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ユクスキュル・大槻香奈作品考 ―蛹と蝶のつくる円環―

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2020年11月22(日)に開催されたオンライン読書会の読書会ノートです。まとめノートを作ってるつもりが、いつの間にかちょっとした論文になっておりました。大槻香奈さんの作品に興味… もっと読む
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1.目次 【ユクスキュル / 大槻香奈考】

1.目次 【ユクスキュル / 大槻香奈考】

こんにちは、ナツメミオです。
先月、大槻香奈さん主催のオンライン読書会に参加しました。

課題図書は「生物から見た世界(ユクスキュル / クリサート著 岩波文庫)」。
この本が本当に興味深くて面白くて、読み終わった後たくさんの考えが溢れてきて、感動がすごかったのです。ただ、その分「このままだとほかの参加者さんの発言を遮ってまで語ってしまいそう」という危機感を感じたため、一旦頭の中を整理するために読

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2. はじめに 【ユクスキュル / 大槻香奈考】

2. はじめに 【ユクスキュル / 大槻香奈考】

目が真っ黒なのは、それが「鏡」として作用すればよいなと思ってのこと。答えは絵の中にではなく、それを見ている鑑賞者の中にある。いつもそんな絵でありたいという思いがある。――――― 『その赤色は少女の瞳』巻末コメント(56 | ほし 3)より

※web上に同タイトルの作品が見当たらなかったため、引用を見送ります

『その赤色は少女の瞳 表紙』
引用元:https://twitter.com/Kana

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3. ざっくりとした本文の流れ 【ユクスキュル / 大槻香奈考】

3. ざっくりとした本文の流れ 【ユクスキュル / 大槻香奈考】

今回は対話調でことばを綴ろうと試みているわけですが、全くの無計画のままそれを始めてしまったならば、混沌とした文章となってしまうことでしょう。

もちろん、口語調で書く以上は正確に回避するというのは難しいのですが、ある程度の道しるべのようなものを先に示しておき、私もそれに従いおはなしを進めてみようと思います。

まずは読書会の課題図書であった『生物から見た世界』に関する純粋な感想を。こちらにはあまり

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4. 『生物から見た世界』を読んで / 4-1. 連綿と続く、哲学とサイエンスの歴史【ユクスキュル / 大槻香奈考】

4. 『生物から見た世界』を読んで / 4-1. 連綿と続く、哲学とサイエンスの歴史【ユクスキュル / 大槻香奈考】

4. 『生物から見た世界』を読んで
4-1. 連綿と続く、哲学とサイエンスの歴史
現在では当たり前になっている「物質は各種元素(原子)が結合してできている」という事実。しかし始まりは化学者による発見ではありませんでした。

古代ギリシア、ローマ、イスラーム、および 18 世紀~19 世紀ごろまでのヨーロッパでは哲学的な「四元素」説が支持されていました。意外にも近年まで支持されていたようで驚きです

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4-2. ユクスキュルの生きた時代の哲学傾向【ユクスキュル / 大槻香奈考】

4-2. ユクスキュルの生きた時代の哲学傾向【ユクスキュル / 大槻香奈考】

ヤーコプ・フォン・ユクスキュル(Jakob von Uexküll)は 1864 年 9 月 8 日 生まれ、エストニア出身 のドイツの生物学者であり哲学者です。没年は 1944 年 7 月 25 日、生前のユクスキュルがどんな哲学傾向の時代に生き、思考していたのかを考察してみましょう。

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18 世紀末のヨーロッパは、アメリカ合衆国の独立(1783 年)やフランス革命(1789 年)

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4-3. ユクスキュルとカントの関連性、そして。 【ユクスキュル / 大槻香奈考】

4-3. ユクスキュルとカントの関連性、そして。 【ユクスキュル / 大槻香奈考】

本文序章の末尾にこのような文章があります。

これまでは、時間なしに生きている主体はありえないと言われてきたが、いまや生きた主体なしに時間はありえないと言わねばならないだろう。次章では、空間にも同じことが言えることがわかるであろう。生きた主体なしには空間も時間もありえないのである。これによって、生物学はカントの学説と決定的な関係を持つことになった。

この文章について少し検討してみましょう。

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4-4. 「環世界」と「意味の場」との共通点 【ユクスキュル / 大槻香奈考】

4-4. 「環世界」と「意味の場」との共通点 【ユクスキュル / 大槻香奈考】

続いてはユクスキュルの「環世界」、マルクス・ガブリエルの「意味の場」についての共通項を探っていこうと思います。

「環世界」という言葉を知ったのは今回が初めてでした。しかしながらどこか既視感を覚え、それは何かと考えてみたところ、マルクス・ガブリエルの提唱する「意味の場」の概念に近いと気づきました。マルクス・ガブリエルとは新しい実存主義の提唱者である現代の哲学者です。

