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基幹産業肥大Ⅱ(忘れられる2030年宣言)

 自動車そのものの在り方についてだが、一般的に語られている事は事実でもあり、そうでもない。私達はそれを見極めなければならない。私達の考えが賢明でない場合、某国の様な政府によるEV施策に踊らされ、多額の出費と、紛然たる未来を味わう事になるかも知れないからである。

 今更ながら、少し前の話になるが2030年カーボンの撃滅確実とも受け止められる身勝手な宣言は、ひとつの目安ではあって決定された出来事ではない事は明白。そもそもそれが本当に可能なのか?この2022、2023年の現段階で見るならば、それはほぼ間違いなく不可能。一般的によく知られている様に、あまりにも脆弱すぎる電気インフラとインフラ整備概念がEVにとって致命的欠陥であるから。

 現行、化石燃料の場合、それはごく自然な液体注入で、すべてのエネルギー補給は完結していた。いわゆる単純な一本化された作業以外、他の選択肢は無かったのだが、電気の充電となるとそうはいかない。充電時間、充電間隔、充電温度、充電量、充電方法、充電タイミング、充電気候環境等、それは一辺倒ではいかず、単純作業とならない場合が多い。
 すべての人がコポコポと液体燃料をこぼさずに入れ込めば、すべて同じ作業で同じ結果にしかならないのが給油なのだが、給電の場合そうはいかない。しかも、現在鈍化しているEV販売台数から見て、その作業が電気自動車を運転するもののすべてに一般化し、浸透するのはいったい何時のことやら。この給電における困難性がEV普及の足かせとなっている事も事実だろう。自動車そのものの使用目的に変化はないが、走らせる為の取り扱い方が、化石燃料とは大きく異なっていて、あまり一般的ではないと言う事だ。

 さてこの先、ほんの数年前の宣言の通り、今のペース、わずか残り8年足らずで、EVオンリーとして浸透させる事が可能だと思っている人は少ないはず。ハードがその性能にまで至るのか、ハードがその環境を万全に作り出して行けるのか、気楽に、コポコポと燃料を入れる程にまで、充電作業が単純化されるのか。それは誰にも分らない。誰にも分らない事が後8年迄と限定されていたのが不思議である。
 それに、現在はハイブリッドを含むガソリン使用車が大半を占めているので、電気自動車も動かす事が出来ているにしか過ぎない。ガソリン車があるからこそ、電気自動車も存在出来ているのだ。所謂、現実態的には「共存による電気自動車の実現」と言う現実が稼働しているだけなのである。

 そもそもこれから先、この電気料高騰や、設備老朽化が進む脆弱な初期充電インフラ整備は一体どこが行うのだろうか。政府機関なのか、総合商社なのか、電気自動車製造会社なのか、いずれにしてもこれからの需要を考えると、なんらかの手を打ち、直ちに、速やかに加速させないと、当初の宣言時期である2030年にはとうてい間に合わない。仮に現状インフラで7割以上が電気自動車に代替えされたとすれば、充電渋滞が起こる事は必至。特に高速道路では電気自動車は死活問題。旅行等は気楽ではなくなる。旅先で、いつも、残り充電量を心配しなければならない。そして給電に時間がかかる。電気自動車の充電性能が向上すれば良いが、その性能も据え置きなら、それこそストレスと、ジレンマとの戦い。配電と充電のバランスがスムーズになるべく、電気自動車の効率も上がらなければならないし、インフラ性能や、インフラ整備も充足させなければならない。今の段階ではまだ電気自動車は実用的には幼稚園生。化石燃料車の様にオールマイティに成熟した存在ではないのだ。

 今後、性能向上と、整備内容がどれだけ実用的なものとして、その実力が伴ってくるのか。やはり、残りわずか8年余りでEV全、完全実用化にまで行けるとはとても思えない。EUヨーロッパ諸国では深刻な環境問題が露呈し、このあたりの事情が、十分な考察の元に確定されていない。勿論、日本とはすべての点で環境が異なっているとは思うが、特別に電気自動車使用環境が進んでいる地域は無いと思う。単に掲げられている2030年宣言が後押しし、電気自動車促進への掛け声となって、実態の無いシュプレヒコールの様に鳴り響いてるだけ。

 繰り返すが、世界的に2030年に完全EV化になるわけではないが、使用された蓄電池の廃棄問題等、後8年あまりでの法整備を進めるにはあまりにも現時点での動きが『それなり』にしか見えない。
 某巨大メーカーの電気自動車は、特に必要とされる「急速充電」の回数が1日2回に限定されている。これは蓄電池保護の為でもあるのだが、このような電気自動車現実が最先端である今、果たして、それが実用的なものだと言う事が可能なのであろうか。この世界的先端製品能力を、国内製造メーカーは、どの様に受け止めているのだろうか。またどのように乗り越えて行こうとしているのであろうか。実はあまり先の事は考えてはいないのかも知れない。
 2030年、全EV化提言は、もはや「決められていないもの」へと変えられている。電化による自動車そのものの変革の在り方は、まだまだ先の事だと感じるのは私だけだろうか。

 忘れられた発言の様に、2030年電気自動車移行への改革について、現在、マスコミも、専門家も、誰一人話題に出来ない理由は山積みであろう。「ガソリン車完全撤廃宣言」は、過去、一過性の流行り病であり「はしか」感染後の、なかなか思い出せない幼少期の記憶でしかない。その記憶を頼りに、今後、方針を踏み出す、基幹産業である自動車業界は、これから先、もっと研究を重ね、世界情勢を見極め、世界を生かし、自らを存続させる工程と、道筋を組み立てる責任に押しつぶされないよう。安易で、トピックスを好物とする軽薄な世情に振り回される事無く、確実な未来への舵取りを行うべき力量が試されている。
 EVがすべてダメだと言う事が無いだけに、これから先、無数の人材や人口、社会や、社会制度が含められている基幹産業であり続ける自動車業界のトップ達には、やはり霊媒師と胃薬が絶対に必要になって来るに違いない。

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