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独自の憲法・言語・国家を持つカラカルパクスタン自治共和国に「カラカルパクスタン料理」はあるのか

カラカルパクスタン共和国は、ウズベキスタン西部に位置する自治共和国だ。

ウズベキスタンの面積の約1/3を占める

ウズベキスタン内にあり、国際的にもウズベキスタンの一地域となっているけれど、独自の憲法・言語・国家を持っている。中心都市のヌクスに着いたら、ウズベキスタンの国旗と並んでカラカラパク国旗がはためいており、人々の顔つきは、目が細く東アジア風の方が多い。独自の土地に来たことを実感した。

ウズベキスタンの中でもわざわざここに来た目的は、もちろん家庭料理。ウズベキスタンの西端に位置するこの地域は、地図で見ると茶色い砂漠。年間降水量はたった100mm程度で、日本(1,700mm)とは比較にならないくらいカラッカラだ。国内の他の地域に比べてもずっと乾燥していて、食料生産は楽ではなさそうだ。
この厳しい土地でカラカルパク人の人たちがどんな料理を日々食べているのか知りたくて、やってきた。

ちなみに、カラカルパクスタンは、「カラカル・パクスタン」ではなく「カラ(黒い)・カルパク(帽子)・スタン(の土地)」と切れる。彼らの民族衣装に由来する名称で、パキスタンとは特に関係ない。

インターネットが教えてくれるカラカルパクスタン料理

カラカルパク料理をネットで検索すると、ジュールグルトック(Zhueri gurtik)、べシュバルマク(besh-barmak)などが挙げられている。肉と丸ごと野菜を5時間ほど煮込む大胆な料理だ。
実際、彼らと話していてもこれらの名前を挙げるし、お客さんが来た日に一緒に作ったりした。しかし、毎日の料理がこういうものかといったら、全然そんなことはなかった。

ジュールグルトック。ソルガムの粉で作った団子をスープでゆでる。団子の代わりに小麦粉で作った四角い生地にすると、ベシュバルマクになる。

カラカルパク家庭の日常料理は

訪れたのは、カラカルパクスタン共和国の中心都市、ヌクス(Nukus)。車で到着したら、辺境の小さな町だろうという想像を裏切って、超巨大な道路や建造物が広がる大都市ではないか。旧ソ連スタイルの「お金かけました!」と言わんばかりの都市設計に、圧倒された。

慌てて調べると、ヌクスはカラカルパクスタン人口の半分近く、約30万人が住む大都市だった。街が作られたのは1932年なのでまだ100年も経っていないが、ソ連時代に周辺地域からの人口流入が加速し、急成長したのだそうだ。当時、比較的僻地であり人目につきにくいために、この近くに化学兵器の実験場が作られたのだとか。その時代は灌漑による綿花栽培等で栄えたものの、水問題を抱えるようになり、今はウズベキスタン国内で最も貧しい地域となっている。そんな現状と不釣り合いなくらい街がピカピカなのは、補助金が投入されているのだろうか。

しかしメインストリートはピカピカでも、一歩外れると懐かしい感じの通りがあり、年季の入った家々が並んでいる。

たどり着いた家庭は、そんな裏通りに面する家の一つで、30歳くらいの若いお母さんと60歳くらいの義母が、ベビーカーの子どもをあやしながら家の前に座っていた。時間は14時。目があって話し始めたら、家に誘い入れられた。私を客間に通して、若いお母さんグリは「お昼ご飯作ってあげるね」と台所に消えた。私は気になって座っていられず、15秒で我慢が切れ、追いかけるように台所についていった。

昼食の目玉焼きとノン炒め

作ってくれたのは、卵3つを使った目玉焼き。玉ねぎをとろとろに炒めたところに卵を割り入れる。ガス台の横に置いてあったフライパンの中身が気になって聞いてみたら、昼食の残りのノン炒め(玉ねぎ、じゃがいも、トマトなどと共にちぎったノンを炒めたもの)だという。ノン(パン)を炒めるのか!「これも少し食べる?」と言って温め直してくれた。

