ミツバウツギ

曾祖父の代から伝わる、友成五十八代孫の銘が刻まれた備前刀が、古代史に興味を持つきっかけ…

ミツバウツギ

曾祖父の代から伝わる、友成五十八代孫の銘が刻まれた備前刀が、古代史に興味を持つきっかけになりました。農学博士、二級知的財産管理技能士。考古学的、分子生物学的資料、文献、系図、伝承、ブログ、レイライン、現地調査などの事実関係や推論の整合性から真実を求める方法を試みました。

マガジン

  • 古代オリエント・エーゲ文明、アトランティスと縄文

    古代オリエント・エーゲ文明と縄文の関係を、遺跡、文化、レイラインなどから、人の移動も含めて推定し、アトランティスとの関係も推定しました。

  • 古代天皇と丹生氏

    古代天皇系図と丹生氏の古代の系図に類似性があり、古代天皇と丹生氏系図にある人名との関係を推定しました。

  • 聖徳太子と上宮王家

    聖徳太子は上宮王家の天皇や皇子と推定され、初代は第10代崇神天皇で、厩戸皇子は第32代崇峻天皇と推定されました。

  • ヤマトタケルと八幡神

    ヤマトタケルは、やまとのくに(倭国、邪馬台国)の大王(第8代孝元天皇)を初めとする複数の人物と推定され、倭建命は八幡神となったと推定されました。

  • オリンポス山、ギョベクリ・テペと日本の山、神社、古墳

    オリンポス山やギョベクリ・テペと国内の山、神社、古墳を結ぶレイラインから、古墳の被葬者を推定しました。

最近の記事

温故知新(48)音羽古墳群 聖徳太子 神八井耳命 天足彦国押人命(天押帯日子命 和邇日子押人命) 神皇産霊尊(神産巣日神 神魂命)

 モロッコのアラビア語での正式国名は、アル=マムラカ・アル=マグリビーヤで、「日の没する地の王国」を意味しているのだそうです。聖徳太子が遣隋使に託して中国の隋の煬帝に宛てた国書に記された「日出處天子致書日沒處天子 無恙云云(日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや)」が連想されます。  モロッコのマラケシュの近くにあるクサール・ヌアイラと豊受姫命と推定される大宜都比売命を祀る上一宮大粟神社(徳島県名西郡神山町)を結ぶラインの近くには、三島神社(女島神社)(島根

    • 温故知新(47)アトランティス 高天原 エデン タルシーン神殿 アルメンドレスのクロムレック ジェベル・イルード遺跡 岩宿遺跡 縄文

       「神の国」を意味するモロッコのマラケシュとロドス島を結ぶライン上には、マルタ島のタルシーン神殿やアトランティスと推定されているサントリーニ島の古代ティラ遺跡があります(図1)。タルシーン神殿は、紀元前3,600~2,500年に築かれた世界遺産指定の巨石神殿群にあり、バレッタにある国立考古学博物館には、渦巻き模様のある石材が展示されています。  ギョベクリ・テペとマラケシュを結ぶラインの近くには、チャタル・ヒュユク、イカリア島、シラクーサがあります(図2)。2008年に、紀

      • 温故知新(46)箸墓古墳 武当山 二里頭遺跡 邪馬嘉国 夏王朝 馬家窯文化 秦始皇帝 夏姫(夏太后) 三星堆遺跡 馬王堆漢墓 八大龍王 シヴァ神 ロータル遺跡 ミノア 燕国

         老子は道教を創立させた人物と評され、『老子道徳経』は道教の根本または源泉と関連づけられています。老子の履歴について司馬遷(紀元前145年 - 紀元前86年)が紀元前100年頃に著した『史記』によると、老子は、姓は「李」、名は「耳」、字は「聃」(または「伯陽」)で、楚の苦県、厲郷の曲仁里という場所の出身としています。しかし、『史記』は司馬遷の死後も加筆・修正が盛んに試みられ、一説には「仁(儒教の思想)を曲げる(反対する)」という意味を含ませ「曲仁」という場所の出身と唐代の道家

        • 温故知新(45)大和三山(天香久山 畝傍山 耳成山) 藤原宮 摩耶山 三輪山 忌部山 益田岩船 亀石 酒船石 矢田の大石 ヤマトタケル 妹背山 アルテミス神殿

