世界一周 懐古の旅
8歳のとき、母親に言わず父親の家に行った。
別に理由などない。強いて言うなら、ただ会いたかった。
余談だが、私のガニ股は父親譲りである。
その夜、突然父親の家の玄関をバンバンと叩く音が聞こえた。
「返せ!!うちの子を返せ!!」
母親だった。
私が父親に誘拐されたのだと思ったらしい。
母親にも父親にも近所の人たちにも、悪かったなと思いながら帰った。
13歳のとき、カースト上位の女の子たちに目をつけられた。
余談だが、みたらしちゃんという名前にしているのは、その頃同じクラスだった坊主の男の子に「お前みたらし団子に似てるな」と言われたことがあるからである。
私が朝階段を上がってくるのを、ヤンチャめな女の子たちが十数人、左右に別れて待っていた。
毎朝、女の子たちが私の為だけに作った花道を通って教室まで向かう。
足を引っ掛けられたり、カバンを引っ張られたりしたが、不思議と悲しくなんかはなかった。
ただ、居なくなってほしいとは思った。
毎朝彼女たちが早起きして学校に行くことができていたのは私の存在があったからで、私のおかげだと言っても過言ではない。きっと。
15歳のとき、数学の授業を抜け出した。
苦手な教科の授業ほどちゃんと聞かないといけないとは分かっていたが、その日はどうも駄目だった。
余談だが、数学は前期と後期のテストの点数を合わせても欠点だった。数学とは仲良くなれない。
私の中学はしょっちゅう警察が来るぐらい荒れていたから、授業中に大人しい女子がひとり居なくなったって気付かれない。
後ろのドアからしれっと抜け出して、教室から1番遠い棟のトイレに逃げた。
大きい鏡に私が映った。
小さく整えたセーラー服のリボンも、ひとつ折って短くしたスカートも、なんだかいつもより変に見えた。
興奮していたのかもしれない。
他に理由があるとすれば、恐らくそれは私だからだ。
スタイルがいいあの子にも、美人なあの子にもなれない。
鏡に映ったのは、間違いなく私だった。
授業中抜け出すなんて、頑張って授業をしてくれている先生に罪悪感が湧いてくる。
仕方がないから戻ることにした。
途中ですれ違った別の先生に、いつも通り「こんにちは」と挨拶した。
18歳のとき、友だちたちから、私の好きなところを100個書いたノートを貰った。
こんなに素敵なことがあるのかと、とても驚いた。
この感動を言葉にすることができないのがもどかしい。
間違いなく、人生で1番嬉しかった。
そのノートを読みながら情けなく泣いたら、それを見た友だちたちも何故か泣いた。
これまで、家も学校もなんとなく寂しかった。
だが18歳の春、私は見つけたのだ。
私の居場所を。守らないといけない存在を。
21歳、勿論あのノートをくれた友だちたちとは友だちのまま。私の家族。
なにがあるか分からないから人生って面白い。
大きくなるにつれ、自分に合う場所と人を見つけることができるようになる。
見える景色のほとんど全部がザラついた灰色であっても、素晴らしい場所と素晴らしい人に出会って、沢山の色を知ることができる。
優しくなれる。
あなたはどうだろうか。
優しい人だと嬉しい。
出会ってくれてありがとう。
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