますが、決まっていたことはコーヒーとおでんを出すことのみ。あとはどうしようね~何やろうね~と言っている間に開催まで一週間を切るという贅沢な時間の使い方をして、そしてほぼその流れで当日を迎えることになったのでした。妖精あるあるですね。

結論から言って、今回のキュリオはとても良かったです。
主催の自分が言ってしまうので信ぴょう性に欠けるところはありますが(笑)、多くの人が出入りしてくれ、いつもの人も久しぶりの人もはじめましての人も、みんながそれぞれ場の空気に馴染んで楽しんでくれた気がしています。

この「場」を設けることについては、以前noteでも書いたことがあるので、ぜひ覗いていただけると嬉しいです。

上の記事にも書いている通り、場をつくるものの正体は「空気」または「雰囲気」だと思っています。ですので当日の空気感や雰囲気は、その日その場にいないと感じられないもの…として割愛させていただきます(面倒くさいからじゃないよ←)。
というわけで、今回は CURIOCISTY vol.2をロマンチックに思い出すというより、この回で何が見えて何が必要かという点をロジカルマーチでつづっていこうと思います。

CURIOCITY って、なに?

tetteの1階にある ordinary coffeeの齋藤さん、歌にダンスに制作にマルチな才能を持つあべ~わかな氏、そしてguesthouse Nafshaオーナーの私の三人で取り組む企画、CURIOCITY(キュリオシティ)。英語で「好奇心」を意味するcuriosityと、須賀川シティを面白くしてみようという気持ち、そして何より須賀川と言えばきゅうりだよね、じゃあ「きゅうり…きゅり…きゅりお!」みたいな感じでできた造語です(三番目の理由が8割)。

今回の開催はvol.2とうたっていますが、じゃあ第一回目は何したの?と言えば、うちの庭で焚火をしました。しかも私たち三人+私の夫の4人のメンツでです。第一回目にカウントしていいのかよ〜という小規模開催でしたが、そんな一夜のことも天才あべ~氏と齋藤さんが曲にしたためてくれたので、その奇跡の音源をここに‥‥(貼り付けたいけどないので、また後日)。
※ちなみにこれがキュリオのテーマソング的なものになってます。

そんなロマンティックな第1回目を経て今回の第2弾、「フリーコーヒーとアートと詩と」の開催に至った、といういきさつでございます。

vol.2をやってみて見えたこと

今回のキュリオは、須賀川の旧市街ど真ん中、市民交流センターtetteの目の前にある空き物件で行われました。「まふね」というその店は、須賀川市民であれば誰もが知っている、街中で愛された元・文房具屋さんです。震災の影響とご店主の高齢化により、数年前に店を閉じたと言います。

この場を提供してくれたのは地元の不動産屋さんです。この辺り一帯の空き物件を利用してのエリアリノベーションを考えているとのことですが、その使い方を模索すべく今回の企画にご協力下さいました。

やってみて思ったこと。
やっぱり場所は、ハコやfacilityのスペックではなく、「人」によってつくられるということです。
正直あの日、伽藍洞になったまふねには何もありませんでした。きれいに掃除しきれていたわけでもないし、おしゃれなファニチャーがあったわけでもありません(むしろあったのはストーブとビール瓶ケースだけでした)。だけどやってくる人は暖を取ってコーヒーを飲み、何気ない会話やまじめな話をして、新しい企画の発想なんかも得たりしていたのです。

エリアリノベーション、流行っていますよね。
日本まちやど協会の発足などもあり、「エリアをひとつの宿としてアップデートしていこう」という流れは、もはや全国的です。これからもある程度続くと思います。

ここで「ある程度」と釘を打つのには、少し理由があります。
それはその仕組みが、きちんと各々の地域に馴染むようにアレンジして取り入れられているか、ということに拠るからです。

例えば須賀川は人口約7万人の中規模の市です。大まかにですが、新興住宅地が広がるエリアと平成の大合併で吸収された元・村の田畑エリア、そして今回キュリオを開催した宿場町の歴史がある旧市街で構成されています。
大きな米問屋があり、昔はそれなりに裕福な宿場町だったという須賀川は、その証拠に豊かな街でないとなかったという呉服屋が点在しており、そのいくつかは今でも営業を続けています。
ただ、その過去の栄光も今では見る影もなく(すみません)、現状は他の過疎地域と同様、シャッターが閉ざされたままの通りとなっているのです。