           大和三山(やまとさんざん)とは、橿原市に位置する天香久山(あまのかぐやま、あめのかぐやま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)の三山をいいます。天香山命(あめのかぐやまのみこと)は、大国主命(倭建命 孝元天皇)と推定されるので、天香久山は大国主命(倭建命 孝元天皇)を象徴していると考えられます。大和三山が、瑜伽山(由加山)や豊受大神宮(外宮)とほぼ同緯度にあるのは、大国主命と豊受姫命の関係を示していると推定されます。  大和三山に囲まれた平野には、藤原宮(ふじわ

        温故知新(48)音羽古墳群 聖徳太子 神八井耳命 天足彦国押人命(天押帯日子命 和邇日子押人命) 神皇産霊尊(神産巣日神 神魂命)

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        • 古代オリエント・エーゲ文明、アトランティスと縄文
          10本
        • 古代天皇と丹生氏
          5本
        • 聖徳太子と上宮王家
          3本
        • ヤマトタケルと八幡神
          4本
        • オリンポス山、ギョベクリ・テペと日本の山、神社、古墳
          12本
        • 邪馬台国と高天原
          4本

        記事

          温故知新(44)三内丸山遺跡 デーノタメ遺跡 遮光器土偶 縄文人 ギョベクリ・テペ 棚畑遺跡 真脇遺跡 伊川津貝塚遺跡 富士山 マラケシュ

           三峯神社奥宮と、藻岩山を結ぶラインの近くには、新潟県東蒲原郡阿賀町にある御神楽岳、伊勢堂岱遺跡、三内丸山遺跡、大平山元遺跡などがあります(図1)。伊勢堂岱遺跡(北秋田市)は、世界文化遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の中で一番南西に位置する遺跡で、三内丸山遺跡(青森市)は、縄文時代前期中頃から中期末葉(約5900-4200年前)の大規模集落跡です。青森県東津軽郡外ヶ浜町の大平山元遺跡は、旧石器時代の日本各地の石器や、15,000年以上前の土器片も見つかり、定住がはじまったこ

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          温故知新(43)東国三社(鹿島神宮 香取神宮 息栖神社) オリンポス山 神崎神社 笠間稲荷神社 大戸神社 マラケシュ 少彦名命(蛭子神 恵比寿)

           鹿島神宮、香取神宮、息栖神社(いきすじんじゃ)は、関東地方東部の利根川下流域に鎮座する神社で東国三社と呼ばれます。古代、この付近には「香取海(かとりのうみ)」という内海が広がっていました。鹿島神宮の創建については、鹿島神宮の由緒『鹿島宮社例伝記』(鎌倉時代)や古文書(応永32年(1425年)の目安)によると、神武天皇元年に初めて宮柱を建てたといわれ、神宮側ではこの神武天皇元年を創建年としています。『常陸国風土記』では、「香島郡」の名称は「香島の天の大神」(鹿島神宮を指す)に

          温故知新(43)東国三社(鹿島神宮 香取神宮 息栖神社) オリンポス山 神崎神社 笠間稲荷神社 大戸神社 マラケシュ 少彦名命(蛭子神 恵比寿)

          温故知新(42)日高見国 常世の国 少彦名命(少彦男心命 事代主命) 姫塚古墳 阿波山 筑波山 豊城入彦命 彦狭島命 伊都許利命 赤城山

           出雲大社と茨城県ひたちなか市にある酒列磯前神社(さかつらいそさきじんじゃ)(写真1)を結ぶラインの近くには、浦嶋神社(京都府与謝郡伊根町)、諏訪大社 下社 秋宮(長野県諏訪郡下諏訪町)、常陸国出雲大社(茨城県笠間市)があり、酒列磯前神社と日前・國懸神宮を結ぶラインの近くには、武蔵御嶽神社(東京都青梅市)や松平東照宮(愛知県豊田市)があります(図1)。酒列磯前神社は、主祭神が少彦名命で、配祀神が大国主命ですが、武蔵御嶽神社は、社伝によると、創建は崇神天皇7年で、武渟川別命が大