客間に運ぶ。テーブルに置きっぱなしだった容器を開けたら、自家製のノン。グリは自分はお茶を入れながら、「どうぞ食べて」と勧めてくれた。

中央が目玉焼き、右がノン炒め。ウズベキスタンでは取り皿は使わない。

なんてことだろう。目玉焼きには正直何も期待していなかったのだが、玉ねぎの力でうんと甘くてびっくりするくらいおいしかった。逆にノン炒めは、膨らみ切った好奇心を軽やかにかわして、どこかで食べたことがあるような素朴な味。そういえば、スペインにはミガスという似たようなパン炒め料理があるらしい。甘い方面だと、パンプディングも仲間だろうか。パンを生活の糧とする人たちは、かたくなったパンをおいしく食べる方法をもれなく知っている気がする。

ノン炒め。本当の名前は、、きいたけれど忘れてしまった。

お菓子をいただいたり、幼稚園から帰ってきた子どもたちと遊んでいるうちに、夕方になった。帰った方が良いのだろうかと思いながら、帰りたくないし、それを促す素振りもないどころか次々食べ物を出してくれるので、日が沈むまで子どもたちと遊び続けた。

夕飯はウズベク料理。台所のインフラ事業。

夕飯は、麺料理のノリン(norin)。ウズベキスタンはじめ、キルギスやカザフスタンといった中央アジアの国々で食されている。この地域の人たちは日常的に小麦粉をこねて麺やパンの生地を作るけれど、グリの小さな台所にこね台はない。どこでこねるんだろうと思ったら、棚の裏からおもむろに板が登場。粉袋を切り開いて作ったシートを敷いて、その上に台を置き、あっという間に作業場ができあがった。

慣れた手つきでのばし始めるグリ。鮮やかだ。代わってもらって私がやったら、初めはよかったが調子に乗ってやっているうちに様子がおかしくなり、生地に穴が空いたところでやさしく麺棒を取り上げられた。経験値が違いすぎて、もうごめんなさい。

向こうが透けるくらい薄く生地をのばしたら、油を塗ってくるくる巻く。その大きなとぐろを蒸し器に入れて蒸すこと1時間。

一般的には蒸す工程はないレシピが多く、蒸すのは彼女のやり方のようだ。

その間にスープを作る。肉を炒め、玉ねぎやじゃがいもを加えていく。
野菜を一つひとつ洗うとき、彼女がバケツから水をすくって洗面器で受けて使っているのに目が留まった。

そういえば、この台所には水道がない。水道は家の外までは来ているのだが、なぜか家の中には繋がっていなくて、そこから汲んできて使っているようだ。別の日に別の人に聞いたところ、水道管の水圧が低いため、家の中に引き込むことが難しいのだとか。一方で、お金がないからとか、必要を感じていないからとか、他の解釈を語る人もいた。よくわからない。いずれにしても、私が台所に必須と思っていた水道がなくても、彼女は平気で野菜をきれいに洗って何事もなく料理を作ってしまうのだった。

いきなり消えた、と思ったら庭にハーブを取りに行っていた。

蒸し上がった生地を、細切りにする。蒸したての生地はもちもち。子どもたちが寄ってきた。この段階のつまみ食いが一番おいしいと、彼女たちは知っている。

切ってスープに入れたら、ノリン完成。スープを吸った麺もまたおいしい。

ノリン。見た目以上にたっぷりと麺を入れてくれた。

翌日はロシア料理?そして水問題。

次の日は、街外れにある彼女の実家に行って過ごした。昼食はマカロニ料理、夕食はガロプツェというパプリカの肉詰めのような料理。マカロニはもちろん中央アジア生まれのものではないが、牛肉、玉ねぎ、じゃがいもと炒めてうっすらトマトソース味という組み合わせが、当地っぽい。

