武川佑『真田の具足師』 武士ならぬ身で己の戦場を戦った者の物語

 先日、文庫で『悪将軍暗殺』(『千里をゆけ くじ引き将軍と隻腕女』改題)が刊行された武川佑が、戦国時代末期の真田家をユニークな視点から描く歴史小説であります。徳川軍を震え上がらせた真田の不死身の具足――その秘密の奪取を命じられた具足屋・岩井与左衛門と真田家の、長きに渡るドラマであります。

 生まれつき不自由な片手の指を抱えながらも、家業である具足師として懸命に修行を積んできた与左衛門。しかし彼の作った甲冑が不良品であったため、戦で家康が傷を負ったという理由で勘当された彼は、その家康から、ある秘命を受けることになります。
 上田城の戦で徳川勢を惨敗させた真田兵――その強さの源が、彼らが身につけた「不死身の具足」にあると見た家康。その秘密を探るため、与左衛門は甲賀の女忍び・乃々とともに、上田潜入を命じられたのです。

 上田に着いて早々に真田の忍びの襲撃を受け、具足師としては致命的な傷を負わされてしまった与左衛門。しかし彼はその時の真田が置かれた状況を見抜き、逆に真田昌幸の懐に飛び込んで、「具足屋」として頭角を現すことになります。
 真田家を支えつつも、不死身の具足の秘密を探る与左衛門。やがてその秘密を握るのが謎の天狗面の男・源三郎だと知る与左衛門ですが、その意外な正体とは……

 実に三十年という(エピローグを含めれば更に長い)年月を舞台に描かれる本作は、デビュー以来武田家を多く題材としてきた作者が、その武田家滅亡後をしたたかに渡り歩いた真田家を描く物語です。
 戦国時代のスターというべき真田家の興亡を描いた作品は無数にあります。しかし本作が極めてユニークなのは、それを武士・武将ではなく、具足師の眼から描く点であります。

 非戦闘員であるものの、戦闘に間接的に携わる技術者たる具足師。しかし彼らの使命は、似たような立場の刀鍛冶とは、また異なるものがあります。
 相手を殺すことではなく、着る者を守ることを最大の役目としつつ、時にそれに加えて、着る者が何者であるかをアピールする役割を持つ具足――それを作る者の視点は、当然、他の者とは異なるものとなって然るべきでしょう。

 作者はこれまで多くの作品で戦場を描きつつも、しかし決して勇ましく戦う者ではなく、いやむしろそんな姿勢に懐疑的な視点から物語を描いてきました。
 その視点は、上に述べたような特異な存在であるこの具足師を中心とする本作において、特に明確であります。そしてそれは、作中である理由から悩み苦しむ与左衛門に対する乃々の言葉――「戦うのは武士だけではない。進め、あなたの戦場を」に、はっきりと表れていると感じます。

 そしてまた、戦いに対して懐疑的な視点を向けるのは、与左衛門だけではありません。本作の前半で強い印象を残す人物――真田信繁が「源三郎兄」と呼ぶ謎の天狗面の男もまた、優れた具足師でありながらも、戦うことに悩む者であります。
 その伝奇的な出自(それが明かされた時の驚きたるや!)と相まって、陰の主人公といいたくなるほどの存在感を持つ源三郎。与左衛門とは全く異なる立場にありつつ、しかし具足という点で以て重なる彼の存在は、与左衛門の「戦い」に大きく影響を与えるのです。

 本作は、そんな源三郎をはじめとする人々との出会いを経て、与左衛門が真田家で頭角を表していく一代期という側面を持ちます――途中までは。
 豊臣家の下で大きな犠牲を払った末に、本領を安堵された真田家。そこでなくてはならぬ存在となった与左衛門ですが、しかし彼が徳川のスパイであることは、それでも変わりません。その不安定な立場が物語にどのような影響を与えるか――後半で描かれるその答えには、言葉を失います。

 しかしそれでもなお、与左衛門の、真田の戦いは続きます。物語の結末である大坂の陣――戦国時代の終わりであるこの戦で、与左衛門は、ある役割を果たすことになります。
 正直なところ、特に信繁の行動がもたらすものが、あまりにそれまでの物語の空気と変わっている感が強く、この辺りは唐突な印象は印象は否めません。
 しかし周囲の者を巻き込み、巻き込まれつつも、己の戦場を戦った者が見た一つの結末として、そして真田家という特異な家を巡る物語の結末として、それは受け止めるべきでしょう。

 決して平坦ではなく、理想だけでは成り立たない道を懸命に進んだ者の物語――それは時に目を背けたくなるほど凄絶で、時に予定調和を拒む理不尽さすら感じさせながらも、不思議な余韻を残すのです。


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