          温故知新(42)日高見国 常世の国 少彦名命(少彦男心命 事代主命) 姫塚古墳 阿波山 筑波山 豊城入彦命 彦狭島命 伊都許利命 赤城山

          温故知新(41)鬼ノ城 邪馬台国 品陀真若王(出雲建 温羅) 神功皇后(穴門武媛命 阿曽媛) 安仁神社 美和神社 大阪城 岡山城 大廻小廻山城 名古屋城 備中松山城

           温羅伝承で知られる岡山県総社市の鬼城山(きのじょうざん)に遺る鬼ノ城(きのじょう)(写真トップ、1)は、神籠石式山城(こうごいししきやまじろ)で、土器などから7世紀の後半に築かれたものと推定されていますが、鬼ノ城の建造時期については、古代史学界でも議論があるようです。  城壁は土を突き固めた土塁(版築(はんちく)土塁)で作られ、高さは6メートル、上幅は6メートルあり、城の周囲を2800メートルとりまいています。古代の「東海道甲斐路」とみられる幅6メートルか9メートルの道路

          温故知新(41)鬼ノ城 邪馬台国 品陀真若王(出雲建 温羅) 神功皇后(穴門武媛命 阿曽媛) 安仁神社 美和神社 大阪城 岡山城 大廻小廻山城 名古屋城 備中松山城

          温故知新(40)ロドス島 伊吹山 岩屋岩蔭遺跡 沖の白石 平出遺跡 大平山元遺跡 上野原遺跡 サムハラ神社 空海 フルリ サモトラケのニケ 前方後円墳 千手観音

           ロドス島はヨーロッパ、中東、アフリカを結ぶ要衝に当たり、建築的、文化的、言語的に多くの異なる特色をもっていて、島には紀元前4000年頃には人が住んでいたと推測されています。 ロドス島で最大の都市であるロドスの街は、古代から港湾都市として栄え、世界の七不思議の一つの「ロドス島の巨像」があったことでも知られています。エラトステネスの前にアレクサンドリア図書館の館長だった「ロドスのアポローニオス」は、ロドス島の出身ではありませんが、イアーソーンとアルゴナウタイの航海の物語である『

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          温故知新(39)ピラミッド レイライン スンダランド 沖縄 台湾 グヌン・パダン アンコールワット チチェン・イッツァ アグアダ・フェニックス遺跡 テオティワカン

           岐阜県揖斐郡揖斐川町と福井県今立郡池田町との境界上にある冠山は揖斐川及び九頭竜川支流の足羽川の源流となる山で、冠山の名は、山頂部に露出した岩の形が烏帽子(えぼし)に似ていることに由来します。冠山と「太古日本のピラミッド」説のある葦嶽山(広島県庄原市)を結ぶライン上には、古くは「木山牛頭天王」と呼ばれた木山神社(岡山県真庭市)があり、ラインの近くには元伊勢内宮皇大神社や美作國一之宮中山神社があります(図1)。  冠山と葦嶽山を結ぶラインは、孝元天皇の陵墓と推定される備前車塚

          温故知新(39)ピラミッド レイライン スンダランド 沖縄 台湾 グヌン・パダン アンコールワット チチェン・イッツァ アグアダ・フェニックス遺跡 テオティワカン

          温故知新(38)レイライン ストーンサークル 大湯環状列石 出羽三山 道祖神 猿田彦命(猿田毘古神) シュメール アスワン ハドソン湾 サギノー湾

           イギリスの考古学者アルフレッド・ワトキンスは、1921年にストーンサークルや古代の石積み、教会といった古代史跡が一直線上に並んでいることを発見し、この直線を「レイライン(Ley Line)」と名付けました。日本のストーンサークルについてもレイラインとの関係が考察されていますが、主たるストーンサークルを比較すると、時代と共に列島を北上しているようです。  秋田県鹿角市にある大湯環状列石(北緯40度16分)は、オリンポス山(北緯40度05分)とほぼ同緯度にあり、大湯環状列石と

