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温故知新(38)ストーンサークル レイライン 大湯環状列石 出羽三山 道祖神 猿田彦命(猿田毘古神) シュメール アスワン ハドソン湾 サギノー湾

 イギリスの考古学者アルフレッド・ワトキンスは、1921年にストーンサークルや古代の石積み、教会といった古代史跡が一直線上に並んでいることを発見し、この直線を「レイライン(Ley Line)」と名付けました。日本のストーンサークルについてもレイラインとの関係が考察されていますが、主たるストーンサークルを比較すると、時代と共に列島を北上しているようです。

 秋田県鹿角市にある大湯環状列石(北緯40度16分)は、オリンポス山(北緯40度05分)とほぼ同緯度にあり、大湯環状列石とオリンポス山を結ぶラインの近くには、護國山 観音院 久渡寺(弘前市)や岩木山神社(弘前市)があります(図1)。大湯環状列石の北東には山の形がピラミッドに似ている黒又山があり、オリンポス山と黒又山を結ぶラインの近くには十一面観音を本尊とする日照田観音(高倉神社)や青森県で最高峰の岩木山があります(図1)。黒又山は、通称クロマンタと呼ばれ、アイヌ語の「クルマクタキシタ」の語源から「神の野の山」という意味だそうです。黒又山は、地中レーダーによって、山全体が石で造られた7段から10段のテラス構造になっている事が確認されていて、大湯環状列石との関連の可能性が指摘されています。

図1 大湯環状列石とオリンポス山を結ぶラインと護國山 観音院 久渡寺(弘前市)、岩木山神社(弘前市)、オリンポス山と黒又山を結ぶラインと日照田観音(高倉神社)、岩木山

 大湯環状列石とモロッコの「神の国」を意味するマラケシュを結ぶラインは、縄文時代の小坂環状列石墳墓(秋田県鹿角郡小坂町)や、遮光器土偶が出土した亀ヶ岡石器時代遺跡の近くを通ります(図2)。

図2 大湯環状列石とマラケシュを結ぶラインと小坂環状列石墳墓、亀ヶ岡石器時代遺跡

 山形県長井市環状列石(北緯38度08分)は、ギョベクリ・テペ(北緯37度13分)と比較的近い緯度にあり、福島県相馬郡飯舘村の虎捕山にある山の神「大山津見神」を祀る山津見神社とギョベクリ・テペを結ぶラインの近くにあります。このラインの近くには、安久津八幡神社(山形県東置賜郡高畠町)があります(図3)。

図3 山津見神社(福島県相馬郡飯舘村)とギョベクリ・テペを結ぶラインと安久津八幡神社(山形県東置賜郡高畠町)、環状列石(長井市)

 大湯環状列石と武甲山(妙見山)を結ぶラインは、大国主神社(秋田県仙北市)、庭月山 月蔵院(山形県最上郡)、本道寺口ノ宮 湯殿山神社(山形県西村山郡)、環状列石(長井市)、福満虚空蔵菩薩 圓蔵寺(福島県河沼郡)の近くを通ります(図4)。

図4 大湯環状列石と武甲山を結ぶラインと大国主神社、庭月山 月蔵院、本道寺口ノ宮 湯殿山神社、環状列石(長井市)、福満虚空蔵菩薩 圓蔵寺

 武甲山とギョベクリ・テペを結ぶラインは、虚空蔵山信濃国分寺の近くを通り、大湯環状列石と丹生都比売神社を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図5)。大湯環状列石と丹生都比売神社を結ぶラインの近くには、朝日岳大物主大神を祀る三輪神社(岐阜県揖斐郡揖斐川町)があります(図5)。

図5 武甲山、丹生都比売神社、大湯環状列石を結ぶラインと三輪神社、朝日岳、武甲山とギョベクリ・テペを結ぶラインと信濃国分寺

 羽黒山多くのレイラインが交差する山として知られています。崇峻天皇(厩戸皇子、聖徳太子と推定)の皇子・蜂子皇子が開山したと伝わる出羽三山の羽黒山と天之御中主大神を祀る妙見本宮 千葉神社を結ぶラインは、湯殿山神社本宮(鶴岡市)、環状列石(長井市)、筑波山神社千勝神社(つくば市)の近くを通ります(図6)。