では「意味の場」とは一体何な

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4-5. 故郷に生まれる のではなく、故郷を「作る」 【ユクスキュル / 大槻香奈考】

4-5. 故郷に生まれる のではなく、故郷を「作る」 【ユクスキュル / 大槻香奈考】

よくよく考えてみれば「生まれ故郷」を持つのは人間だけだという、当たり前の事実に気づかされました。

クモは巣を作り、たえずそこで活動する。この巣はクモの家であると同時に故郷でもある。(中略)モグラも自分で家と故郷を築いている。地下にはクモの巣網のように整然としたトンネル・システムが広がっている。しかし、彼の支配領土は個々のトンネルだけではなく、トンネルで囲まれた土地全体なのである。

家と故郷が一

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4-6. 生物界の概念と人間界の概念  【ユクスキュル / 大槻香奈考】

4-6. 生物界の概念と人間界の概念 【ユクスキュル / 大槻香奈考】

言葉としては同じ「故郷」「家」でも、生物と人間とでは意味や成り立ちが違うことは前述した通りです。そこで一つの考えが浮かびました。生物界には弱肉強食の概念はありますが、環世界の優劣という概念は無いのかもしれない、というものです。

もちろん、ユクスキュルの言うように単純な動物には単純な環世界が、複雑な動物にはそれに見合った豊かな構造の環世界が対応しています。

しかし単純な環世界を持つ生物であっても

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4-7. 人間界の環世界で生きることは、変容を受け入れるということ 【ユクスキュル / 大槻香奈考】

4-7. 人間界の環世界で生きることは、変容を受け入れるということ 【ユクスキュル / 大槻香奈考】

ここまでは人間をひと括りにまとめて論を進めてきましたが、人間同士の中でも環世界の違いは存在すると言っても過言ではないと思います。

例えば電車が好きな子どもには車両の細部までがはっきりとわかりますし、移動手段の一つとしか捉えていない人にとっては車両の数やドアの位置を認識する程度になるでしょう。単純な興味の違いによっても、認識の感度は大きく変わります。

当然ながら、身体的特徴によっても環世界は大き

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5. 大槻香奈作品考1・・・作品の変遷を辿りながら  【ユクスキュル / 大槻香奈考】

5. 大槻香奈作品考1・・・作品の変遷を辿りながら 【ユクスキュル / 大槻香奈考】

ここからは、主に画集『その赤色は少女の瞳』そしてFANBOXの記事などを踏まえて、作品の変遷を辿ることを試みてみようと思います。

年表部分は、Wikipediaより引用し、私の個人的な気づきは表の一番右にまとめています。なお、今回の考察は個展のみに焦点を合わせ、大槻香奈実験室およびオープンアトリエについては詳細の記述を見送りました。

※noteで表を作ることはできないため、画像で掲載していきま

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5-1. 「海」から「山」へ。テーマの変化と、保持された「女性性」 【ユクスキュル / 大槻香奈考】

5-1. 「海」から「山」へ。テーマの変化と、保持された「女性性」 【ユクスキュル / 大槻香奈考】



「わたしの海について」飛び出すカード風の作品
引用元:https://twitter.com/KanaOhtsuki/status/679216789939601408?s=20

2008年の「海」から3.11以降(~現在)の「山」へと、テーマが変化してきました。一見真逆に思える題材ですが、どちらも女性性を孕んだモチーフであることが興味深いですね。というのは、どちらも両面性を持っているからで

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5-2. 空の殻(からのから)の持つ可能性を探る 【ユクスキュル / 大槻香奈考】

5-2. 空の殻(からのから)の持つ可能性を探る 【ユクスキュル / 大槻香奈考】

課題図書の読了後、ユクスキュルの理論をもっと知りたくなり別の著作を手に取りました。その中で面白い記述を見つけました。

理事は私(ユクスキュル)にうなずいてこう言った。「みごとなものですね。これは明らかに、意味の担い手の出現によって引き起こされる生の二つの場面ではないでしょうか。ところで、ヤドカリ(ヨツスジヤドカリ)についてはどうですか。ヤドカリは、タコやイカを寄せ付けないように刺胞発射装置を用い

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5-3. フォトドローイングというイニシエーション(通過儀礼) 【ユクスキュル / 大槻香奈考】

5-3. フォトドローイングというイニシエーション(通過儀礼) 【ユクスキュル / 大槻香奈考】

空の殻による「逆蛹化」は、ちいさく生まれ変わること とも言い換えることができます。

まだ四民平等という概念が無かった時代、身分にわかりやすい違いと名称があった時代。日本でも様々なイニシエーション(通過儀礼)が行われていました。

それは適齢期や必要な時期になると訪れるもので、その後のすこやかな成長を願うためのもの、成人としての洗礼を受けるためのもの、嫁入りして別の家の人間になるためのものなど、基

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