          温故知新(38)レイライン ストーンサークル 大湯環状列石 出羽三山 道祖神 猿田彦命(猿田毘古神) シュメール アスワン ハドソン湾 サギノー湾

          温故知新(37)神武天皇社 橿原宮 豊受大神宮 モン・サン・ミシェル ジェッダ 敦煌莫高窟 ラス・ダシャン山 アブ・シンベル神殿 天橋立

           和珥氏の古墳と推定される雨の宮古墳群と神武天皇社(奈良県御所市柏原)を結ぶラインは白山比咩神社、沖の白石、天王山古墳(野洲市)、和珥氏の本拠地である天理市の東大寺山古墳の近くを通ります(図1)。天王山古墳は、6世紀初頭頃の前方後円墳で、ラインに沿って神武天皇社の方向を向いているようなので、和珥氏の古墳と思われます。神武天皇社の祭神は「神倭伊波礼毘古命」で、初代神武天皇の即位した場所であると言われています。『古事記』神武天皇段には「畝火の白檮原(かしはら)宮に坐しまして、天の

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          温故知新(36)榎本武揚 土方歳三 田中富三郎 竹久夢二 新井白石 雨森芳洲 渋沢栄一 朝河貫一 松下幸之助

           幕末から明治にかけて活躍した榎本武揚がいますが、須佐之男命を祀っていると推定される榎本神社と同じ名前の榎本姓の多くは紀伊をルーツとし、熊野権現の御師(おし)の家柄とされます。榎本姓の分布をみると市区町村では、三重県南牟婁郡御浜町(3.0%)、紀宝町(2.4%)、兵庫県南あわじ市(2.1%)が比較的多く、素鷲社の近くを通る熊野速玉大社とメンフィスを結ぶラインの近くに分布しています(図1)。榎本氏は、須佐之男命と関係があると推定されます。  榎本武揚と共に戊辰戦争で新政府軍と

          温故知新(36)榎本武揚 土方歳三 田中富三郎 竹久夢二 新井白石 雨森芳洲 渋沢栄一 朝河貫一 松下幸之助

          温故知新(35)明治天皇 源頼朝 織田信長 明智光秀 豊臣秀吉 徳川家康

           福井県小浜市の神宮寺は、若狭一宮 若狭彦神社の神願寺として成立しましたが、豊臣時代に寺領を没収され、さらに明治初期の廃仏毀釈によって衰微しました。神宮寺では、東大寺のお水取りに合わせて「お水送り」の儀式が行われます。東大寺の大仏の金メッキには秦氏が関わったとされ、大量の水銀が使用されたようです。神宮寺と畝傍山を結ぶ南北のライン上に、明治政府が京都遷都1100年を記念して建立した桓武天皇と孝明天皇を祀る平安神宮や、明治天皇陵があります(図1)。明治天皇陵は、豊臣秀吉の築いた伏

          温故知新(35)明治天皇 源頼朝 織田信長 明智光秀 豊臣秀吉 徳川家康

          温故知新(34)備前長船 友成 足利尊氏 新田義貞 赤松氏 小野氏 

           備前刀工の横山祐定(すけさだ)系図によれば、小野氏を祖とする横山氏の先祖は崇神天皇の6年に剣をうって献上し、その功によって位祿を賜り、第16代仁徳天皇の代に、湯桂郷(現在の瀬戸内市長船町)に勧請して、鍛冶の祖神としたのが、崇神天皇社といいます。長船から吉井川の上流10km程度に位置する奥吉原地区の辺谷製鉄遺跡などでは、6世紀後半の製鉄・鍛冶に関連する遺構・遺物が確認されています。靭負神社(崇神天皇社)にある天王社刀剣の森の松は、清和源氏の一流河内源氏義国流足利氏の尊氏がこの

          温故知新(34)備前長船 友成 足利尊氏 新田義貞 赤松氏 小野氏 

          温故知新(33)武蔵七党 横山党 丹党 謙信景光   

           平安時代後期から鎌倉時代にかけて、武蔵七党という同族的武士団が武蔵国を中心として近隣諸国にまで勢力を伸ばしていました。小野篁(おの の たかむら)の末裔を称する横山党や猪俣党などの他、野与、村山、丹、児玉、私市などの諸党があり、1185年(または1192年)に成立した鎌倉幕府の勢力の根幹をなしたといわれています1)。  東京都多摩市にある小野神社(おのじんじゃ)は、武蔵国一宮を称し、天下春命、瀬織津比咩命を祀っていますが、古くは小野氏祖の天押帯日子命を祀っていたという説が

          温故知新(33)武蔵七党 横山党 丹党 謙信景光