心の授業

ビジネスマンもスポーツマンも最後は「心」にたどり着くという話

心を亡くすと書いて「忙」

漢字の成り立ちを見るたびに、この言葉にこの漢字をあてた、先人の感性にただただ感服するばかりです。

そもそも「忙」の部首になっている”立心(りっしん)べん”は「心に何かが寄り添う」「外的要因で変化する」という意味。そして”亡(な)くす”のほうは人が囲いで隠れているという意味を表していて、「忙」とはすなはち『他の物に心を奪われる・心がまともに存在しない状態』ということのようです。
※諸説あり

仕事に気をとられる
過去や未来の出来事に意識がいく

要するに、目の前のことじゃないことに心を奪われた結果、目の前のことに気を配れていない状態が「忙しい」ということです。この「忙しい」って言葉、口癖になっている方っていませんか?まさに自分自身がそうで、そういった忙しい行動を無意識的に取ってしまっていて、家にいてもパソコンを開き、何か話しかけられても上の空。冷静に自分をふりかえると眼に余る行動だなと反省せざるを得ません。

振り変えれば社会人になってからずっとそうでした。自ら忙しいというマインドで動き、むしろ忙しく何かをしてないと不安になっていて、忙しいことが美徳で頑張っていることの象徴!くらいに思っていた節もあります。物理的にそう追い込んでいたのも事実ですが、そうすることによって頑張っている自分を作りたかったのかもしれません。

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改めて、そんな自分を見直さなきゃいけないと思った出来事が最近ありました。年齢をかさね、仕事の経験も増えていく中で、忙しくしてきた自分にツケが回ってきたのかな。ただ、社会的に認められたいとか、頑張って成果を出したいという想いのせいで、本当に大事なものが見えなくしてしまっている方は決して少なくないと思っています。

そんな時に出会ったのが『世界中の億万長者がたどり着く「心」の授業』でした。

巷では #セカココ としてハッシュタグがつけられSNSでも広く拡散されています。ちょうどこのタイミングで重版も決定したようで、ますます世の中の多くの人たちに読まれる本になっていくでしょう。発売してすぐに購入したものの、ピンと来ずにパラパラとページをめくるくらいだったのですが、本って必要に感じる時に、ストンと腑に落ちてくるものですね。改めて読み込んでいくと今の自分に必要な話ばかりで、食い入るように読みました。ビジネス書ですが、話の内容はそれだけではありません。実生活でも、この一瞬にかけなければいけないアスリートにも間違いなく響く内容だなと思います。


◼︎「心ここに在らず」という状態

情報社会と呼ばれるようになってからどれだけの時間がたったでしょうか。我々の生活の中にパソコンやスマートフォンがここまで浸透したのは、ほんの10年たらずです。個人的にエポックメイキングだったなと感じるもの(結果的にエポックメイキングになったと思うもの)をあげてみました。

Windows95の登場:1995年
iMacの登場:1998年
i-Modeの登場:1999年
iPhoneの登場:2007年
Macbook Airの登場:2008年

こうして見てみると、”パーソナルコンピューター”というものが身近な存在になり、”携帯電話”を多くの人が持ち始め、それが”スマートフォン”と言うものに形を変えて浸透しはじめていったのがよく分かります。24時間どこでも仕事ができるような環境になったのは、本当に最近の事ですね。

中高生の頃に「情報化社会について説明しそれに関してあなたの意見を述べなさい」というテーマで何度も小論文を書いた記憶がありますが、僕が学生の頃は情報社会に移行している真っ只中で、小論文を書きながらも、実はいまいちピンときてなかったテーマでした。情報社会っていうけど、情報に価値があるってどういう意味?くらいに思っていましたっけ。

ところが、現在こうして情報が溢れる時代になり、身近にパソコンやスマートフォンが溢れ、もはや手放せない状況になっているのは周知の通り。(このnoteだってパソコンで書いてるし苦笑)

この状況はビジネスマンだけにとどまらず世の中の大多数がそうなっていると思っていて、電車に乗ればみんなスマホを覗き込んでるし、SNSの普及によって多くの人がネット上で繋がるようになりました。もはや目の前にある現象だけがリアルではなく、ネット上で繋がる人や情報もリアルさを増してきていて、その結果その場にいても「心ここに在らず」という状況ができてしまったんじゃないかと思っています。


◼︎現代人は何をすべきか

確かに、とても便利な時代になりました。とても多くの恩恵を受けているのは間違い無いのですが、本当にそれを使いこなせてますか?支配されていませんか?