そんな須賀川で空き物件を繋げて活用しよう、という取り組みはバッチリ理に適っているように見えます。
ですが、です。
その仕組みをどんな形にすれば「須賀川版まちやど」として機能するかを考えなければなりません。
きれいにリノベしてつるっとまるっとお洒落に変えたところで、それはただのリフォームですよね。その中をどのように活かして、どんな雰囲気を生み出したいか、つまりそれは「須賀川をどんな街にしたいか」ということを抜きにしては考えられないことでもあります。
そう、中身を考えて育てていくことは、時間がかかるのです。

じゃあどうすればいい?須賀川

具体的に、この現状と今回のキュリオの手応えを踏まえて、今後の須賀川エリアリノベーションの可能性を私なりに書いてみます。

まず、ハコものは綺麗に設えし過ぎないこと。
最低限の清潔さと水回りの設備の手入れは必要でしょうが、それ以外は使用用途を限定してはじめからリノベーションをしない方がいいと感じています。理由としては2つ。

①物件数に対して人的リソースが圧倒的に足りていない。
②使用用途を限定してしまうことで、より入れる人を限定してしまう。

須賀川で自営業をしている人からよく聞くことのひとつに「須賀川は横のつながりが薄い」という話があります。お互いの領分を荒らしてはいけないと思ってか、単純にあまり興味がないのか、とにかく「街を上げて頑張ろう」みたいな空気が生まれにくい。新しいことには否定はしないけど参加もしない…みたいな雰囲気があるのも否めない気がします(これは私の主観です)。
そんな雰囲気だからか、新しいチャレンジをするという人も少なく、仮にそういった人材がいたとしても、もっと新参者に優しい隣のBIGシティ郡山へ流れていってしまうのも現状かと。だからいつも人が足りない。悪循環ですよね。

一方でやけに大きな施設づくりには意欲的で、去年からでもtetteをはじめ、行政が手掛ける大型施設が4つは出来上がっているのです。

新しくて綺麗なものは、はじめは人を呼びます。目新しいからね。でもその先は、完全に中身の良し悪しによるというのが、悲しいかな現実です。つるっとまるっと綺麗な建物にどんな風に "息" を吹き込んで、自分たちの "場" としていくのか。そのことを考えなければならないのです。
きれいでなくなったあとに中身のない箱だけ残してしまうとしたら、それはバブル期に生まれた多くの負の遺産と同じことでしょう。おーこわ。

じゃあどうすればいいのか。
今ある物件に気合をいれて手を加えすぎず、かつ「生きたハコ」として活用する方法。それは “使い方から一緒に考えてみること” だと思います。
最低限のリフォームが終わったら、あとはその場を “どうするか” から人を集めて考えてみる。ただその際に、ホワイトボードや模造紙を前にポストイットでブレストなどしてはナンセンスです(笑)。頭ではなく、手を使うんです。やってみちゃうんです。
例えば、

①屋台を出して、将来やってみたいことを実際にしてみる(オーナーには場所代もしくは賃貸代として支払えば、賃料も生むことができます)

②リノベーションは職人やクリエイター、作家などと一緒に手を動かしながらつくってみる。リノベごとプロジェクト化してみる。(そのためのアーティスト・イン・レジデンスとかもいいかもね。「まちをつくるAIR」なんて、いいんじゃない?)

はじめから使い方を決めてリノベするのでなく、使いながら考える。そしてその場が気に入ったら本格的に拠点としてもいいし、ずっとhoppingしながら店を続けてもいい。もはや働き方の多様性にもつながるテーマなのでは?と思うくらいです(笑)。
②に関しては、地元作家さんと一緒につくっている私たちNafshaにも通ずるところがありますし、これなら人的リソースと地域資源を活かすという両方を満たすことができます。つまりは働き方と不動産の在り方の実験でもありますね。
回りくどいように見えるかもしれませんが、「住み続けたくなる街」ってこうやって一歩ずつ出来ていくのではないでしょうか。

まとめ

1)街づくりは「人」から
2)「人」を集めるには「多様性」と「いい雰囲気」
3)建物ははじめから使い方を限定しない
4)街こそ「みんなでつくる」をテーマにしてみる
5)答えをはじめから出そうとしない。頭より手を使う

ということでそのために我々CURIOCITYはいるのかな~どうかな~といった投稿でした!結果、ロジカルマーチになってなかった!雰囲気ばんざい!

guesthouse Nafsha
*Misato*

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