図6 羽黒山と妙見本宮 千葉神社を結ぶラインと湯殿山、環状列石(長井市)、筑波山神社

 図6のラインと、妙見本宮 千葉神社と豊受大神宮(外宮)、豊受大神宮(外宮)と羽黒山を結ぶラインで三角形を描くと、豊受大神宮(外宮)と羽黒山を結ぶラインは、妙見本宮 千葉神社とギョベクリ・テペを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図7)。妙見本宮 千葉神社とギョベクリ・テペを結ぶラインの近くには、奇岩千畳岩(長野市鬼無里)があり、妙見本宮 千葉神社と豊受大神宮(外宮)を結ぶラインは、寒川神社(神奈川県高座郡寒川町)、奥磐戸神社(静岡県磐田市)の近くを通り、豊受大神宮(外宮)と羽黒山を結ぶラインは、西方寺摩崖仏(岐阜県中津川市)、真言宗菅谷寺(菅谷不動尊)(新潟県新発田市)の近くを通ります(図7)。

図7 妙見本宮 千葉神社、豊受大神宮(外宮)、羽黒山を結ぶラインと寒川神社、奥磐戸神社、西方寺摩崖仏、真言宗菅谷寺(菅谷不動尊)、環状列石(長井市)、筑波山神社、妙見本宮 千葉神社とギョベクリ・テペを結ぶラインと奇岩千畳岩

 日本最古と考えられているストーンサークルは、長野県諏訪郡原村にある阿久遺跡(あきゅういせき)で、年代は縄文時代前期、約7000~5500年前の大集落と判明し、出土した土器などから全国各地から人が集まるような中心地だったことがうかがえるといわれています。阿久遺跡とメンフィス博物館を結ぶラインの近くには、諏訪信仰発祥の地と伝えられる諏訪大社上社前宮や諏訪大社上社本宮があります(図8)。このラインは、縄文時代中期(約5000年前)の棚畑遺跡と長野県駒ヶ根市にある高烏谷神社(たかずやじんじゃ)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図8)。諏訪大社上社本宮は、レイラインでロドス島とつながっていますが、阿久遺跡は北緯35度57分にあり、ロドス島(北緯36度10分)とほぼ同緯度にあります。

図8 阿久遺跡、高烏谷神社、棚畑遺跡を結ぶライン、阿久遺跡とメンフィス博物館を結ぶラインと諏訪大社上社前宮、諏訪大社上社本宮

 ハドソン湾とアスワンを結ぶラインは、スカラ・ブレイとラス・ダシャン山を結ぶラインと重なり、オリンポス山、ディミニ、ブラウロンの遺跡、クレタ島の古代都市ラトの近くを通ります(図9)。ハドソン湾は、クレーターのような形状から、先カンブリア時代に起きた天体衝突の衝撃によって形成されたと主張した地質学者がいましたが、現在まで確実な証拠は得られていないようです。

図9 ハドソン湾とアスワンを結ぶラインとオリンポス山、ディミニ、ブラウロンの遺跡、クレタ島のラト遺跡

 ランド・フレマスは、ハドソン湾の旧北極時代には多くの聖地が、北緯10Φ(16.11度)にあったことを発見しています1)。ハドソン湾からの距離は、バールベック(かつての緯度16.09)が8,300km、マチュピチュ(かつての緯度16.33)が8,212kmですが、ギョベクリ・テペは8,088kmで、かつての北緯10Φ(16.11度)よりはやや北にあります。大湯環状列石は、ギョベクリ・テペに比較的近い8,125kmで、ハドソン湾と日本仏教三大霊山の一つとされる身延山(山梨県南巨摩郡早川町)を結ぶラインの近くにあります(図10)。このラインは、アイヌ語で「カムイミンタラ」(神々の宿る庭)と称される大雪山旭岳(写真トップ)、月山御神楽岳武尊山(ほたかやま)、みなかみ三峯神社(群馬県利根郡みなかみ町)、高天原山(たかまがはらやま)、金峰山など山岳信仰の地を結んでいます(図10)。旭岳月山、武尊山には一等三角点(三角測量に用いる際に経度・緯度・標高の基準になる点)が設置され、御神楽岳高天原山には、二等三角点が設置されているので、これらの山は、古代にも測量に使ったのかもしれません。

図10 ハドソン湾と身延山を結ぶラインと旭岳、月山、御神楽岳、武尊山、みなかみ三峯神社(群馬県利根郡みなかみ町)、高天原山、金峰山

 図10の大湯環状列石と身延山を結ぶラインの近くには、瀧沢石器時代遺跡(渋川市)があります。身延山と大山祇神社を結ぶラインは摩耶山の近くを通り、大山祇神社と大湯環状列石を結ぶラインは、美作國一之宮 中山神社サムハラ神社奥の宮の近くを通ります(図11)。また、見延山とオリンポス山を結ぶラインは剣ヶ峰や乗鞍大権現の近くを通り、大山祇神社と大湯環状列石を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図11)。

