中田満帆

1984/07/03 兵庫県西脇市生まれ、神戸市出身在住。 詩人・童話作家=森忠明に…

中田満帆

1984/07/03 兵庫県西脇市生まれ、神戸市出身在住。 詩人・童話作家=森忠明に師事。 文藝、写真、絵、音。  HP https://mitzho84.wixsite.com/ampp Blog https://mitzho84.hatenablog.com/

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呼び声 04/26

   *    夏妊む幹のやさしさなどを識るかたわれもない存在のなか  いつわりのわが家わが妻遠ざかる水のなかにて自己見失なば  ひたさわぐ葉桜通り指をもて16ビートを刻むゆうまぐれ  まぎれてもなお叫ぶ死者あり書物とは祝祭の一形態なり  破戒することのよろこび絶えぬなか射撃音すら愛しくおもう  わかもののふりして晩熟嗤いたるおとこのようなかぜが吹いてる  なきにせよ 残されたものを咀嚼する家並み遠い午後の潮風  アリシアの髪留め残る棺にて捧げられたる友のひと

    • 拳闘士の休息《無修正版》

       試合開始はいつも午前3時だった  父にアメリカ産の安ウォトカを奪われたそのとき  無職のおれはやつを罵りながら  追いまわし  眼鏡をしたつらの左側をぶん撲った  おれの拳で眼鏡が毀れ  おれの拳は眼鏡の縁で切れ、血がシャーツに滴り、  おれはまた親父を罵った  返せ!  酒を返せ!  おれの人生を返せ!  おまえが勝手に棄てたおれの絵を、おれの本を、おれのギターを!  凋れた草のような母たちが、姉と妹たちがやって来て、  アル中のおれをぢっと眺めてる  おれはかの女らにも

      • voice of a familiyless man

            *父という帽子を探す一輪の花などあらぬ野にたちながら  きのう、歌誌『帆』の広報担当の三浦果実氏がわたしの父と話した。録音を聴いた。当たり障りのある話じゃない。気になったのは三浦氏が使った《父に対する恨み》という辞で、おれ自身はいまや恨んではいない。ただ《嫌悪》とか、《痼り》を感じるぐらいだ。おれの友人を自称するのなら、そこらへん気をつけて欲しかったとおもう。  でも、まあなんというか。父のいってることはまちがってはない。しかし家庭内環境が公平であったということは

        • かの女たちにはわからない

             *  秋声のうちにおのれを閉じ込めてつぎのよるべの夜を占う  道を失う ひとの姿をした夜を突き飛ばしてまた朝が来る  なぜだろう どうしてだろう わからない蟻の巣穴に零す砂糖よ  みながみなわれを蔑して去ってゆくこの方程式の解とはなんぞ  旅を夢想する儚さよただわが両手に林檎がひとつ  あいまいな嘘ばかりなり駅名をひとつ飛び越すわれの贖罪  鶏卵の高騰 われは斜に見て商店過ぎぬ月曜の朝  友に会う口実あらず夏の日の最後の一夜夢を過ぎ去る  天板がひらく

        呼び声 04/26

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        • for MISSING/newsletter
          4本

        記事

          おれの徒然〈12〉「人生浮上作戦」篇

             *  以前にPDFで電子書籍を入稿したのだけれど、「読めない」というクレームがついて出版停止にしていた。いろいろと験したものの、PDFをEPUBにはできなかった。ところが「一太郎 EPUB エラー」で検索すると、固定ではなく、リフロー設定であれば数秒でできるということがわかった。さっそくデータをつくって入稿。ビューアで確認もしたが、やや構成がずれてしまうものの読める代物になった。たぶん、あしたあさってにはリリースされる見通しだ。    *  家庭内のでの精神的虐待

          おれの徒然〈12〉「人生浮上作戦」篇

          things for nothing

          ★ 幻冬舎ルネッサンスの人間と喋った 送った本について話す予定だった おれは長篇小説を以前、 講評してもらい、 その完成版を送ったんだ ついでに詩集と掌篇集、歌誌も送った 日村勇紀の女版みたいな担当者と話した(以前の講評者はもういなかった) たった15分で終わった 型どおりに褒められ、型どおりに商売の話 終わっておれは失望した ほんとうに文学がわかる人間なんていないことに 金に飼い慣らされた豚どもしかいないってことに 出版業界が最近くだらない啓発本ば

          things for nothing

          窓のある風景

           叫びのない窓が額装されるまでに  まずは県民会館で  エッチングとして公表された  田舎者たちにかこまれ、  曝された色彩が  夜ごとかれらのなかで這入って  やがて追放された  叫びのない窓が額装されるまでに  イギリスの小さな個展で  散文藝術に複製されるかたちで  ひとびとのまえにだされた  ひどく脅えたガラスのなかで  膨張するひとびと  夜ごとかれらのなかで破裂して  画廊ごと焼き討ちされた  叫びのない窓が額装されるまでに  多くの時代が過ぎ去っていった  

          窓のある風景

          Alone Again Or

           折れた、  夏草の茎の  尖端から  滴る汁、  突然静かになった水場  あのひとが愛の、  愛の在処をわかっていると誤解したままで  おれは死ぬのか  麦を主語に従えた季節は終わって、  世界の夏で、  いまは微睡む  そして無線の声  "The less we say about it the better"  でもちがうって気づく  おれはあまりにも  語りすぎたと  いままでずっとそう、  いまだってそう、  そのまま埋められない距離を  いやいやして応える、  子

