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わたしが感じる“ささい”なこと


最近のわたしは、「どうでもいいけどなんか気になる」と感じるものについて考えていました。


日常の生活の中で自分に起こる、もしくは見つけるほんの些細な出来事は、大概自然と受け流したり、当たり前だと感じて終わってしまうことが多い気がします。わたしはそこに着目して、ほんの少し掘り下げてみたいと思いました。

今回は、その事についてお話したいと思います。





ついついやってしまう癖


① 触覚を触る


触覚とは、前髪横の髪を前髪よりも伸ばして顔に沿うように垂らした部分のこと指します。人によって長さは様々です。

こんな感じのこめかみ部分の髪の毛のこと。
姫カットとかでもよく見られる。


わたしも触覚を身につけている者の1人なのですが、電車に乗っている時や歩いている時などに、ついついくるくると触っていることに最近気づきました。
それからわたしは触覚について考えるようになり、なんで付けようと思ったのか気になりだしました。

よく考えた結果、おそらくわたしは触覚に安心感を感じているのだ!という結論に至りました。

触覚が横にあることで視界を妨げる閉鎖感のある感覚がわたしには心地よいのだと思います。

中学生くらいから、人の前に立つというよりかは隅っこでぼーっと物事を考えたり、気の合うもの同士の狭く深い友人関係を好む、比較的真面目で大人しい性格の分類に属される様な人柄であった気がする。

それに気づくことができた事で、自身のなかで腑に落ちるものを感じ、改めてこれからも触覚と共に、時にくるくると触りながら生きていこうと思いました。



② サイゼリヤで間違い探しをする


わたしはファストフードのお店の中で丸亀製麺と同じくらいサイゼリヤが好きです。ちなみに余談ですが、丸亀製麺だったら明太釜玉うどん、サイゼリヤだったら若鶏のディアボラ風はマストです。

20歳を過ぎ、初めての1人サイゼでずっと気になっていた若鶏のディアボラ風を食べた時、安くて美味しい、こんなものがあっていいのかと思いました。もちろん、他のメニューもおいしいです。

余談はさておき、サイゼリヤは小さい頃から当たり前のようにあり、テーブルの横のキッズメニューの間違い探しは、ある程度期間が過ぎるとイラストが変わっているので、訪れる度に自然と手に取り、真面目に挑戦しています。


2024年4月時点での間違い探し


これがまた、絶妙に難しいんです。その絶妙さが楽しいのですが。キッズメニューの表紙だからといって侮ってはいけないと思います。

ちなみに今のメニューの間違い探しはクリアしました。次回作を楽しみにしています。



誰かが街につくりだした何か



① 誰かが置いていったもの


東京都世田谷区の小田急線豪徳寺駅には、招き猫の石像があります。クリスマスとお正月、誰が置いたのかサンタクロースの帽子みかんが置いてありました。

サンタの帽子
みかん



こうやって、人々が行き交う場所に当たり前のように毎日存在するシンボルに小さな変化があると、なんだかとても面白いです。酔っぱらいの仕業かな〜とか、誰がどういう経緯で置いたのか想像したりします。

わたしのようにその変化に気づいた人達もなんだかほっこりと、季節を感じることが出来ると思います。




② グラフィティを見つける


街を歩いていると、店舗のシャッターや壁などに、スプレーなどで描かれた落書き(グラフィティ)を目にしたことがある人が多いと思います。
至る所にある様々なグラフィティのなかで、わたしが近頃気になっているグラフィティがひとつあります。

女の子?天使?

このグラフィティとの初めての出会いは、夏にひとり旅で訪れた京都の下京区でした。雑居ビルのなかにある古着屋さんを出て、次の目的地へと向かう道すがらに遭遇。なんだか可愛いなと思い、カメラのシャッターを切りました。


後日、友人と渋谷を散策していたら、なんと、また同じグラフィティを発見。

渋谷


またまた後日、高円寺を歩いていたら遭遇。今度は大きめ。

高円寺


そして、世田谷の大きな道路を歩いていたら看板に。

世田谷


そしてそして、冬に訪れた、京都の河原町にある地球屋というお店の階段壁にも存在。

京都河原町


ここまでも同じグラフィティをみつけると、誰が描いているのか、他にもあるのか気になってしまいます。どこかでこのグラフィティを見つけたら、わたしに教えてください。




ささいなことだけど


他にも、お祭りで買ったかき氷の、シロップがかかっているおいしい部分を、下のシロップが行き届いていない氷だけの部分まで残して、こぼさずに最後まで美味しく食べようとするとか、そういう自分の中で習慣づいた些細な癖は、人間ぽくてなんだか良いなと思います。

いいなと感じた感覚とか、楽しいなと感じた瞬間の記憶は、その時は覚えていても、歳を重ねるごとに消え去ったり、薄れていったり、もしくは様々な記憶と混ざって少し改変されたものとして残っていたりして、原型を留めていないことが多いような気がします。

それが人間、ともいえるけど、わたしはその小さな感覚やわずかな瞬間の記憶を、歳を重ねてもできるだけ覚えていたいなとも思います。

他にも気になるものを見つけたら共有します。

また書きます。

みすゞ


※ グラフィティアートは、所有者の許可を得ることなく描くことは、もちろん犯罪行為であり、器物損壊の罪に問われることもあります。


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