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次の景色

今年もあと僅か。毎年思う、一年てなんて早いんだろう。特に今年は‥なぁんてことは言わない。今年に限らず毎年年末には同じことを言ってるから。

思い返せばこの一年、私と私の家族にとっては変化の年だった。1月に実母が亡くなり、その2週間後には長女の結婚式、3月私がnoteを始めた頃長女夫婦が我が家の近くに家を建てることを決めた。夏に地鎮祭、棟上げ、そして11月末に完成して12月から住み始めた。なかなか慌ただしく、また忘れられない一年になった。

つい先日、久しぶりにばったり会ったママ友とちょっとだけ立ち話をした。そのママ友も娘2人、2人ともうちの子と同級生だ。お互い、年末年始暇だねぇ、ずっと家にいるしかないねぇ、なんて話して、ふと私にはコロナ禍じゃなくてもお正月に行く先が本当に無いことに気づいた。実家は母が亡くなったので、もう無い。母のお仏壇がある弟の家に行きたかったが、弟一家は年末から奥さんの実家に帰省するというので諦めた。奥さんのお母様もあまり健康ではない様子なので、遠く離れていれば心配もある。せっかくだからゆっくりしてくれば良い。うちの旦那さんの実家はうちから歩いてでも行ける距離なので、お正月にチラッと寄るくらいだ。母のいる実家で、上げ膳据え膳だった頃が懐かしい。

するとママ友が言った。「これからは、行くんじゃなくて待つ側になったんだよ。子どもが結婚したら今度は子どもが帰って来る場所になったんだから。」

おぉ、そうか。確かにそうだ。そうだよな。今さら気づくとは遅いが、そうそうそうだよ。てことは、これからはお正月でも上げ膳据え膳をしてもらうのではなく、してあげる側ってことだ。えー嫌だなあ。今までのようなゆっくりだらだら、何もせずとも食べ物が運ばれてくるお正月がよかったのに。もうそれも、私には無いのだ。淋しいなぁ。

ひとつだけ救いなのは、長女夫婦は近くに住んでいるので“実家に帰る”ことに特別感がないことだ。普段から、ちょっと寄ろうと思えばいつでも寄れる。夜、お風呂も済ませて夫婦2人で歩いて遊びにきたりすることもある。お正月だから、久しぶりに帰って来るからと言って、私が気合いを入れる必要は無い。

ふふふ。勝った。何にかは知らんが、とりあえずラッキーな感じ。
同時に、母のありがたさを噛み締める。妻になった時、母になった時、子どもが嫁いだ時。同じ立場になってみないと分からないことってある。この先も、まだいくつも、母と同じ立場になった時に、その時の母の想いに寄り添えるようになるんだなあと思えば、母を身近に感じられるような気がしてそれがまた楽しみでもある。次、母と同じ立場になった時の景色はどんなだろう。(孫?孫を抱く?今のところまだその気配は無い。)

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