          Alone Again Or

          the burn out dreams

             ★  どっかで「書くことによってじぶんを傷つけている」とブコウスキーは書いてる  そうとも、多くの作家志望はそんなありさまだ  文芸は長期的に見ると、とても不愉快だ  毎回、じぶんが幸福でないことを確かめることなのだから。  幸福の原感覚を持ないおれに  いったいなにができるのかという疑問を  いつも突きつけられている  遠かれ近かれ、自己洞察や自己限定に接続された文学は  やがて書き手の魂しいを危機に追いやりさえする  自己とは無縁のことを書き綴る

          the burn out dreams

          もう、いやだよ

             *  希死念慮がぶり返している。春になるといつも、どうにも心身の安定がむつかしい。一昨日、届いたフィルムをさっそくだめにしてしまった。おれの手はあまりにも不器用で、フィルムの装填さえできない。歌誌が終わって、どっと疲れたのもある。酒が切れたのもだ。夢を見た。またしてもいまの住居を喪う夢である。こういった夢はなにを意味しているのか。どうだっていい。とにかく2時には眠った。10時に電話。そして11時過ぎて起きた。いまは茹で卵をつくっている。なにかと気が焦る。きのうの夜にb

          もう、いやだよ

          歌誌「帆(han)」2024 春《第3号》

           4/10より歌誌「帆(han)」2024 春《第3号》をだしました。本来の予定では去年の冬号としてだすことになっていましたが、執筆者の欠員などが重なった上、そもそものテーマ性の欠如、さらに原稿そのものの沈滞もあり、春に移行することになりました。今回は特に花島大輔氏との共作『短歌に於けるマニフェスト』に時間がかかりましたが、御陰様で好い作品ができたとおもっています。短歌界のジビエを味わってください。以下のリンク先にて全文立ち読み可能です。 https://www.seicho

          歌誌「帆(han)」2024 春《第3号》

          I wating until the next dawn

          ★ 歌誌はなかなか完成しない 来る予定の原稿がまだ来ない 正直、不安だ きょうはなにもやってない 今月は工賃で¥16,000以上も入った ¥6800ほど電気代で逝ってしまった あとCD2作、 ルルーズの『ルル』、 坂本慎太郎『まともがわからない』初回盤、 あとは味覇、 業務スーパーで燕麦や乾燥わかめ、刻み玉葱、ゴーヤー、鰯、卵を買った なかなか体重が減らない もうずっと75㎏に戻らない 脂質の取り過ぎかも知れない 朝に茹で卵、昼に燕麦、夕に蕎麦

          I wating until the next dawn

          からっぽの札入れとからっぽのお喋り

             *  雑役仕事と金が尽きて、もうしばらくになる。おかしなもので足りないときほどしたくなるものだ。創作や自涜、どちらも空想と実感を一致させてゆくという点でよく似ている。台所には甘味料、香辛料、油、肉などなし。あるのはしなびた野菜のいくつかと、わずかな麺類。そしてとうとうあいてしまった靴の孔――そこへ公園のベンチがこちらに近寄ってくる。  おかしなものであまっているときはこういった苦痛について、おそろしく鈍感で、まえにも遭った、経験済みの苦痛をまたしてもやらかしてしまう。

          からっぽの札入れとからっぽのお喋り

          you gonna take me to haven

          ★ 創作表現講座というものを開くことになった。 べつにおれが偉くなったわけじゃない。 相手から頼まれてそうなった。 おれに教えられることなんかあるのかとおもいながら、 それも今月分の受講料は頂いてしまったし、 来週からは本格的に教えねばならない。 しかしおれが教えられるのはおれのルートであって、 相手の最適解ではないということだ。 階段の踏み板を踏み外すような詩論を相手に押しつけていいものか戸惑う。 おれはいったいなにをやってるのか。 おれの恥辱と宿業の

          you gonna take me to haven

          光りになれない。

           夢の時間も砂嵐のなかに消えてしまうだろう  そんなテレビジョンの懐いでのなかで  光りになれなかったひとたちと  一緒の場所で出遭ったのは  真昼の淡い幻想だった  いまだほんものの喜びが見えない劇場の舞台で、  おれはなんだか酔っ払ったように手紙を書いていた  始まりも終わりもわからないクラインの壺のような手紙を  きみに宛てて書いていたはずだったんだよ  索漠とした心に夏の光りが眩しい  おれたちは光り、そのものになりたいと願う  この祈り、そしてひらかれたままの瞳 

          光りになれない。

          わが長篇小説に寄せる詩篇

          裏庭日記  われわれという辞がいやで、つねに単数形で生きてきた  なにをかたるにもひとつに限定してからでなければ安心できない  おれたちや、ぼくらといった主語を憎み、空中爆破したくなる  おれは決しておれたちじゃないし、  おれは決してぼくにならない  あらゆる咎、そのどれともちがう声音で、  おれは喋ってきたし、裏庭を見ながら、  父の暴虐に耐えて来た  かの女たちはもはやどこにもいない  スタンドにも学校にも、あの長い修学旅行にさえも  終わってしまった時代、その光景

          わが長篇小説に寄せる詩篇