図11 大湯環状列石と身延山を結ぶラインと瀧沢石器時代遺跡(渋川市)、身延山と大山祇神社を結ぶラインと摩耶山、大山祇神社と大湯環状列石を結ぶラインと中山神社、サムハラ神社奥の宮、見延山とオリンポス山を結ぶラインと剣ヶ峰、乗鞍大権現

 また、身延山と幣立神宮を結ぶラインは、橿原神宮(長山稲荷社)や剣山の近くを通り、幣立神宮と大湯環状列石を結ぶラインは大山祇神社、サムハラ神社奥の宮の近くを通ります(図12)。

図12 身延山と幣立神宮を結ぶラインと橿原神宮、剣山、幣立神宮と大湯環状列石を結ぶラインと大山祇神社、サムハラ神社奥の宮、見延山とオリンポス山を結ぶライン

 ハドソン湾と三峯神社 奧宮を結ぶラインの近くに長井市の環状列石があり、ハドソン湾からの距離は8,371kmで、バールベックの8,300kmに比較的近い、ほぼかつての北緯10Φ(16.11度)にあります。ハドソン湾と三峯神社 奧宮を結ぶラインの近くには、天照皇大神を祀る三戸大神宮(さんのへだいじんぐう)(青森県三戸郡三戸町)、倉稲魂命などを祀る羽黒神社(山形県西置賜郡白鷹町)、獅子舞で知られる山ノ神神社(山形県西置賜郡飯豊町)、木花佐久夜毘売命を祀る産泰神社(群馬県前橋市)、御室山(御室ヶ獄)を神体山とする武蔵国二宮 金鑚神社(かなさなじんじゃ)(埼玉県児玉郡神川町)などがあります(図13)。

図13 ハドソン湾と三峯神社 奧宮を結ぶラインと三戸大神宮(青森県三戸郡三戸町)、羽黒神社(山形県西置賜郡白鷹町)、環状列石()、山ノ神神社(山形県西置賜郡飯豊町)、産泰神社(群馬県前橋市)、武蔵国二宮 金鑚神社(埼玉県児玉郡神川町)

 図13の環状列石(長井市)と三峯神社 奧宮を結ぶラインと、三峯神社 奧宮と沖の白石を結ぶライン、沖の白石と環状列石を結ぶラインで三角形を描くと、三峯神社 奧宮とオリンポス山を結ぶラインは、沖の白石と環状列石(長井市)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図14)。これらのラインの近くには、甲斐駒ケ岳、美濃國分寺櫻山八幡宮(高山市)、戸隠山、高龍神社(長岡市)があります(図14)。

図14 三峯神社 奧宮と沖の白石を結ぶラインと甲斐駒ケ岳、美濃國分寺、沖の白石と環状列石(長井市)を結ぶラインと櫻山八幡宮、戸隠山、高龍神社、三峯神社 奧宮とオリンポス山を結ぶライン

 三峯神社 奧宮とロドス島を結ぶラインは信濃国分寺を通り、環状列石(長井市)と豊受大神宮(外宮)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図15)。これらのラインの近くには、武田神社(山梨県甲府市)、恵那神社(岐阜県中津川市)、布引山 釈尊寺(布引観音)(長野県小諸市)、御神楽岳、小鹿神社(埼玉県秩父郡小鹿野町)があります(図15)。

図15 三峯神社 奧宮と豊受大神宮(外宮)を結ぶラインと武田神社、豊受大神宮(外宮)と環状列石(長井市)を結ぶラインと恵那神社、布引観音、御神楽岳、環状列石(長井市)と三峯神社 奧宮を結ぶラインと小鹿神社、三峯神社 奧宮とロドス島を結ぶラインと信濃国分寺

 ハドソン湾と上野原遺跡を結ぶラインの近くには、大麻山神社熊野大権現(島根県鹿足郡吉賀町)、西叡山 高山寺(大分県豊後高田市)、幣立神宮、高千穂峰などがあります(図16)。ハドソン湾から上野原遺跡までの距離は9,324kmで、ハドソン湾からアブ・シンベル神殿までの9,259kmに比較的近い距離です。

