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後藤竜二『野心あらためず 日高見国伝』 乱を起こすものと、それに屈せず歩み続けることと

 数々の作品を残してきた児童文学者・後藤竜二が、いわゆる宝亀の乱を題材にし、野間児童文芸賞を受賞した名作であります。かつて大和の人々に奪われた日高見の地に帰還した少年・アビを通じて描かれる、蝦夷と大和の人々の姿とは……

 代々暮らしてきた日高見の地を奪われた末、父は殺され、母は流刑の途中に自分を産んで亡くなった少年アビ。親代わりの老人・オンガと共に流刑地を逃亡し、鮫狩りとして暮らしていた彼は、密かに思いを寄せていた奴婢の少女・宇伽が売られていったことを知ります。そして彼女を追って、アビはオンガと共に、密貿易商人の灘麿の船で、陸奥介・大伴真綱と共に日高見に向かうのでした。
 土地の豪族出身ながら大和でも勢力を振るう存在であり、アビ一族の仇である道嶋家。彼らが力を振るう日高見では、数年前に蝦夷が蜂起して以来、アテルイやモレの抵抗が続き、一触即発の状況が続いていました。
 そんな中、蝦夷出身の郡長官として人々の対立を収めるのに腐心してきた伊治城主の呰麻呂は、恋人のルシメが政略結婚で道嶋家の長男・大楯に嫁がされることになり、大きな衝撃を受けます。しかしルシメは大楯を嫌って婚礼前に出奔、それを恨みに思った大楯は、蝦夷の武力弾圧を強行に主張するようになります。そんな中、伊治城で働くことになったアビは、宇伽と再会するのでした。
 折しも、冷害と戦乱で浮浪民となって伊治城に流入した人々を受け入れる呰麻呂。しかし大楯の陰謀により、農民たちと浮浪民たちは対立、険悪な状況は深まっていきます。一方、陸奥守・紀広純は己の功績のため、伊治城以北に新たな築城を決定。しかしその動きの鈍さに不満を持った大楯は、ある覚悟を固めるのでした。
 そして日高見の動きを利用して紀家の勢力を削ごうとする中央の藤原家の思惑も絡んだ末、ついに決定的な出来事が起きることに……

 宝亀十一年(780年)、陸奥で伊治呰麻呂が起こした反乱である宝亀の乱。詳細は本作の展開に触れることになるので伏せますが、この反乱をきっかけに、後のアテルイたちと坂上田村麻呂の激突をはじめとする、蝦夷と大和の対立が激化していくことになります。
 本作は、この知名度はあまり高くないものの重要な戦いの秘話というべき物語ですが――先祖の地へのアビの帰還という始まりを考えれば、彼が乱の中で活躍する物語と想像する方も多いと思います。アビが、蝦夷を苦しめる大和の暴政に対して立ち上がる物語なのだろうと……
 しかし本作でアビの存在は、むしろ目撃者に近い立場であります。実はこの物語の中心となるのは呰麻呂――蝦夷と大和、貴族と平民、農民と浮浪民という相反する立場の人々に挟まれながらも、平和共存の道を求める男の姿を本作は描きます。
 しかしそんな呰麻呂が、何故乱の首謀者とされたのか? そこに至るまでの人々の思惑の複雑な交錯をこそ、本作は浮き彫りにするのです。

 そして同時に本作は、単純に蝦夷を善、大和を悪として描くものでもありません。
 確かにその中でも大楯は悪役と呼んでよい存在であります。しかし彼は同時に大和側の人々の中でもひどく浮いた存在――その極端な言動を白眼視され、嘲笑されている存在として描かれます。本作の大和側の人々の多くは、蝦夷を蔑視しつつも積極的に排除するわけでもなく、私腹を肥やし、あるいは事なかれで暮らす、そんな存在なのです。
 そしてその一方で、蝦夷も一枚岩ではありません。モレのように大和に戦いを挑む者、あるいは大和の人々の前で頭を低くしてやり過ごす者、そして呰麻呂のように共存を求める者――そんな人々が入り乱れる状況の中では、むしろ乱が起きることの方が不思議に思われます。
 しかしそれでも乱が起きてしまうのは何故か――それの原因である「政治的」動きを本作は丹念に描きます。ドラマチックさとは無縁の、卑小な人間の営みの中で、多くの人々の命に関わる出来事が起きる――そんなやりきれない現実を、本作は描くのです。
(その意味では、ドラマ的にはヒーローとなっておかしくない立ち位置にありながら、結局は状況に翻弄されるしかない大伴真綱の存在は、象徴的といえるかもしれません)

 もちろん本作は、そんな生々しい物語だけに終わるものではありません。そんなやりきれない現実の中でも「野心あらためず」――すなわち他人に屈することなく、己の求める道のために歩み続ける人間の逞しさと、その営みが未来に繋ぐものを、本作は同時に描くのです。
 そして本作においてその役割を担うのが、アビや宇伽、あるいは灘麿といった無名の人々であることを思えば、作者が何に希望を見出していたのか理解できるように思えます。
 それはまた、本作が児童文学の一般的イメージを超える内容でありつつも、それでも児童文学として描かれた意味であるとも感じられるのです。

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