ガロプツェは旧ソ連圏で広く食べられているものだ。この地域は、帝政ロシアと旧ソ連の時代にロシアの勢力が支配したため、ロシアの影響を受けた料理も多い。

バルカンの国々で出会ったものは汁なしだったが、今日のはスープ仕立て。何かとスープに入れるウズベクらしさを感じる。

この家の台所は、グリの家と違って水が出る(上水)パイプがある。しかし水が出ていく先(排水)がない。なのでやっぱりグリの家と同じでバケツに水を溜めておいて、使って汚れた水は床に置いた別のバケツに捨てる。こんな小さなバケツでどうやっているのだろうと思うくらい水の使用は少ないけれど、野菜はしっかり洗われている。

生ゴミのバケツにパプリカの種を捨てる。その横にあるのが廃水バケツ。

カラカルパクスタンは、水問題を抱えている。ソ連時代以降の過剰灌漑により、この地を潤していたアムダリア川はやせ細った。加えて、川からのアラル海に流入する水が減ったことでアラル海は縮小。干上がった湖底には、肥料と化学物質で汚染された土地が露呈した。そこから吹き上げた塩類まじりの砂はここヌクスにも届き、地面を霜のように白く覆っている。

この砂と生活用水の汚染が健康被害を招き、夏には断水が起こることもあるという。「ここがアムダリア川」と言われて上った堤防からは、目を凝らしても大河の姿は見えず、はるか向こうに水の流れが見えるだけだった。

水に囲まれた日本列島で育ち、毎日風呂桶に浸かって、食洗機は便利だなあと言っている私は、水を剥奪されたような恐怖感に陥った。アラル海縮小と食の話は、いずれ別のところで詳しく書きたいと思う。

カラカルパク料理はどこ??

さて、ここまで二日間過ごしてきて、一度もカラカルパク料理が出てきていない。
毎日伝統食を食べるわけではなかろうと自分を納得させようとしながらも、ちょっと落ち着かなくなってきて、「家では、カラカルパク料理は作らないものなの?」と聞いてみると、「週に2回かな」という返事。
重ねて「カラカルパク料理ってどんなの?」と尋ねると、「プロフ、マンティはよく作るね」という答え。でもそれ、ウズベキスタン全土でよく食べられる"ウズベキスタン料理"または"中央アジア料理"と呼ばれるやつだ。

親戚宅で食べたプロフ。肉の代わりに内臓を使うのがカラカラパク流なのだとか。ほんと?

もうこうなってくると、カラカルパク料理ってなんだろうとわからなくなってくる。
しかし考えてみれば当たり前でもある。彼らはこの自治共和国内で、ウズベク人とカラカルパク人という二重のアイデンティティを持って生きていて、自分が普段食べているものがそのどちらのものかなんて、意識しないだろう。加えて、ウズベキスタン料理自体も、歴史的にさまざまな文化圏から持ち込まれたもので構成されている。

ウズベキスタンは、ユーラシア大陸の真ん中に位置する。ゆえに、東西交易路(シルクロード)上に位置するという素敵な話だけでなく、強大勢力に攻め入られ続けたという歴史も負っている。
イランの方からアラブ軍に侵入されたり、モンゴル帝国に攻め入られたり、朝鮮人がスターリンによって強制移住させられてきたり。そしてそのすべての文化が料理の中に取り込まれている。米料理のプロフ、麺料理のラグマン、そしてちょい辛のキムチは、中央アジアの外にルーツがある。何が純粋にローカルなのかというのは難しい。

カレーは日本料理かのような結論のでない話になってしまうので、これ以上深入りするのはやめておく。確かに言えることは、かたくなりゆくパンを尊ぶ気持ちや、外来の料理もトマト風味の味付けとスープ仕立てにするところ、そして台所の切実な水使いは、この土地と切って切り離せるものではないということ。
隠そうと思っても、捨てようと思っても、滲み出てしまう料理の中の所作こそが、私が探していたこの土地の料理なのかもなどとぼんやり考えた。

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