図16 ハドソン湾と上野原遺跡を結ぶラインと大麻山神社、熊野大権現、西叡山 高山寺、幣立神宮、高千穂峰

 図16のラインの西叡山 高山寺周辺には、ストーンサークルのある猪群山(豊後高田市)や米神山(宇佐市)があり、杵築市山香町には下山環状列石があります(図17)。ハドソン湾から下山環状列石までの距離は9,123kmで、ハドソン湾からアスワンまでの距離9,144kmとほぼ一致します。

図17 図16のラインと猪群山、西叡山 高山寺、下山環状列石、米神山、宇佐神宮

 ハドソン湾と札幌市にある藻岩山を結ぶラインの延長線は、松平東照宮に近い猿田毘古神(猿田彦神)、塩椎神(しおつちのかみ)を祀る六所神社(愛知県豊田市坂上町)の近くに到達します(図18、19)。藻岩山は、アイヌ語で「インカルシペ(インカルシュペ)」(いつも登って見張りをするところ)と呼ばれ、また、アイヌ民族の聖地で、尊い神の山でした。

図18 ハドソン湾と藻岩山を結ぶラインの延長線と六所神社
図19 ハドソン湾と六所神社を結ぶラインと藻岩山(Google Earth 使用)

 藻岩山と六所神社を結ぶラインの近くには、新潟県の春日神社(上越市春日)、戸隠神社 中社(長野市)、穂高神社(安曇野市)、御嶽神社 若宮(木曽郡木曽町三岳)などがあります(図20)。天岩戸神話の舞台である戸隠山のふもとにある戸隠神社には、地主神として、水と豊作の大神の九頭龍大神を祀っています。

図20 藻岩山と六所神社を結ぶラインと春日神社、戸隠神社 中社、穂高神社、御嶽神社 若宮

 猿田彦神は、天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり、道祖神と同一視され、全国各地で塞の神・道祖神として祀られているようです。岩田氏は、王と王妃が手をつないだ古代シュメールの塑像(写真1左)と長野県にある道祖神は、夫婦の配置や手の位置などがまったく同じモチーフであることを指摘しています2)。安曇野市の穂高(図21)には夫婦道祖神が多いことで知られていますが、上田市の塩田平(図21)にも夫婦道祖神があります(写真1右)。

写真1 左:古代シュメールの塑像(出典:「消えたシュメール王朝と古代日本の謎」学習研究社)2)、右:長野県上田市の塩田平(図21)にある道祖神(出典:「塩田平の文化財-道祖神-」https://shioda-machidukuri.jp/705
図21 図20のラインと穂高(安曇野市)、穂高神社、塩田平(上田市)、信濃国分寺

 塩田平周辺には、古来の太陽信仰に関係するとみられる信濃国分寺を通るレイラインが存在するとされ、2020年にこの地域一帯が「日本遺産」に認定されています。穂高岳榛名山を結ぶラインのほぼ中央に信濃国分寺があり、榛名山と穂高神社 奥宮を結ぶラインの近くに生島足島神社北向観音堂(別所温泉)があります(図22)。

図22 穂高岳と榛名山を結ぶラインと穂高神社、信濃国分寺、榛名山と穂高神社 奥宮を結ぶラインと生島足島神社、北向観音堂

 山形県長井市の環状列石と剣山を結ぶラインは、貴船神社 奥宮瓊瓊杵尊が降臨した「高千穂峰」と推定される摩耶山伊弉諾神宮の近くを通ります(図23)。摩耶山周辺の神戸市には、多くの猿田彦神社(神戸市兵庫区灘区須磨区垂水区)があります(図24)。剣山山頂には一等三角点、摩耶山山頂には三等三角点が設置されています。三保松原と剣山を結ぶラインの近くには丹生川上神社や丹生都比売神社があり、三保松原とオリンポス山を結ぶラインは、御嶽神社 里宮(王滝口)、飛騨一宮 水無神社などの近くを通り、環状列石と剣山を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図23)。

図23 三保松原と剣山を結ぶラインと丹生川上神社上社、丹生都比売神社、剣山と環状列石(山形県長井市)を結ぶラインと伊弉諾神宮、摩耶山、貴船神社 奥宮、三保松原とオリンポス山を結ぶラインと御嶽神社 里宮(王滝口)、飛騨一宮 水無神社
図24 図23のラインと摩耶山、猿田彦神社(神戸市兵庫区灘区須磨区垂水区