・だらだらとスマホを見続ける
・SNSで他人の投稿をみて心がざわつく
・仕事から帰っても、自宅でまた”仕事再開”

科学技術の発展が悪いものというわけではなく、上手に使うことで、これまでできなかったような働き方もできるようになっています。リモートワーク、遠隔ミーティングなどはその典型的なところですし、Youtuberという職業も科学技術の発展なしには成立しない職業ですよね。

その一方で、上手に使えずに逆にパソコンやスマホに支配されているケースも少なく無いなと思っています。上述の「心ここにあらず」という状態はまさにそれからきていると思っていて、世の中的な動きがこういう状態を作っているのは当たらずといえども遠からずでしょう。

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「心ここに在らず」という状態とは「過去の出来事」が「未来の出来事」に思考が支配され、「目の前にある今」に向き合えていない状況です。会社でこんなことを言われたなぁとか、メッセージが入ってきそうだし、すぐに返さなきゃなとなっていると、目の前のことがおろそかになります。

その結果、感情はネガティブな方向にシフトしやすく、幸福感が下がってしまいます。心ここに在らずの状態で片手間に仕事をしても、作業がどれだけ捗るかというと、生産性は非常に低いと言わざるを得ません。分かっちゃいるんですけどね。

現代人は目の前のことに集中しにくい環境になっています。これは間違いない事実!断言できます。だからこそ意識的に目の前のことに集中するように仕向けていかなくちゃいけないし、それは訓練によって得られるものなんです。


◼︎懐かしの神田川

かつて勤労学生だった頃、モーレツに働き勉強してました。

当時は昼間に学校の教員、仕事が終わったら柔道整復師の専門学校に通って勉強し、その合間に市民ランナーの方から送ってもらう練習メニューをメールで添削するという毎日でした。専門学校が閉まるまで勉強し、しまったらカフェに移動してまた勉強。自宅に戻るのはだいたい12時頃だったのですが、そこから翌日に授業の準備が始まるので寝るのは2時とか3時でした。

ヤバイって本能が言ってきたのだと思います。ある時ふと専門学校の近くを流れる神田川に吸い込まれるように向かっていました。コンクリートで囲われた何の変哲もない川。かつて「神田川」というフォークソングが流行りましたが、実際に見てみると都会にある普通の川なんですよね。

でもそのとき、神田川を眺めていると無性に心が落ち着きました。なんでしょうね、神田川は建物に囲まれていたので車の音が一瞬聞こえなくなる場所があるんです。その時に川の流れだけが耳に入ってきて、忙しい1日の毒出しができたように、心が異種んふっと軽くなったんです。

それ以降、事あるごとに眺めに行っていた神田川。今振り返ってみると、目の前にある今に向き合って「心ここに在らず」という状態から解放されていた瞬間だったのかもしれません。

◼︎THE SELFに参加して

今回ご縁が重なり、「世界中の億万長者がたどりつく『心』の授業」の著者であるNami Bardenさんと河合克仁さんが主催する「心の授業」に参加してきました。

「心の授業」と聞くとピンとこないかもしれませんよね。でも、メンタルトレーニングはスポーツ界の中ではずいぶん浸透してきた考え方ですし、Google、Facebook、Yahoo!といった企業も研修に瞑想を取り入れているくらい心にフォーカスすることは非常に注目を集めています。

形の無いものを説明するというのは非常に難しいのですが、本を読んで共感し、今自分がやるべきことだと心得たからこそ、多くの学びや実感がありました。

言葉にしてしまうと、何だか「説明」みたいになってしまうので、やめます(苦笑)ただ、今までいろんなことをやってきたし、それなりに世の中のことも知れたと思っていましたが、自分のことは実はあんまりわかっていなかったんだなと気づきました。

生きている以上、悩みから解放されることはないでしょう。ただ、それを放っておいても苦悩の状態が長く続くだけです。そして心が壊れる前に、きちんと心を洗うような取り組みをしていかないとダメなのかもしれませんね。



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