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すみれの花とあまがえる

子供の頃、庭の一角に、毎年春になるとすみれが群生する場所があった。畳のちょうど半分くらいの広さで咲いていた。


雨が降ると、そこにあまがえるがやって来てピョンピョン飛んでいるのが見えた。私は傘をさして、その様子をずーっと眺めていた。


群れて咲くすみれの花とあまがえる、キレイで微笑ましい風景だと思うんだけど、この景色には、なぜが悲しい気持ちがついて来る。


元々ひとつのことをいつまでも飽きずにやっている子供だった。レゴブロックとか、ひとり遊びが好きだった。だからひとりが嫌なわけではなかったはず。


どうして悲しい気持ちがあるんだろう。何か切ない思いが今も胸にある。


そのままの、ありのままの自分ではダメなんだという思い。だって私は女の子だから。お父ちゃんは男の子が欲しかったのに生まれてすぐに死んじゃった。その後生まれた私は男の子じゃなかったから。


おっきな赤いビカピカの車を買ってくれたよ。キレイだね、カッコイイね。でもこれは私の欲しいものじゃないよ。これはお父ちゃんが死んだ男の子のために買ってあげたかったものだよ。私にじゃない。


回すとダダダダって音がする迷彩柄のおっきな機関銃も買ってくれたね。立派だね。回すと赤いところが光るんだね。スゴイね。


でも、私はこんなのが欲しいなんて言ったことないよ。私の欲しいのはお人形やぬいぐるみだよ。どうして私にこんなのを買ってくるの?


私は女の子だよ。あの死んだ男の子じゃないんだよ。どうしてわかってくれないの。


父親にしてみれば寂しかったからせめて、との思いだったのだろうとは思うけど、小さな私にとっては、あまりにも残酷な仕打ちだった。


差別されたわけではないし、父は私に優しかったけど、あの出来事は「お前じゃダメだ」 と面と向かって言われているのと同じだったから。


その頃から私はあんまり笑わない、無口な子になった。当時の写真を見ると、いつもつまらなそうな顔をして写っているからよくわかる。


思い出の中のすみれとあまがえる、背景はくすんだ青緑。これはきっと、私のなみだの色。


5歳の私が感じてしまった諦めと絶望の色。


自分が生まれる前の出来事が、こんなに自分の人生に影響を与えるなんてね。


この景色を1度絵に書いてみようと思う。背景は明るい色に変えて。自分の心象風景を書き換えるいい機会になるといいな。

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