 猿田彦命は、猿田彦大神を祀る神社の総本社とされる椿大神社(つばきおおかみやしろ)(三重県鈴鹿市)にも祀られていて、社伝によれば、垂仁天皇27年、倭姫命に下った神託により、猿田彦大神の墳墓の近くに「道別大神の社」として社殿が造営されたのを創始とするようです。猿田毘古神のY染色体ハプログループは、縄文系の日本固有種であるC1a1系統のようです。椿大神社とギョベクリ・テペを結ぶラインは椿大神社奥宮と真名井神社(籠神社奥宮)の近くを通ります(図25)。眞名井神社の裏には古代の祭祀形態である磐座が鎮座し、縄文時代から神聖な地とされていたと推定されています。

図25 椿大神社とギョベクリ・テペを結ぶラインと椿大神社奥宮、真名井神社(籠神社奥宮)

 フリーの研究者、化学者、コンピューター科学者のアントニオ・ザモラは、2017年に発表した氷河氷・衝突仮説で、ミシガン州のサギノー湾は12,800年前にヤンガードリアス彗星の破片の一つによって形成されたと主張しています3)。ジェッダとサギノー湾を結ぶライン上にカノープスの遺跡などが見つかったアブキール湾があり、このラインは、エジプトのメンフィス、クレタ島のラト、ギリシャのアルゴス、スイスのベルン、フランスのパリなどの近くを通ります(図26)。ベルンの市名は、伝承によると熊(独: Bär)に由来し、基礎自治体章は熊ですが、片方の前足を挙げた形は、グリフィンに似ているので、八咫烏の基になったと推定される黒いグリフィンと関係があるかもしれません。パリの語源はParisii(パリシイ)で、ローマ人が入ってくる以前からの先住民であるケルト系部族の、ローマ側からの呼称のようです。

図26 ジェッダとサギノー湾を結ぶラインとメンフィス、アブキール湾、ラト、アルゴス、ベルン、パリ

 サギノー湾の東側に、古代のペトログリフが描かれた遺跡のある観光名所「サニラック・ペトログライフズ・ヒストリック州立公園」があります(図27)。2007年に、ノースウェスタンミシガン大学のマーク・ホリー教授(水中考古学)は、ミシガン湖の底で、約1万年前に絶滅したマストドンの姿が彫刻された丸石と、ストーンヘンジに似た方法で配置された一連の巨石を発見したと報告しています。

図27 サギノー湾とサニラック・ペトログライフズ・ヒストリック州立公園

 世界文化遺産として1986年に登録されたイギリス南部のソールズベリーから北西に13km程に位置するストーンヘンジは、古代ブリトン人により、紀元前3000年から紀元前2000年にかけて、数回の段階を経て建造されたと推定されています4)。ストーンヘンジを構成する立石と穴には、多くの天文学的方位が隠されていて、トリリトン馬蹄形に配置された最大の巨石は50トンの重さがあります4)。ストーンヘンジは、サントリーニ島のティラ遺跡とサギノー湾を結ぶラインと、ハドソン湾とイタリアのシチリア島北西部に位置するパレルモを結ぶラインとの交点の近くにあります(図28)。パレルモの基礎はフェニキア人によって築かれたといわれています。

図28 ティラ遺跡とサギノー湾を結ぶライン、ハドソン湾とパレルモを結ぶラインとストーンヘンジ

 伊吹山と須賀神社を結ぶレイラインは神武天皇社を通りますが、神武天皇社とサギノー湾を結ぶラインは、神武天皇陵、伊吹山、九頭竜湖、佐渡金山の近くを通ります(図29)。

図29 神武天皇社とサギノー湾を結ぶラインと神武天皇陵、伊吹山、九頭竜湖、佐渡金山

 豊受大神宮(外宮)とサギノー湾を結ぶラインの近くには、善光寺彌彦神社鳥海山大物忌神社(山形県飽海郡遊佐町)、大湯環状列石があります(図30)。

図30 豊受大神宮とサギノー湾を結ぶラインと善光寺、彌彦神社、鳥海山大物忌神社、大湯環状列石

 上野原遺跡とサギノー湾を結ぶラインの近くには、霧島神宮山の神神社(宮崎県小林市)、木下磨崖仏(大分県豊後大野市)、大分県大分市寒田にある神功皇后所縁の豊後一ノ宮 西寒多神社(ささむたじんじゃ)、「鏡岩」を御神体とする志都岩屋神社(島根県邑智郡邑南町岩屋)、『出雲風土記』にもあり、古来須佐之男命の本宮とされた出雲市佐田町須佐の須佐神社(須佐大宮)、須賀神社(松江市秋鹿町)、三島神社(女島神社)(松江市魚瀬町)などがあります(図31)。

