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「父と祖父の戦争」(78回目の8月15日②)

今日、8月15日、「母の戦争」を記事にした。

母が、小さい子どもたちを前に語るために、私に話してくれた話をまとめた。
以前から戦争の話は聞いていたが、子どもたちに伝えたいという気持ちで聞いたのは初めてだったと思う。

「母の戦争」を書いていて、ふと「父の戦争」についても残しておきたくなった。
今まで一度も書いたことがない家族のこと。。。

今回は、父と祖父(父の父)の戦争のころの話だ。

祖父は、父が子どものころは、地域の駐在さんとして働いていた。
実直で優しい人だった。

そんな祖父は、働き者だったために、上司の人からも信頼が厚く、戦争がはじまると「特高警察官」に選ばれた。

特別高等警察は、高等警察の機能を持つ組織である。高等警察とは、「国家組織の根本を危うくする行為を除去するための警察作用」と定義される[3]。いわゆる政治警察や思想警察のことである。戦前の日本では、治安警察法出版法新聞紙法に基づいて、この種の警察作用が行われた。特別高等警察では、このうち特に共産主義運動、社会主義運動、労働運動、農民運動などの左翼の政治運動や、右翼の国家主義運動や不敬罪を徹底的に取り締まった

「特高」になった父の家族は、母の戦争当時の生活とは大きく違っていた。
戦争当時も、肉を食べ、すき焼きを食べていたと父は言う。
戦争によって辛かったり、おなかが空いて大変だったという記憶もないらしい。
もちろん、国全体が貧困だったので、多少はあったと思うが、母の話を聞いても父としては戦争の大変さの実感がない感じだった。

叔父(父の兄)は、兵隊に志願し入隊したが、少しして、結核になってしまい、地元に帰ってきた。
そのことで、祖父も叔父もとても苦しんだという。
「お国のお役に立てないのが申し訳ない」と・・。
その後、叔父は亡くなり、祖父はますます「特高」の仕事に励んだ。

教会などの宗教施設に行き、牧師が説教で平和の話や戦争批判の話をすると、「中止!」と大声で怒鳴り、途中でも終わりにさせたと聞いた。

他にどんなことをしていたのか、まだ子どもだった父は祖父の仕事をよく知らなかったし、戦後も祖父が自分の仕事を語ることはなかったらしい。

戦争が終わると、「特高」となった祖父は「戦犯扱い」となり、警察の仕事を辞めさせられた。
一家の大黒柱が、戦犯として仕事を失い、途方に暮れていた時に、祖父を「特高」に勧めた上司が、新しい仕事を紹介してくれたそうだ。
(上司は、「特高」にならなかったので戦犯にならなかったため、戦後も警察官として働いていた。だから祖父に対して申し訳ないという気持ちがあったのだと思う)

その仕事が「銭湯」だった。
私が子どもの頃は、父の実家は「お風呂屋さん」であり、そのことに違和感もなかったが、祖父母からしたら、それまで警察官だったので、今思えば、きっといろいろな思いがあったのではと推測される。

私は、小さいころから祖父母に育てられたため、祖父や叔父(祖父の仕事を継いだ父の弟)と一緒に、お風呂の燃料になるおがくずを集めに行ったり、お風呂の湯沸かしをする作業場で遊んだり、年越しの時には家族総出で、お風呂掃除もした。
そのすべてが終わると、祖父の家に親族が集まり、お酒を飲み、花札やゲームをして夜中に寝ることが定番だった。

私の祖父の印象は、一生懸命働き、毎晩美味しそうにお酒を飲む姿だ。
大人になった今、どれだけの挫折と悲しみがあったかと思うが、愚痴も言わず、文句も言わず、いつも優しく笑顔でかわいがってもらえたことを覚えている。

父の兄弟は、全て男で、初孫で女の子の私が生まれたので、祖父母たちにはとりわけ可愛がってもらえた。
私の両親が、教員だっため、私が小さい頃は(保育園などない)、祖父母が育ててくれたし、祖父母が旅行に行けば連れて行ってくれた。
私は、祖父母が育ての親だった。
また、私が「3歳保育」に通うようになると、毎日祖父が自転車で迎えに来て、保育園に連れて行ってくれていた。

そんな大好きな祖父が、脳溢血で倒れて、3日間わが家で昏睡状態が続き、いとこ達と子どもながらに祈り続けたが、あっという間に亡くなってしまった。

母方の祖父(母の父)は、ほとんど誰にも迷惑もかけずに、意識なく人生の最期を閉じた祖父のことを羨ましがり、
「私も◎◎さんのように死にたいな~」と言っていた。

そんな母方の祖父も願い通り、数年後、脳溢血となり、3日間意識なくてそのまま亡くなった。

上からの命令で、「特高」となり、戦後は「戦犯」とされて、新しい人生を歩むことになった祖父母。

戦争は、祖父母の人生も大きく変えたのだと思う。

戦争は、報道されているようなことばかりではない。
祖父のような人生を変えさせられた人たちもたくさん生み出すのだ。

祖父も戦争の被害者だと私は思う。

本日、「母の戦争」を投稿したら、coucouさんの記事の中で取り入れてくださいました。
紹介ありがとうございました<m(__)m>

coucouさんのご家族も大変な歩みをされました。
人生の最期までには、壮大な文章を書きたいというcoucouさん。

私も、まだまだある父と母、また両方の祖父母の戦争当時のことを描きながら、その中で出会った父と母の奇跡の出会いについて、いつか書いてみたいと思います🎵



今日は、2記事続けて投稿しました。

読んでくださり
ありがとうございました
<m(__)m>


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