図31 上野原遺跡とサギノー湾を結ぶラインと、霧島神宮、山の神神社(宮崎県小林市)、木下摩崖仏(豊後大野市)、西寒多神社(大分市)、志都岩屋神社(島根県邑智郡)、須佐神社(出雲市)、須賀神社(松江市)、三島神社(松江市)

 図31のラインは、霧島神宮古宮跡(こぐうし)の近くも通ります(図32)。古宮址は、高千穂河原にある霧島神宮の跡地で、現在は、天孫降臨神籬斎場(てんそんこうりんひもろぎさいじょう)があり、霧島神宮による祭事が行われています。霧島神宮高千穂峰が天孫降臨の伝承地とされることから、現在は日向三代にまつわる神々が祀られていますが、元々は高千穂峰そのものを信仰の対象とする山岳信仰から始まった神社であると考えられています。

図32 図31のラインと霧島神宮、霧島神宮古宮跡、山の神神社

 武甲山(妙見山)とハドソン湾を結ぶラインは、男体山、堂森善光寺(山形県米沢市)、九戸神社(岩手県九戸郡九戸村)、撫島神社(青森県八戸市)の近くを通り、サギノー湾と武甲山を結ぶラインは、崎山貝塚縄文の森ミュージアム金沢山大勝院(岩手県上閉伊郡大槌町)、大嶽山興福寺(宮城県登米市)、大高山神社(宮城県柴田郡大河原町)、八海山神社(栃木県矢板市)の近くを通ります(図33)。

図33 武甲山とハドソン湾を結ぶラインと男体山、堂森善光寺、九戸神社、撫島神社 サギノー湾と武甲山を結ぶラインと崎山貝塚縄文の森ミュージアム、金沢山大勝院、興福寺、大高山神社、八海山神社

 ハドソン湾と10,000km離れた沖縄市を結ぶラインは、高祖山の西麓に鎮座し、彦火々出見命、玉依姫命、息長足姫命(神功皇后)を祀る高祖神社(たかすじんじゃ)(福岡県糸島市)、日本三大稲荷のひとつの祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市)の近くを通り、沖縄市とサギノー湾を結ぶラインは、大汝牟遅神社(おおむなちじんじゃ)(鹿児島県日置市)、肥後一之宮 阿蘇神社(熊本県阿蘇市)、市寸島比売命を祀る厳嶋神社(山口県周南市)、大神ヶ嶽神社(だいじんがだけじんじゃ)(島根県益田市)、八咫烏の伝説が残っている石見國二之宮 多鳩神社(たばとじんじゃ)(島根県江津市)の近くを通ります(図34)。多鳩神社は、積羽八重事代主命(エビス様)を祀っています。

図34 ハドソン湾と沖縄市を結ぶラインと高祖神社(福岡県糸島市)、祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市)、沖縄市とサギノー湾を結ぶラインと大汝牟遅神社(鹿児島県日置市)、阿蘇神社(熊本県阿蘇市)、厳嶋神社(山口県周南市)、大神ヶ嶽神社(島根県益田市)、多鳩神社(島根県江津市)

 ヨーロッパと日本で、北アメリカのハドソン湾とサギノー湾という共通のレイラインの指標を用いていることから、地球レベルで同じ文化があったと推定されます。南米のインカ帝国で用いられていた文字によらない記録方法であるキープは、「結ぶ」あるいは「結び目」を意味し、租税管理や国勢調査などの統計的記述に用いられました。結縄(けつじょう)は、中国の古典籍にも習俗が伝わっていますが、琉球諸島、アイヌ社会、日本内地でも類例が報告されているようです。また、ヨーロッパでも、結び目はアルファベットとの対応関係が知られているようです。古代には、ストーンサークルで観測した情報を結縄によって記録していたのではないかと思われます。

 経度を測定するには、2地点で同時に月食や日食を観測する必要があり、ストーンサークルは見晴らしの良い場所にあることから、鏡を用いた光による情報伝達なども行われていたと思われます。2地点の日食や月食の開始時間の差の測定は、測定者が星の動きから感覚的に1秒単位で測定できるようにあらかじめ訓練されていたのではないかと思われます。距離の単位は、紀元前221年に秦の始皇帝が1歩を6尺、一里を300歩に定めていますが、古代には、歩数によりある程度正確な距離の測定できたと思われます。

 1800年から1816年まで、17年をかけて『大日本沿海輿地全図』を完成させた伊能忠敬の距離の計算方法は、歩いた歩数をもとにしていて、歩幅は69cmということが分かっています。伊能忠敬は、1745年に、上総国山辺郡小関村(現・千葉県山武郡九十九里町小関)の名主・小関五郎左衛門家に生まれました。小関という苗字が最も多い市町村は、千葉県長生郡一宮町で、玉依姫命を祀る上総国一宮 玉前神社(たまさきじんじゃ)があります。伊能忠敬は、古代豪族の尾張氏の後裔かもしれません。

 玉前神社と出雲大社を結ぶレイライン御来光の道)は、富士山、身延山伊吹山元伊勢(福知山・皇大神社)、伯耆富士や出雲富士とも呼ばれる鳥取県の大山などを通ることが知られています。玉前神社と藻岩山を結ぶラインは、大高山神社イタコの口寄せも行われる青森県むつ市の恐山にある恐山菩提寺の近くを通ります(図35)。玉前神社とクレタ島の古代都市ラトを結ぶラインは、武蔵国一之宮 氷川神社や群馬県高崎市の榛名神社の近くを通り、出雲大社と藻岩山を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図35、36)。もしかすると、玉依姫命(姥津媛、台与)をギリシア神話の女神レトに例えて、姥津媛の子の彦坐王(日子坐王)をレトの子であるアポロンに例えているのかもしれません。元々は、姥津姫はイシス、彦坐王はホルス(天空神・太陽神)に例えられていたと推定されるので、環状列石の指標が、メンフィスからオリンポス山に移ったことと関係がありそうです。

図35 玉前神社と出雲大社を結ぶラインと身延山、伊吹山、玉前神社と藻岩山を結ぶラインと大高山神社、大湯環状列石、恐山菩提寺、玉前神社とクレタ島のラトを結ぶラインと氷川神社、榛名神社
図36 図35のラインと玉前神社とラトを結ぶライン

 恐山菩提寺の創建年代は不詳ですが、寺伝によれば862年天台宗の僧円仁がこの地を訪れ創建したと伝えられ、その後、1522年曹洞宗の僧聚覚が円通寺を建立して恐山菩提寺を中興しました。恐山は元々は地蔵信仰の地で、古代人は、恐山の賽の河原の聖石のまわりに、亡くなって間もない死者の魂が集まると考え、これが地蔵信仰と結びついたと考えられています5)。柳田国男氏は、仏教が伝わる前の日本人は死者の霊魂が帰っていく方向は西北であると考えていたことを指摘しています5)。恐山展望台のある矢立山とオリンポス山を結ぶライン上に、恐山菩提寺や地蔵山があります(図37)。恐山の主峰である地蔵山が、古代人の聖山でレイラインの指標だったと推定されます。

図37 恐山展望台(矢立山)とオリンポス山を結ぶライン上と、恐山菩提寺、地蔵山

 修験道では、北極星のある北方が聖なる空間とされ、出羽三山や戸隠山のような聖山を北方にひかえる地に道場が造られていますが、地蔵山の南にある五智山には、五智如来といわれる五体の石仏が祀られています。武光 誠氏は、古代人が山岳信仰を生み出したところが、のちに中国の五行説に基づく風水の考えを取り入れた修験道と結びついたとしています5)。

 北海道積丹半島の余市町にあるフゴッペ洞窟の壁には、1,500年から2,000年前のものと推定される絵が刻まれています6)。フゴッペ洞窟の近くには、西崎山環状列石(余市町栄町)、忍路環状列石(小樽市忍路)、地鎮山環状列石(小樽市忍路)があります(図38)。

図38 フゴッペ洞窟(余市町栄町)、西崎山環状列石(余市町栄町)、忍路環状列石(小樽市忍路)、地鎮山環状列石(小樽市忍路)

 利尻山(利尻富士)や蝦夷富士とも称される羊蹄山(ようていざん)などを通るレイラインが、フゴッペ洞窟や岩木山を通ることが知られていますが、利尻山と複数のレイラインの拠点となっている神津島を結ぶラインは、このラインとほぼ一致し、大型の環状列石が見つかっている鷲ノ木遺跡(北海道茅部郡森町)、亀ヶ岡石器時代遺跡鳥海山大物忌神社 山頂本殿、環状列石(山形県長井市)、日光東照宮(栃木県日光市)の近くを通ります(図39)。日光東照宮と神津島を結ぶラインの近くには、5世紀後半から7世紀中頃にかけて築かれた埼玉古墳群(行田市)や、田端環状積石遺構(町田市)、仁徳天皇が創建し徳川家康によって復興された平塚八幡宮(平塚市)があります(図40)。

図39 利尻山(利尻富士)と神津島を結ぶラインとフゴッペ洞窟、羊蹄山、鷲ノ木遺跡、亀ヶ岡石器時代遺跡、岩木山、鳥海山大物忌神社 山頂本殿、環状列石(山形県長井市)、日光東照宮
図40 日光東照宮と神津島を結ぶラインと埼玉古墳群、田端環状積石遺構、平塚八幡宮

 瑜伽山と黒曜石で知られる神津島を結ぶラインは、岩上神社(淡路市)の神籬石(ひもろぎいし)、丹生川上神社 中社、皇大神宮別宮 瀧原宮の近くを通ります(図41)。瑜伽山は、神津島ともレイラインでつながっていることから、縄文時代以前から聖地だったと推定されます。神津島は安房神社とつながり、安房神社阿波の忌部一族が建てたと伝わるので、丹生氏と忌部氏は同族と推定されます。

図41 瑜伽山と神津島を結ぶラインと神籬石(淡路市)、丹生川上神社 中社、皇大神宮別宮 瀧原宮

 フゴッペ洞窟と瑜伽山を結ぶラインは、神津島とギョベクリ・テペを結ぶラインとほぼ直角に交差し、これらのラインは、三川山 蔵王大権現社(兵庫県美方郡香美町)や事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)本宮(静岡県掛川市)、六所神社(静岡県浜松市)、大虫神社の近くを通ります(図42)。丹生川上神社や大虫神社は、丹生氏と関係があるので、旧石器時代から古墳時代まで文化的には継続していたと考えられます。また、ライン上に日光東照宮があることから、徳川家康が丹生氏と血縁関係があると推定されることと整合します。

図42 図41のラインと、フゴッペ洞窟と神津島を結ぶライン、瑜伽山とフゴッペ洞窟を結ぶラインと三川山 蔵王大権現社、神津島とギョベクリ・テペを結ぶラインと事任八幡宮本宮、六所神社、大虫神社

 『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』によると、亀ヶ岡人は4,000年前の天変地異によって全滅したとされています6)。北海道は亀が岡文化圏に含まれ、アイヌの叙事詩『ユーカラ』に登場する文化神である「オキクルミカムイ」が「遮光器土偶」の正体として有力視されているようです。オキクルミカムイには、遮光器土偶と同じように胸や裾に唐草模様の印刻が施されているので、並木伸一郎氏は、遮光器土偶はオキクルミカムイをモチーフにしたのではないかと記しています6)。亀ヶ岡石器時代遺跡は神津島とつながり、神津島はギョベクリ・テペとつながっています(図42)。オキクルミカムイの胸にはV字の浮き彫りがあり、ギョベクリ・テペ出土の石像にも胸にV字の浮き彫りがあるので、もしかすると、オキクルミカムイは、ギョベクリ・テペの石像とも同じ神かもしれません。

 神津島日前神宮・國懸神宮は、同緯度(北緯34度13分)にあり、神津島と環状列石(山形県長井市)と日前神宮・國懸神宮をラインで結び三角形を描くと、環状列石(山形県長井市)と日前神宮・國懸神宮を結ぶラインと神津島とオリンポス山を結ぶラインはほぼ直角に交差し、神津島とオリンポス山を結ぶラインは、岩屋岩蔭遺跡(金山巨石群)や大日ヶ岳の近くを通ります(図43)。

図43 神津島と環状列石(山形県長井市)と日前神宮・國懸神宮を結ぶライン、神津島とオリンポス山を結ぶラインと岩屋岩蔭遺跡、大日ヶ岳

 縄文人の下半身の骨格は丈夫で、健脚だったと推定されています。1万年以上という時間を考えると、聖地が直線で結ばれているのは、最短距離で結ぶラインにある山や岩などを目印にしたり、場合によっては加工を行って目印としたのではないかと思われます。弥生人は、縄文人の文化を受け継ぎ、神社などを建立し、レイラインをさらに発展させたのではないかと思われます。

文献
1)コリン・ウィルソン、ランド・フレマス 松田和也(訳) 2002 「アトランティス・ブループリント」 学習研究社
2)岩田 明 2004 「消えたシュメール王朝と古代日本の謎」 学習研究社
3)グラハム・ハンコック 大地舜・榊原美奈子/訳 2020 「人類前史(下)失われた文明の鍵はアメリカ大陸にあった」 双葉社
4)志村史夫 2023 「古代世界の超技術」 ブルーバックス 講談社
5)武光 誠 2003 「「鬼と魔」で読む日本古代史」 PHP文庫
6)並木伸一郎 2023 「日本史 書き残された不思議な話」 三笠文庫